ALICE
「......隊長。」
タクロウは、メグミを見つめたまま口を開いた。
「少し、昔の話をしてもいいですか。」
「......ありすのことか?」
「はい。」
メグミは黙って頷いた。
タクロウは一度、視線を落とした。
カナメも隣で静かに立っている。
タクロウはメグミの顔をみつめ、静かに語り始めた。
「......俺とありすは、昔からの知り合いでした。」
「昔から?」
「ええ。あいつがまだ、普通の研究者だった頃から。」
タクロウは、かすかに笑った。
「いや......研究者になる前から、ずっと。」
その表情には、いつもの気の抜けた雰囲気とは違う、
どこか懐かしむような色があった。
「頭が良くて、頑固で、自分が正しいと思ったことは絶対に曲げない。
なのに、妙なところで抜けていて......。」
「......。」
「人のことばかり心配するくせに、自分のことは何も考えない。
そんな奴でした。」
メグミは黙って聞いていた。
タクロウが、ありすのことをそんなふうに語るとは思っていなかった。
それは、システムの開発者について話している人間の言葉ではなかった。
まるで――。
「......お前にとって、ありすは大切な人だったんだな。」
その問いに、タクロウの言葉が止まった。
短い沈黙。
やがて、彼は小さく息を吐いた。
「......ええ。」
その声は、驚くほど静かだった。
「俺にとって、かけがえのない人でした。」
メグミは何も言わなかった。
タクロウは、再び口を開いた。
「だからこそ......俺は、あいつのことを何も分かっていなかった。」
「......どういう意味だ?」
「ありすが、自分の命が長くないと知っていたことも。」
メグミの表情が変わった。
「......お前は、それを知っていたのか?」
「いいえ。」
タクロウは首を横に振った。
「俺が知ったのは、すべてが終わった後でした。」
その言葉に、メグミは息を呑んだ。
すべてが終わった後。
ありすが命を落とし、ALICEが動き始めた後。
彼は、何も知らされていなかったのだろうか。
「......ありすは、お前に何も話さなかったのか?」
「何も。」
タクロウは苦笑した。
「少なくとも、俺にはそう思えました。」
彼はゆっくりと顔を上げた。
「ただ、一度だけ......妙なことを聞かれたんです。」
「妙なこと?」
「ええ。」
タクロウの脳裏に、あの日の光景が浮かび上がる。
何でもない日常。
いつもと変わらない、ありすの笑顔。
そして――。
『何があっても、私を信じてる?』
「......あいつは、俺に聞いたんです。」
タクロウの声が、わずかに震えた。
「何があっても、自分を信じていられるか、と。」
メグミは、じっと彼を見つめた。
「......お前は、何と答えた?」
タクロウは目を伏せた。
「......深く考えずに、信じていると答えました。」
「それで、ありすは?」
「笑っていました。」
タクロウは、かすかに唇を噛んだ。
「いつもと同じように。」
その笑顔の裏に何が隠されていたのか。
あの時の自分には、知る由もなかった。
「......隊長。」
タクロウは、メグミを見つめた。
「この街、『条例都市』がなぜ、誕生したのか、理由はわかりますか?」
「ああ、以前市長から聞いたことがある。」
「では、我々『執行部』に関しても?」
「......聞いている。」
「市長は、『自分と同じ、理不尽な苦しみ、悲しみをつくらない街にする』
と、仰っていた。」
「ええ、その通りです。」
「『執行部』の選定者は、同じ苦しみを分かつ者が、選ばれている、とも。」
「はい。その通りです。」
「私は、母の意思でここにいる、イレギュラーですけどね。」
寂しそうな顔で、カナメが割り込む。
「......カナメ。」
「では、『執行部』のメンバーに、恨み辛みがないのは、
どういうことだと思いますか?」
「?」
タクロウの言葉に、メグミは首を傾げる。
「隊長、疑問に思ったことはありませんか?」
「何だ?」
「『執行部』のメンバーが、苦しみをどうやって乗り越えられたのか。」
「......何が言いたい?」
「隊長は、執行された者たちがその後、どうなるかご存じでしょう。」
タクロウの言葉に、メグミは呟いた。
「......『更生』。」
通常、条例違反した者は連行後、『更生』されて戻されている。
連行された者が、連れていかれる一室。
そこには、ベッドのような機械があり、そこで記憶を改ざんされる。
ある者は、のめり込んでいたものに、興味がなくなり。
また、ある者は好きだったことに、興味を示さなくなる。
改ざんというよりは、暗示に近い。
1日ほどで、解放されるのだが、機械に繋がれた者は、
その中で長い時間を過ごしている感覚に見舞われる。
「そうです。『更生』され、解放される。」
「それが、一体?」
「では、取った記憶や思いが、どうなるのか、ご存じですか?」
「......ALICEのメモリに保存されるのではないのか?」
「......ええ。メモリに保存されていきます。」
「では、そのメモリとは?」
「何を言っている?機械の記憶媒体だろう?」
「......私が聞いているのは、その媒体となっている『モノ』です。」
聞いているメグミは、意味が分からなかった。
「......どういう意味だ?」
「隊長は、ALICEがどのようにして、
人の記憶を保存しているのか、ご存じですか?」
タクロウに代わり、カナメが問いかけた。
「記憶媒体にデータとして保存しているのではないのか?」
「通常のシステムなら、そうでしょう。」
カナメは、静かに答えた。
「ですが、ALICEは違います。」
「......何が違う?」
カナメは、すぐには答えなかった。
その視線が、ゆっくりとタクロウへ向けられる。
タクロウは何も言わず、目を伏せていた。
「......タクロウ?」
メグミが声をかける。
しかし、彼は顔を上げなかった。
「......隊長。」
やがて、タクロウが口を開いた。
「ALICEは、ただのシステムではありません。」
「......どういうことだ?」
「人の記憶を保存し、解析し、行動を予測する。その中枢には……。」
そこで、言葉が途切れた。
タクロウは、強く拳を握りしめた。
「......ありすがいるんです。」
「......何?」
メグミの表情が凍りついた。
「ありすが......いる?」
「......はい。」
「どういう意味だ。ありすは、もう......。」
言葉が続かなかった。
ありすは、すでに亡くなっている。
それなのに、ALICEの中枢にいるという。
「........まさか。」
メグミの脳裏に、あの記憶が蘇った。
白い部屋。
ありすの姿。
そして、自分を見つめる優しい瞳。
『あなたは、私が守るから。』
「........ありすは、ALICEの中にいるのか?」
タクロウは、ゆっくりと顔を上げた。
「........正確には。」
一瞬、言葉をためらう。
「ありすの脳が、ALICEの中枢になっているんです。」
「........え?」
メグミは、目の前の男を見つめた。
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
ありすは、もうこの世にはいない。
それなのに、その脳がALICEの中枢になっている。
「........そんなことが。」
声が震えた。
脳裏に浮かぶ、白い部屋。
自分を見つめる、優しい瞳。
メグミは、胸元に手を当てた。
「........お前は、それを知っていたのか?」
タクロウは答えなかった。
ただ、目を伏せたその顔には、
長い年月を経ても消えることのない後悔が浮かんでいた。




