選択
「......お前は、それを知っていたのか?」
メグミの問いに、タクロウは答えなかった。
ただ、静かに目を伏せている。
その沈黙が、何よりの答えだった。
「......そうか。」
メグミは小さく呟いた。
怒りがなかったわけではない。
自分の知らないところで、何かが決められ、
自分の知らない過去が存在していた。
その事実が、胸の奥に重くのしかかっていた。
「カナメ。市長に会いに行く。」
「......わかりました。」
カナメは短く答えた。
タクロウは顔を上げたが、何も言わなかった。
メグミは、そんな彼を一度だけ振り返る。
「......今度こそ、すべてを聞かせてもらう。」
そう言い残し、二人は部屋を出ていった。
市長の執務室。
窓の向こうには、いつもと変わらない街の風景が広がっていた。
整然と行き交う人々。
規則正しく走る車。
街の至るところに設置された監視カメラ。
この街が生まれてから、どれほどの時間が過ぎたのだろう。
「......来たか。」
市長は、メグミたちの姿を見ても驚かなかった。
「ありすのことを、聞きに来たのだろう?」
「......はい。」
メグミは市長を見つめた。
「ありすの脳が、ALICEの中枢になっていると聞きました。」
「そうか......。」
市長は、ゆっくりと目を閉じた。
「いつか、お前が知る日が来るとは思っていた。」
「ならば、教えてください。」
メグミの声が、わずかに震える。
「なぜ、ありすはそんなことをしたのですか?」
市長は、すぐには答えなかった。
やがて、窓の外へと視線を向ける。
「......ありすは、自分の命が長くないことを知っていた。」
「病気......だったのですか?」
「ああ。残された時間が少ないことを、彼女自身が理解していた。」
メグミは言葉を失った。
ありすは、自分の命が終わることを知りながら、
ALICEの中枢になることを選んだ。
なぜ、そこまでしなければならなかったのか。
「彼女は、最後まで自分に何ができるのかを考えていた。」
市長は続けた。
「自分と同じような悲しみを抱える人間を、
この世からなくしたい。そう考えていたのだ。」
「......悲しみを、なくす?」
「ああ。」
市長は静かに頷いた。
「人は、時として理不尽な理由で大切なものを失う。
努力しても、どれだけ気をつけても、避けられない悲劇がある。
彼女は、そんな未来を変えようとしていた。」
メグミは、以前に聞いた市長の言葉を思い出した。
この街が作られた理由。
誰かが、同じ苦しみを味わわなくて済むように。
市長も、ありすも、似た願いを抱いていたのだ。
「......それで、自分の脳をALICEに?」
「そうだ。彼女自身が、それを選んだ。」
市長は、ゆっくりと頷いた。
「私は、彼女の決断を止めなかった。」
その言葉に、カナメが市長を見る。
「......止めなかった、のですか?」
「彼女の考えは理解できた。私自身も、この街を作ろうとしていたのだからな。」
市長の声に、わずかな苦みが混じった。
「だが......。」
そこで言葉が途切れた。
「......私は、彼女の決断を理解していたつもりで、
本当は何もわかっていなかったのかもしれない。」
市長は、机の上に置かれた一枚の写真を手に取りメグミに見せた。
そこには、幼い少女が写っていた。
どこか、自分と雰囲気が似ている。
「......誰ですか?」
「私の娘だ。」
その言葉に、メグミは息を呑んだ。
市長には、亡くした妻と娘がいた。
そのことは知っていた。
だが、なぜ今、その写真を見せられたのか。
「......私は、娘と妻を同時に失った。」
市長は、メグミに写真を見せたあと、そっと机に戻した。
「娘には、これから多くの未来があったはずだった。
大人になり、誰かと出会い、いつか自分の家庭を持つかもしれなかった。」
市長の声は、静かだった。
「だが、その未来は失われた。」
長い沈黙が流れた。
「そんな時、ありすから話を聞いたのだ。クローンを生み出す可能性について。」
メグミは、思わず顔を上げた。
「......クローン?」
「そうだ。」
市長は、メグミの視線を正面から受け止めた。
「もし、娘が生きていたら。
もし、もう一度あの子の成長を見守ることができたなら......
私は、そう考えてしまった。」
その表情には、長い年月を経ても消えない後悔があった。
「私は、ありすの話に賛同した。娘を失った悲しみを埋められるのではないかと、
どこかで期待していたのだ。」
「......『高野恵美』。」
メグミは、その名前を口にした。
記録に残された名前。
「......その名前は、私の娘のものだ。」
市長は、静かに答えた。
「でも、市長と姓が違います。」
メグミは、市長を見つめた。
「......高野は、妻の旧姓だ。」
市長は、わずかに目を伏せた。
「......なぜ、市長の姓を使わなかったのですか?」
「私と同じ姓を使えば、私との関係に気づく者が出るかもしれない。
それに......。」
市長は、そこで言葉を切った。
「高野という姓は、私にとっても、亡くした家族を思い出させる名前だった。」
「......そうだったのですね。」
メグミは、もう一度その名前を思い返した。
高野恵美。
記録に残された名前。
そして、自分の名前。
「......では、私は......。」
市長は、メグミの言葉を遮ることなく、静かに見つめていた。
「......お前は、あの子のクローンとして生まれた。」
「......私は、娘の代わりだったのですか?」
市長は、目を伏せた。
「......最初は、そうだったのかもしれない。」
その言葉に、カナメも息を呑んだ。
「私は、もう一度、娘の未来を見たかった。
そんな身勝手な思いがあったことは、否定できない。」
市長は、拳を握りしめた。
「だが、お前が生まれ、成長していく姿を見て......私は、
自分が何をしようとしていたのか、わからなくなった。」
亡くした娘と同じ遺伝子を持つ少女。
けれど、そこにいるのは、かつての娘ではなかった。
違う表情で笑い、違う言葉を話し、違う意思を持つ、一人の人間だった。
「......私は、取り返しのつかないことをしたのではないか。
何度も、そう考えた。」
市長は顔を上げた。
「お前を生み出したことが、正しかったのか。今でも、答えは出ていない。」
メグミは何も言えなかった。
市長は、初めて自分の過ちを認めていた。
しかし、それで自分の心が軽くなるわけではなかった。
「......ありすは。」
メグミは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ありすは、私のことをどう思っていたのですか?」
市長の表情が変わった。
その問いに答えることは、彼にとっても簡単ではなかった。
「......彼女は、お前を大切に思っていた。」
「クローンだと知っていても?」
「......ああ。」
市長は頷いた。
「彼女は、自分の身体でお前を産んだ。
生まれる前から、お前のことを『この子』と呼んでいたそうだ。」
メグミの脳裏に、あの光景が浮かんだ。
白い部屋。
赤ん坊を抱く女性。
優しい眼差し。
――あなたは、私が守るから。
「ありすは、お前に何も知らず、幸せに生きてほしいと願っていたのだろう。」
市長は、静かに続けた。
「お前が自分の出生を知れば、どれほど苦しむことになるのか。
彼女は、それを恐れていたのかもしれない。」
「......だから、何も教えなかった?」
「......そうだ」
メグミは、目を閉じた。
ありすは、自分を守ろうとした。
市長もまた、自分を守ろうとしていたのかもしれない。
だが、そのために、自分は何も知らされずに生きてきた。
守られることと、真実を知らされないこと。
その二つは、同じなのだろうか。
「......私は。」
メグミは、ゆっくりと目を開けた。
「私は、ありすのことを何も知りません。」
市長は、黙って聞いていた。
「なぜ、そこまでしてALICEになったのか。
何を守ろうとしていたのか。......私は、それを知りたい。」
市長は、静かに頷いた。
「......そうか。」
「そして......。」
メグミは、一度だけ言葉を切った。
「私は、誰かの代わりとして生きるつもりはありません。」
その言葉に、市長の目が揺れた。
「......私は、私です。」
長い沈黙が流れた。
市長は、やがて小さく目を閉じた。
「......ああ。そうだな。」
その声には、悲しみと、わずかな安堵が混じっていた。
「お前は、私の娘の代わりではない。」
市長は、初めてその事実を、自分自身に言い聞かせるように口にした。
「......お前は、お前自身の人生を生きていいのだ。」
執務室を出たメグミは、長い廊下を歩いていた。
カナメは、何も言わずに隣を歩いている。
市長から聞いた話が、頭の中で繰り返されていた。
自分は、亡くなった誰かのクローンとして生まれた。
ありすは、自分の命を懸けてALICEの中枢になった。
そして、自分には何も知らず幸せに生きてほしいと願っていた。
それらの事実は、簡単には受け入れられない。
けれど。
「......カナメ。」
「はい、隊長。」
「私は......何をすればいいのだろうな。」
カナメは、すぐには答えなかった。
「......それは、隊長自身が決めることだと思います。」
メグミは、足を止めた。
「私自身が......?」
「はい。ありすさんが何を願っていたとしても、
市長が何を望んでいたとしても。これからどう生きるのかは、隊長が決めていいことです。」
メグミは、静かに目を伏せた。
そして、再び歩き始める。
「......そうだな。」
その表情に、まだ答えはなかった。
けれど、ひとつだけ決めたことがある。
ありすが何を望んでいたのか。
なぜ、自分を産んだのか。
なぜ、命を懸けてALICEになったのか。
それを知るまでは、終われない。
メグミは、前を向いた。
その答えを知ったとき、自分は何を選ぶのだろう。
「......タクロウのところへ戻ろう。」
カナメは、小さく頷いた。
二人の足音が、静かな廊下に響いていた。
誰かを守りたい。
その想いは、決して間違いではないのだろう。
大切な人を失いたくない。
大切な人に、苦しんでほしくない。
だからこそ、人は何かを選ぶ。
けれど、その選択が、本当に相手のためになるとは限らない。
市長は、失った娘の未来をもう一度見たいと願った。
ありすは、メグミに幸せに生きてほしいと願った。
二人とも、メグミを想っていた。
それでも、メグミは何も知らされずに生きてきた。
守ることと、何も知らせないこと。
相手を想うことと、相手のために決めてしまうこと。
それらは、本当に同じなのだろうか。
そして、メグミは自分の意思を口にした。
「……私は、私です。」
誰かの願いを背負うのではなく、自分自身の人生を生きるために。
けれど、彼女が本当に知りたい答えは、まだ残されている。
ありすは、何を想い、何を守ろうとしたのか。
そして、タクロウは何をしようとしているのか。
その答えを知ったとき、私は何を選ぶのだろう。
「......タクロウ。」




