「妻の誕生日」に帰国した名将。その一瞬の隙が、世界の運命を決めた【D-Dayの真実】
毎年6月6日になるとノルマンディーでは厳粛な記念式典が執り行われる。ヨーロッパ各国の首脳が顔を揃え、それぞれが外交の舞台として言葉を交わす。戦火が止んで数十年の歳月が流れ、歴史の恩讐は少しずつ薄れゆくものの、この作戦が現代に投げかける現実的な重みは、未だ失われてはいない。
「D-Day」は、米軍が作戦や行動の開始日を指す際に用いる軍事用語である。歴史上最も有名な「D-Day」は1944年6月6日に決行され、その圧倒的な知名度から、現在ではフランス・ノルマンディーでの作戦そのものを指す狭義の言葉として定着している。
第二次世界大戦の戦局は、1943年後半から徐々に連合国側へと傾き始めていた。太平洋戦線で日本が敗退を重ねる一方、Mussolini政権が崩壊したイタリアは降伏し、米英軍はローマを制圧。さらに独ソ戦においてもドイツ軍は後退を余儀なくされ、多くの兵力が東部戦線へと引き抜かれていた。この機に乗じ、連合国はフランス西岸のノルマンディー地方における大規模な上陸作戦を立案する。第二戦線を構築し、ヨーロッパの深部へと進攻するためである。
作戦の成功を確実なものとするべく、連合軍は綿密な準備を重ねた。36個師団、総兵力200万人以上、航空機約1万3700機、各種艦艇約9000隻という途方もない戦力が集結。連合国軍最高司令官にはEisenhower大将が任命され、ロンドンから指揮を執った。決行前の4ヶ月間、連合軍はフランス西岸へ大規模な戦略爆撃を行うとともに、巧妙な欺瞞・陽動作戦を展開。沿岸の防衛施設や100近い飛行場を徹底的に破壊し、上陸に向けた布石を打った。
1944年6月5日、Eisenhowerの号令のもと、16万人の連合軍兵士がポーツマスを出港し、イギリス海峡を渡った。翌日の未明、ノルマンディーは厚い雲に覆われ、強風が吹き荒れるなか、ついに上陸作戦の火蓋が切って落とされた。
運命の悪戯か、連合軍が上陸するまさにその日、防衛の要であるドイツ軍のRommel元帥は司令部を留守にしていた。6月6日は彼の妻の誕生日であり、祝うためにドイツへ帰国していたのだ。
連合軍の巧妙な偽情報に翻弄されたドイツ軍は、迅速な反撃態勢を整えることができなかった。その隙を突き、連合軍は進軍速度を上げ、ついにはHitlerの誇る「大西洋の壁」を打ち破り、ヨーロッパ大陸への帰還を果たしたのである。そこにあった想像を絶する苦難と死闘。Rommelが予見した通り、それはまさに「最も長い一日」となった。
ノルマンディー上陸作戦は、人類の戦争史において最も複雑かつ最大規模の作戦であり、第二次世界大戦における最大の転換点とされている。この勝利によってヨーロッパ大陸に第二戦線が形成され、ドイツを二面作戦の泥沼へと引きずり込んだ。世界の戦局は根本から覆り、大戦の終結は一気に加速することとなる。
軍事評論家たちは、これを「戦略的構想、創造性、そして勇気がもたらした勝利」と称賛している。
今日に至るまで、毎年6月6日になるとノルマンディーでは厳粛な記念式典が執り行われる。ヨーロッパ各国の首脳が顔を揃え、それぞれが外交の舞台として言葉を交わす。戦火が止んで数十年の歳月が流れ、歴史の恩讐は少しずつ薄れゆくものの、この作戦が現代に投げかける現実的な重みは、未だ失われてはいない。




