約束
ありすは長い廊下を歩いていた。
大きな扉の前に立つと、手にした資料に目をむける。
コンコン
ノックのあと、部屋の中から男と声が聞こえた。
「どうぞ。」
「......失礼します。」
「無理しているな。」
部屋に入ったありすの顔を見て、渋い顔をした。
「......わかりますか。」
「顔を見ればわかる。」
「ええ。でももう少しです。もう少しなんです。」
手元の資料に一度目を落とす。
そして、それを市長へ手渡した。
「杉野くん......。」
資料へ目を落とした市長が、何かを言いかけて、やめた。
「......本当に、これをやるつもりなのか?」
「はい。」
迷いない返事だった。
受け取った資料を開き、ページをめくっていく。
そこには、これまでの研究記録とは異なる内容が記されていた。
「この計画こそ、成功する保証はない。」
「分かっています。」
「君の身体にも、大きな負担がかかる。」
「それも分かっています。」
「それでも......やるのか?」
市長の問いに、ありすは黙っていた。
沈黙の後、静かに口を開く。
「この子には、未来があります。」
「......。」
「だから、私ができることをしたいんです。」
市長は資料を閉じ、机の上に置いた。
「......彼は、知っているのか?」
その言葉を聞いた瞬間、一瞬ありすの表情が曇った。
「......いいえ。」
「なぜだ。」
「言えません。」
「彼なら、君を止めるだろうな。」
「......はい。」
ありすが小さく笑う。
「きっと、全部投げ出してでも、止めるでしょうね。」
「それほど、君を大切にしているということだ。」
「......それも、分かっています。」
ありすは自分の足元に視線を落とす。
「だから......言えないんです。」
しばらく、部屋に沈黙が流れる。
やがて、ありすは自分おお腹へそっと手を添える。
「この子まで、巻き込みたくない。」
市長は、静かに見つめていた。
「君は......優しいな。」
「違います。」
ありすは首を横に振る。
「私は、怖いだけです。」
「怖い?」
「はい。」
ありすは自分のお腹へ視線を落とす。
「私がいなくなったあと、この子がどうなるのか。」
声が、わずかに震えていた。
「誰が、守ってくれるのか。」
「......。」
「だれが、この子の未来を作ってくれるのか。」
市長は何も言わなかった。
ありすは顔を上げる。
「だから、お願いがあります。」
「......何だ。」
「この子を守ってください。」
市長の目が細くなる。
「私がいなくなったあとも。」
「......。」
「この子が、普通に笑って、普通に生きられるように。」
ありすは深く頭を下げた。
「お願いします。」
市長はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと立ち上がる。
「顔を上げなさい。」
ありすが顔を上げると、市長は真っすぐ見つめていた。
「これは、私の願いでもある。」
「約束しよう。」
「......。」
「君が望む未来を、この子に与える。」
市長の言葉に、ありすの目に涙が浮かぶ。
「......ありがとうございます。」
「だが、一つだけ条件がある。」
「条件?」
市長は、机の上に置かれた資料へ視線を向ける。
「この計画を、必ず成功させることだ。」
「......はい。」
ありすは笑った。
「必ず。」
部屋を出たありすは、長い廊下を一人、歩いていた。
笑顔は消え、手には先ほどの資料を持っている。
そしてもう一度、自分のお腹へ手を当てる。
「......大丈夫。」
誰に言うでもなく、呟く。
「あなたは、私が守るから。」
部屋に一人残った市長は、窓の外を見つめていた。
机には、ありすが置いていった資料。
資料の脇にある、写真たてに目を向ける。
幼い少女が、楽しそうに笑っている。
視線を資料に戻し、呟く。
「......これが、本当に正しいのなら。」




