ある一人の男が故郷に戻るだけの話
「またこの城壁を見る日が来るとはなあ……」
白き大巨人と呼称されるほど大きな王都の城壁を見上げるマックスが、足を止めて小さく呟く。
その姿は田舎から出てきた者が、王都の城壁に圧倒されてポカンとしている姿と似ており、よく王都を出入りしている商人にとってはいつもの光景だった。
尤も誇りある王都の城壁を崩せる集団の一員であり、城壁に感嘆しているのではなく王都そのものを懐かしんでいることまでは流石に分からなかった。
「流石に精鋭だな。惰性で仕事してる奴がいねえ」
「うむ。よく鍛えられた素晴らしい筋肉だ」
一方、サザキとシュタインは超常の感覚で人を観察していた。
城壁の上にいる兵はボケっと遠くを見ているのではなく、僅かな異常を見逃さないように警戒している。
王都の門を守る兵は流れ作業をしているのではなく、不審者がいないか一人一人を細かく確認している。
それはまさに王都を守る兵として相応しい立ち振る舞いであり、全員がきちんと鍛えられている精兵だった。
「クローヴィスの動きが移ってる奴がちらほらいるな」
「王都で武術指南をしていると小耳に挟んだことがある」
「ああ」
サザキはそんな兵の一部に、自分の弟子が関わっていると見抜いた。
(あの坊主がな)
サザキの意識が少しだけ過去に向かう。
剣の道一本でリン王国の近衛兵や王室にすら武術指南役として招かれるクローヴィスが、孤児で路頭に迷っていたことを知る者は少ない。
ただリン王国は戦後復興の一環で孤児の保護に力を入れていたため、クローヴィスがそのまま困るといったことはなかった。しかしクローヴィスは孤児院に向かわず、サザキのところに転がり込むようにして内弟子になった経緯がある。
「そうそう。こういう城壁じゃった」
「そうですねえ」
とても軽く昔を懐かしんでいるのはフェアドとエルリカの夫婦だ。
「来たのは二回? いや三回じゃったか?」
「私は一回だったような」
記憶が曖昧な夫婦は首を傾げながら王都に来た回数を思い出す。
「あんまり用がなかったからの」
「ええ」
エルリカもそうだが、フェアドもリン王国との関わりは強くとも、あまり王都に用件がなかったため大戦中に訪れることは少なく、大戦後は山に籠っていたので全くなかった。
それはサザキとシュタインも同じで、マックスを含めた五人が大戦後の王都の様子を知らない。
最後にララは、お忍びだったがこの面々の中では唯一大戦後もそれなりの頻度で王都を訪れており、今現在の王都がどうなっているかも知っている。それなのにとある件について黙っているのは魔女だからであろう。
「マックス、出迎えが来てるぞ」
「はん? 出迎え?」
サザキが体の内部に様々なものを仕組んでいるせいで、独特な斬りごたえになっている人間を認識した。こういった類の人間に共通しているのは、裏の業種に携わっていることだ。
マックスはサザキが指差した門の向こうを見ると、彼の店に客として訪れたこともあるモノクルを掛けた初老の男が、目立たないようほんの僅かに頭を下げた。
「さっき着いたって連絡したばかりなんだけど」
「ソワソワしてるのはあんただけじゃないってことさ」
「少なくとも俺の方はガキじゃないからソワソワなんてしてねえって」
「そうかい」
呆れたように、そして困ったように頭を掻くマックスに、ララは肩を竦めて追及を止めた。
「では行くとしようかのう」
「お、おう。そうだな」
フェアドが促すように門へ歩を進めると、マックスは腰が引けたような雰囲気を纏いながらも付いていく。
「王都へようこそ。目的はなんですか?」
「昔の友達と一緒に、お世話になった人へ最後の挨拶をしようと思いましてな」
門の兵といつも通りのやり取りを行うフェアドだが……。
「その……服は?」
相変わらずなシュタインが引っかかった。
「私はモンクでして、太陽の光を浴びて自然に溶け込む鍛錬の最中なのですよ」
「ああ、なるほど」
(この年齢でモンクとなると、かなりの高僧だ。武芸者大会に出場するお弟子さんを応援しに来たのかな?)
このシュタインの言い分だが、実際に幾つかのモンクの流派で存在する修行法であり、様々な人間が訪れる王都の兵も知っていた。更に今現在の王都は変わり者の武芸者や、実際にその類の修行をしているモンクが訪れており、このいい分が通ってしまった。
「王都へようこそ。目的はなんですか?」
そして最後尾にいたマックスが兵に尋ねられる。
「前に通った年寄りの友達で、同じように世話になった人達へ挨拶です。それとまあ……昔ですが王都に住んでまして」
その言葉はありきたりなものだ。本当にありきたりなものだった。
門の兵がマックスの、いや、ギャビン・リンという名の男の、戦後に積み重ねた家族と故郷に対する七十年の思いを知る術などない。
「ちょっと故郷を見ようと……」
最早二度と訪れることはないだろうと思っていた故郷で、老い果てようが伝説で語られる竜滅騎士が、僅かに湿った言葉でそう漏らした。




