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条例都市  作者: こころ
30/45

監視するもの

電車に揺られながら本を読んでいた。

アナウンスが目的の駅名を告げる。

本を閉じ、席を立つと、窓には雨粒が静かに流れていた。

改札を抜け、勤め先である塾の入ったビルへ向かう。

交通量の多い道路に面したその場所は、

今日も雨の中、多くの人が行き交っている。

傘を差しながら歩いていると、ふと、あの日のことを思い出した。

「あの日も……雨だったな。」


ビルの前に着く。

以前なら、送迎の車が何台も路上に並び、

子どもたちを降ろしては走り去っていく光景が当たり前だった。

しかし、あの日を境に、その風景は消えた。

路上駐車する車はなくなり、子どもたちは傘を差しながら、

それぞれ歩いてビルへ入っていく。


男もまた、その流れに続いてビルの中へ入っていった。

エレベーターで塾のある階へ上がると、

廊下の窓から外を眺める塾長の姿があった。

「おはようございます、塾長。」

「おはようございます、金井先生。」

挨拶を交わすと、塾長は再び窓の外へ視線を向けた。

「すっかり、なくなりましたね。」

男も隣に立ち、同じ景色を見下ろす。

「今までがおかしかったのでしょう。」

二人の脳裏には、先日起きた出来事が鮮明によみがえっていた。

送迎の車に声を掛ける「執行者」。

そして、違反者として何人もの保護者がその場から連行されていった光景。

「あの人たちは、その後どうなったのでしょう。」

男は以前から気になっていたことを尋ねた。

「先日、一人のお母さんが菓子折りを持って挨拶に来られましたよ。」

「え?」

「今まで路上駐車で迷惑を掛けていたことへの、お詫びだそうです。」

「そうだったんですか……。」

塾長は静かに頷き、雨の降る道路を見つめたまま口を開く。

「『子どものため』という思いが、

いつの間にかルールを破る理由になってしまっていたのでしょうね。」

「……塾長。」


その横顔を見た男は、一瞬だけ息をのんだ。

穏やかな口調とは裏腹に、その表情はどこか冷たい。

まるで道路を眺めているのではなく、

一台一台の車を監視しているかのような目だった。

「塾長?」

男が声を掛けると、

塾長は何事もなかったかのように腕時計へ目を落とした。

「そろそろ授業の時間です。今日もよろしくお願いします。」

男の肩を軽く叩き、ゆっくりと歩き去っていく。

「……気のせい、だったのかな。」

違和感を覚えながらも、男は教室へ向かった。

授業が始まると、各教室から講師たちの声が聞こえてくる。


その頃、一人の少女が非常階段を必死に駆け上がっていた。

開始時間に間に合わず、エレベーターにも乗れなかったのだ。

「もう……これも、お母さんが送ってくれなくなったから。」

あの日以来、母は車での送迎をやめた。

どんな天気でも、必ず歩いて塾へ向かうようになったのである。

少女はようやく階段を上り切り、扉を開けた。

「おはようございます、塾長。」

窓際に立っていた塾長が穏やかに微笑む。

「おや、遅刻ですよ。早く教室へ入りなさい。」

「はい!」

少女は頭を下げ、急いで教室へ走っていった。

塾長は再び窓際へ歩み寄る。

暗い道路に、雨に照らされたヘッドライトが浮かんでいた。

その中の一台が、ゆっくりとビルの前へ停車する。

「……やれやれ。」



小さくつぶやくと、ポケットからスマートフォンを取り出し、

どこかへ電話を掛けた。

「……はい。そうです。また、違反者と思われます。」

しばらく無言で相手の話を聞く。

「……いえ、大丈夫です。ええ、よろしくお願いします。」

通話を終えた塾長は、スマートフォンをしまい、

再び雨の降る道路へ視線を向けた。

その目は、一台の車も見逃そうとはしていなかった。


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