「もう外出せずとも語り合える」――100年前の青年が母に宛てた手紙が、世界を繋いだ日
#人類を変えた足跡 シリーズ物語 第七十九回
ベルが電話を発明した1875年6月2日
書鳩、狼煙、あるいは川を流れる竹筒。はるか昔から、人は遠く離れた誰かに思いを伝えようと、あらゆる手段を講じてきました。物理的な距離を越えて心を通い合わせることは、人類が絶えず抱き続けてきた渇望なのです。
19世紀初頭、産業革命の足音とともに科学技術は爆発的な進歩を遂げました。電磁気学の発展により、欧米ではあらゆる産業に電力が導入されていきます。1839年には世界初の電信線が実用化され、人々の思考は文字に変換され、瞬時に遠く離れた相手へと届くようになりました。その20年後には大西洋横断電信ケーブルが敷設され、世界は新たな時代へと突入します。近代的な通信手段はすでに完成したかに見えましたが、若きBellの考えは違いました。
教育者の家系に生まれたBellは、祖父や父がろうあ者教育に尽力する姿を見て育ち、自身も同じ道を歩み始めました。この経験から、彼は早くから「音声のメカニズム」を探求するようになります。ある時、彼は電流がコイルを流れる際、モールス信号に似た「カチッ」という音を発することに偶然気付きました。「もし、電流の強弱で音声の変化を再現できる機械が作れたら、電気で声を送れるのではないか」。そうすれば、どんなに離れていても、互いの声をリアルタイムで聞きながら語り合えるはずだと、彼はひらめいたのです。
その突拍子もないアイデアは、専門の電信技師たちから冷笑を浴びました。しかし幸いにも、のちに義父となる人物から惜しみない資金援助を受け、Bellは職を辞して電気技術者のWatsonを助手に雇い、この見果てぬ夢へと飛び込みました。
数え切れないほどの失敗の末、二人は粗削りな試作機を完成させます。円筒の底に薄い膜を張り、中央に垂直に取り付けた炭素棒を希硫酸に浸すという構造で、人が話しかけると膜が振動して抵抗が変わり、電流に変化を生じさせます。そして、受信側で電磁気的な原理を利用し、その電気信号を再び音声へと変換する仕組みでした。
幾日も徹夜で調整と改良を重ねた結果、かすかにノイズのような電流音が聞こえ始めました。1875年6月2日の実験中、Bellは誤ってボトルの硫酸を自分の足にこぼしてしまい、あまりの痛みに「Watson君、来てくれ!手伝ってほしい!」と叫びました。すると驚くべきことに、別室のWatsonの耳に、機械越しにBellの生の声が届いたのです。これこそ、人類史上初めて「電話」によって伝送された肉声でした。
その日の夜、Bellは母親への手紙にこう綴っています。「家から一歩も出ずに、語り合える日がもうすぐやって来ます!」
その後、特許を取得し、彼の発明は世に認められました。Watsonと共に実験に明け暮れた場所、米国ボストンのコート通り109番地は歴史にその名を刻み、現在でもその入り口には「1875年6月2日、電話ここに誕生す」と刻まれた銅製のプレートが掲げられています。
興味深いことに、Bell自身は電話の発明後もさらなる研究に没頭し続けました。彼は「あの最も有名な発明品は、自分の科学研究の妨げになる」と考え、自身の研究室には決して電話を置こうとしなかったといいます。




