師弟と親子
「……なぜ、お前なんだ。」
タクロウの名前を見つめながら、メグミは静かに考え込んだ。
――佐野拓樹。
執行部のメンバー候補名簿に記されていた名前。
彼は執行部の一員となり、今は「タクロウ」という名で生きている。
ありすほどではないが、優秀な頭脳を持ち、武術にも長けた男だった。
今の私の体術は、元を辿れば彼から教わったものだ。
訓練では何度も投げ飛ばされ、そのたびに立ち上がった。
そして、ふと思い出す。
訓練の最中、ときおり見せていたあの表情。
どこか寂しさを湛えながらも、優しさを失わない瞳だった。
* 数年前*
「まだまだ。」
タクロウへ向かって踏み込む。
しかし、手が届く寸前で身体を軽く躱された。
次の瞬間――
「っ!?」
メグミの身体が宙を舞う。
床へ叩きつけられる――そう思った瞬間、タクロウは腕を掴み直し、
その勢いを殺すように優しく受け止めた。
何事もなかったかのように、静かに床へ下ろされる。
何が起きたのか理解できず、メグミは目を丸くした。
「今のは……。」
「合気道に近いかな。」
差し出された手を取り、メグミは立ち上がる。
「本来なら、そのまま地面へ叩きつけるまでが一連の流れなんだけどね。」
「でも、これは訓練だから。」
そう言って、タクロウは穏やかに微笑んだ。
「……すごい。」
メグミの目が輝く。
「もっと教えてくれ!」
「もっと強くなりたい!」
「やれやれ。困ったお姫さまだ。」
困ったように笑うタクロウを見て、メグミも笑みを浮かべる。
「もっと色々教えてくれ、タクロウ。」
その屈託のない笑顔に、タクロウは一瞬だけ言葉を失った。
「そうだね。」
「いつか……君のためになる日が来るかもしれない。」
「そうだな。力を得れば、私はもっと強くなれる。」
「……そういう意味ではないんだけどね。」
頭を掻きながら苦笑するタクロウ。
その瞳には、一瞬だけ寂しさが宿っていた。
「どうして、そんなに強くなりたいんだい?」
そう尋ねながら、タクロウはタオルをメグミへ手渡す。
「私は......市長の『娘』だと思っている。」
受け取ったタオルで汗を拭きながら、メグミは答えた。
「みんなが私を見る。」
「でも、私は何も知らない。何もできない。」
悔しそうな表情でタクロウを見つめる。
「……。」
「それが嫌なんだ。」
タクロウは何も答えなかった。
ただ、そんな彼女を優しく見つめていた。
* 現在*
コンコン。
扉を叩く音に、メグミは現実へと引き戻された。
「なんだ?」
「失礼します。」
部屋へ入ってきたのはカナメだった。
「隊長。先ほどのログ解析結果ですが。」
「ああ。わかっている。」
「『佐野拓樹』という人物とは、一体……?」
「『彼』は……一時的にシステム構築へ関わっていた男だ。」
「一時的......?」
「そうだ。正式な開発者ではない。
杉野ありすと共にシステムの基礎を築いた、初期のメンバーの一人だった。」
「では、その人物が今回の件の?」
「いや。」
メグミは静かに首を横へ振る。
「『彼』ではない。」
「……?」
意味が分からず、カナメは首を傾げた。
佐野拓樹という名の男は、もうここにはいない。
彼女が知っているのは――
『タクロウ』という名で生きる、一人の男だけだ。
「この件は、しばらく皆には伏せておいてくれ。」
「隊長?」
「頼む。」
「……わかりました。」
カナメが部屋を出ると、再び静寂が戻る。
「……タクロウ。」
メグミは小さく、その名を呟いた。
杉野ありすが愛した男。
そして、自分に力を与えてくれた師。
もし彼が、何かを知っていたのなら――
なぜ、何も言わなかったのか。
なぜ、私に教えてくれなかったのか。
答えのない問いだけが、静かな部屋に残っていた。
カナメが退出したあとも、メグミはしばらくモニターを見つめていた。
そこに映るのは、いつもと変わらない街の風景。
だが、彼女の心はもう以前とは違っていた。
自分に力を与えてくれた師。
その人は、本当に何も知らなかったのか。
それとも――すべてを知ったうえで、何も語らなかったのか。
彼女の胸に芽生えた疑問は、簡単には消えそうになかった。




