表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
88/99

数学と愛、そして裏切り:人類の歴史を書き換えた男、アラン・チューリング

時代の闇に散った知の巨人:アラン・チューリング が夢見たコンピュータの夜明け

1912年6月23日。ロンドンのパディントンにて、アラン・チューリングという名の少年が産声を上げた。


幼少期より、彼は他を寄せ付けないほどの圧倒的な数学の才能を垣間見せ、難解なパズルや知的遊戯に心を奪われていた。論理と数字が織りなす精緻な世界を愛し、その頭脳は常に、道端の信号機の配列や、アイスホッケーリンクの境界線が描く幾何学的な問いに満たされていたのである。反面、文系の学問には一切の興味を示さなかった。本人はその偏りさえも楽しんでいたようだが、教師や級友たちの目には、ただの「変わり者」としか映らなかった。


15歳の冬、彼はChristopher Morcomという、同じく科学の分野で天賦の才を持つ少年と巡り逢う。二人の絆が単なる友情の域を超えるのに、時間はかからなかった。チューリングは、自分が「愛」という甘美な感情を知ったことに気づき、ついに孤独の暗闇から抜け出したのだ。クリストファーへの想いは、深い愛情であり、純粋な崇拝でもあった。彼と過ごした日々は、現実とは思えないほどの至福に満ちていた。しかし3年後、残酷な悪夢が彼を襲う。クリストファーが病に倒れ、静かにこの世を去ったのである。Turingにとって、それは生涯で最も深く、重い絶望であった。


この悲劇を境に、Turingは自らを学問の深淵へと沈め、科学のみを生涯の伴侶と定めた。1936年、23歳の青年は世界を震撼させる偉業を成し遂げる。たった一本の論文で、数学界を長く呪縛していたヒルベルトの決定問題を見事に退け、数学史に不滅の金字塔を打ち立てたのだ。


その論文の中で、彼は「チューリングマシン」という抽象的な計算モデルを世界で初めて提唱し、現代のコンピュータの礎を築き上げた。10年後、John von NeumannがTuringの構想を現実の機械へと昇華させ、人類初のコンピュータが産声を上げる。この意味において、Turingはコンピュータ科学の真の開拓者であり、ゆえに同分野における最高栄誉が「チューリング賞」と名付けられているのである。


1939年の秋、ドイツ軍のポーランド侵攻と共に、第二次世界大戦の火蓋が切られた。「Enigmaエニグマ」と名付けられた暗号機がナチス・ドイツによって戦線に投入され、日々の軍事情報の伝達に猛威を振るっていた。ナチスの圧倒的な攻勢の前に連合軍は後退を余儀なくされ、エニグマの解読は焦眉の急となった。


その頃、すでに知の巨人として名を馳せていたTuringが、この極めて困難な任務を引き受けることとなる。危急の折に命を受けた彼は、見事その重責を果たし、「Bombeボンブ」と呼ばれる暗号解読機を創り上げた。この機械は1日に3000通もの敵の暗号を解読し、ヒトラーの戦争計画を完全に白日の下に晒したのだ。彼の天才的な頭脳が、数え切れないほどの命を殺戮から救い、イギリス、いや全人類の歴史の歯車を大きく回したと言っても決して過言ではない。


大戦終結後も、Turingはひたむきに研究を続けた。1950年、彼はかの有名な「チューリング・テスト」を提唱する。人工知能(AI)の可能性を問うこの思考実験は、後世におけるAI研究の揺るぎない礎石となった。


しかし、1950年代に入ると、時代は彼に牙を剥く。Turingが同性愛者であることが明るみに出たのだ。当時のイギリスの保守的な上流社会において、それは決して許されざる大罪であった。彼の輝かしい名前は汚辱に塗れ、そのキャリアは無残にも引き裂かれた。1954年6月8日の朝。Turingは自身の寝室で、冷たい骸となって発見された。ベッドの傍らには、猛毒が塗られた、一口だけかじられたリンゴが転がっていた。彼の命を奪った真の理由については、今もなお多くの謎と憶測が渦巻いている。

挿絵(By みてみん)

Turingの波乱に満ちた劇的な生涯が幕を閉じた後、世界が彼の真の価値に気づくまでには、あまりにも長い歳月を要した。彼が遺した思想の数々は、今日においても最先端の科学領域で眩い光を放ち続けている。彼の一生は、一枚のカンバス、一つの記事、あるいは一本の映画の枠組みに到底収まりきらないほどの重みを持っている。歴史が「Alan Turing」という孤高の天才の名を忘却の彼方へ追いやることは、永遠にないだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ