願い
「......タクロウ。」
メグミの問いかけに、タクロウは目を伏せたまま答えなかった。
「お前は、知っているな?」
「......。」
「私が生まれた理由も。
ありすが、私を生んだ理由も。」
静かな部屋に、メグミの声だけが響く。
タクロウはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「......すべてを知っているわけではありません。」
「嘘だ。」
メグミは即座に言い切った。
「なら、なぜあの時、私に『自分を責めないでください』なんて言った?」
「......。」
タクロウは答えない。
その沈黙が、何よりの答えのように思えた。
「タクロウ......。」
メグミが一歩、近づく。
「お前は、私のことをずっと知っていたのか?」
「......いいえ。」
タクロウは静かに首を横に振った。
「隊長が生まれた時のことは、知りません。」
「なら、何を知っている?」
「......ありすのことです。」
その名前を聞いた瞬間、メグミの胸が締め付けられた。
頭の中に、先ほど見た映像が蘇る。
白い部屋。
ベッドに横たわる女性。
その隣に立つ、ありす。
そして――
赤ん坊を抱く、ありすの姿。
「......ありすは、私のことをどう思っていた?」
タクロウが答えようとした、その時だった。
「大切にしていたと思います。」
代わりに口を開いたのは、カナメだった。
「......カナメ。」
「母から聞いた話です。」
カナメは静かにメグミを見つめた。
「ありすさんは、隊長が生まれる前から、ずっと隊長のことを気にかけていたそうです。」
「私が......生まれる前から?」
「はい。」
カナメは頷いた。
「研究がうまくいかない時も、何度も計画をやめようとしたそうです。」
「......なら、なぜ?」
「それでも、最後には続けた。」
カナメは少しだけ視線を落とした。
「母は、その理由をこう話していました。」
「......何?」
「ありすさんは、自分の命が長くないことを知っていたそうです。」
メグミの表情が固まった。
「......命が?」
「はい。」
「それなのに......。」
メグミは言葉を失った。
ありすは、自分の命が長くないと知りながら、研究を続けた。
その先に何が待っているのか。
どんな結末を迎えることになるのか。
それを、どこまで分かっていたのだろう。
「どうして......そこまでして......。」
誰に問いかけるでもなく、メグミは呟いた。
すると、カナメがゆっくりと口を開いた。
「......母が言っていました。」
「ありすさんは、隊長のことを『実験体』とは呼ばなかったそうです。」
「......。」
「いつも、『この子』と呼んでいたそうです。」
その言葉に、メグミの瞳が揺れた。
「研究者としてではなく......一人の人間として見ていたんだと思います。」
カナメの声は静かだった。
「だからこそ、ありすさんは、自分がいなくなった後のことも考えていたんだと思います。」
「......私のことを?」
「はい。」
カナメは頷いた。
「隊長の出生記録を残したのも、そのためだったのかもしれません。」
「でも......どうして、私に何も伝えなかった?」
「それは......。」
カナメは言葉を詰まらせた。
「私にも分かりません。」
その答えを聞き、メグミは俯いた。
自分の出生。
ありすの存在。
複製体という事実。
そして、ALICE。
知らないことばかりだった。
それでも、一つだけ分かったことがある。
ありすは、自分を生み出すために何かを犠牲にした。
それが、自分自身の命だったのかもしれない。
「......カナメ。」
「はい。」
「母上が預かった、もう一つの頼み事。」
メグミは顔を上げた。
「それは、本当に『最終工程』だけなのか?」
カナメは答えなかった。
「お前の母上は、ありすから何かを託された。」
「......はい。」
「だったら、その時のことを最後まで聞いているはずだ。」
「......。」
「何か、ほかにも言葉を残していたんじゃないのか?」
カナメはしばらく黙っていた。
そして――
ゆっくりと目を閉じた。
「......ありました。」
「......!」
メグミが息を呑む。
「母が亡くなる少し前に、話してくれました。」
カナメの声が、わずかに震える。
「ずっと、母の中に残っていた言葉だそうです。」
「それは......?」
カナメはメグミを真っ直ぐに見つめた。
「ありすさんが、母に最後に託した言葉です。」
短い沈黙。
そして――
「......この子が、幸せに生きることを。」
メグミの瞳が大きく開かれた。
その瞬間だった。
頭の奥で、何かが弾けた。
――白い部屋。
――小さな泣き声。
――誰かに抱かれている感覚。
そして――
目の前に立つ、一人の女性。
優しい目。
自分を見つめる、その顔。
「......あなたは......。」
女性が、静かに微笑む。
「あなたは、私が守るから。」
「......ありす......。」
メグミの頬を、一筋の涙が伝った。
それが、自分自身の記憶なのか。
それとも、ALICEに残された記録なのか。
メグミには分からなかった。
ただ――
その言葉だけは、不思議なほど胸の奥に残っていた。
「......私を、守る......。」
小さく呟く。
その後ろで、タクロウは何も言わなかった。
ただ、強く拳を握りしめていた。
カナメもまた、黙ってメグミを見つめている。
誰も口を開かない。
重い沈黙だけが、その場を包んでいた。
やがて、メグミはゆっくりと顔を上げた。
ありすは、なぜ自分を生んだのか。
なぜ、自分を守ろうとしていたのか。
そして――
なぜ、その命をALICEに捧げたのか。
その答えを知っているのは――
目の前にいる、タクロウなのかもしれなかった。
「ありす、君は......。」
タクロウは、あの時のありすを思い出していた。
「......あの時、君は......。」
――何があっても、私を信じてる?
――何? 急に。
あの日、ありすはいつもと変わらない笑顔で、そう尋ねた。
しかし、その瞳の奥には、どこか寂しげな色が浮かんでいた。
あの時、もっと深く聞いていれば。
彼女の言葉の意味を、考えていれば。
何かが変わっていたのだろうか。
「......ありす。」
タクロウは、そっと目を閉じた。
「......タクロウ?」
声に気づき、ゆっくりと振り向く。
そこには、どこかありすの面影を感じさせるメグミが、自分を見つめていた。
「......隊長。」
タクロウは、メグミの瞳を見つめた。
教えなければならないかもしれない。
自分の知る、全てを。




