第020話:泥臭い耐久戦(ハードウェア・リミット)と鋼鉄の防壁 ――Re:Build(後編)――
バグ報告書:前回までの「異世界エンジニア」は~
教会の追撃部隊に捕捉された零とアッシュは、空を覆う広域殲滅魔法の雨に晒される。
即席の塹壕を掘り、自作モジュールを用いた決死の「ペルチェ冷却(強制水冷)」で極限の耐久戦に挑むが、数万のパケット処理に耐えきれず、ついに相棒であるデバイス(ナビ)が熱限界を突破し、
物理的に砕け散ってしまう。
防壁が消失し、絶体絶命の窮地に陥った二人の前に立ち塞がったのは、
身の丈を超える鋼鉄の特大盾を構えた元聖騎士団長・アルフレッドと、
巨砂蜥蜴を駆る豪商ハディージャだった。
圧倒的な物理装甲で魔法の嵐を二つに割って弾き返し、追撃部隊を蹴散らした彼らに救出された零たち。無残に壊れ、沈黙した相棒の残骸を強く握りしめ、零は教会の監視網を弾き返す唯一の中立地帯、自由学術都市『アル・バザール』へとついに足を踏み入れる――。
巨砂蜥蜴の背に揺られながら、俺は手の中に残された相棒の残骸を強く握りしめた。
熱膨張でひしゃげたアルミ筐体と、バキバキに砕け散ったガラス画面の鋭い断面が、火傷でただれた手のひらにチクリと食い込む。
電源ボタンを何度押し込んでも、冷え切った基板からは一切の反応が返ってこない。
やがて、乾いた風の向こうに巨大な城壁が見えてきた。
城門の少し手前で巨砂蜥蜴が重々しい歩みを止め、俺たちは熱を帯びた地面へと降り立った。
商人たちや荷降ろしの活気に満ちた喧騒の中を抜け、自らの足で巨大なゲートへ足を踏み入れようとした、その瞬間。
――バチィッ!
「ぐあっ!?」
視界の端で強烈な赤色のエラー光が弾け、見えない壁に全身を殴りつけられたような鋭い痛みが走った。
ポケットに入れたままだった教会の『聖貨』が、ゲートのセンサーと反応して異常な高熱を放っている。
肌を焼く痛みに顔を歪めた直後、アッシュが無言で特殊な革袋を俺のポケットに押し込んだ。
痛みが、嘘のようにスッと消え去った。
息を荒げる俺に、アッシュは何も言わず、ただ顎でゲートの奥をしゃくった。
革袋――ファラデーケージで聖貨の通信電波(Ping)を物理的に遮断しなければ、
強烈な魔力ジャミングで弾き飛ばされるという完璧な防壁ロジックを、俺は全身の痛みを通して理解した。
ゲートをくぐり、都市の内側へ入る。
途端に、今まで頭をガンガンと叩き続けていたノイズが完全に途絶え、
耳鳴りがするほどの異常な静寂に包まれた。
だが、安堵よりも先に、俺は致命的な事実に気がついた。
周囲を歩く商人たちの話し声が、何一つ理解できない。
俺の耳には、ナビの『逆翻訳エンコード』を行うクリップデバイスがついたままだ。
だが、本体であるナビが完全に沈黙した今、俺は異世界人とのコミュニケーション手段を完全に喪失していた。
今更ながら。
ここでもナビに頼りっきりであった無力感を思い知らされる。
その相棒を失ってしまった喪失感。不安。
様々なものがないまぜになり、俺の足取りは疲労以上に重かった。
* * *
都市の中心にある豪奢な拠点へ案内されると、高級な絨毯の敷かれた部屋の奥に、
巨大な鋼鉄の大盾と赤錆の魔導鎧を傍らに置いた大男――元聖騎士団長アルフレッドが座っていた。
「……@*&%#$、奇蹟殺し」 彼が重々しい声で何かを語りかけてきたが、俺には全く分からない。
「……ハディージャ様。本当に、このような薄汚れた無力な男に莫大な投資をするおつもりですか」
傍らに控えていた褐色の美少年、ザインが冷ややかな侮蔑の目を俺に向けていた。
彼らの言葉は分からないが、その視線に含まれた明確な「疑念」と「見下し」だけは、肌を刺すように伝わってきた。
「あの圧倒的な教会の暴力を前に、この男はただ土の穴に隠れて震えていただけです。
我々が介入しなければ、ただの消し炭になっていた無力な存在にしか見えませんが」
ザインの辛辣な視線と声色に対し、横にいたアッシュがボソボソとした気怠げな声で口を挟んだ。
「……はぁ。やれやれ、随分と底の浅いお坊ちゃんですね。
あなたたち、この人が本当に『ヤバい』ところを見ていないから、そんなつまらない評価ができるんですよ。
この黒い板と、彼のイカれた思考回路が組み合わされば、教会の強固なシステムなんて……」
アッシュが擁護してくれているらしい。
だが、当の俺は、口を開くことすらできない。
ナビというインフラを失った俺は、自分の価値を証明することも、彼らと対等に交渉することもできない、ただの無力な異物だ。
その圧倒的なもどかしさとストレスに、俺はギリッと奥歯を噛み締めた。
俺はゆっくりと前に進み出ると、黒焦げになり画面の砕け散ったiPadを、ハディージャたちの前のテーブルにそっと置いた。
そして、関所を破壊した後も密かに練習していた、彼らの言語を必死に絞り出す。
「……コ、れ。トもだテ。トもだテ。で。ナお、シテ。……オねガい、シまス」
―通じてくれ。
祈るような気持ちで彼らの反応を待つ。
ザインが深いため息をつき、侮蔑の目をさらに強めた。
だが、ハディージャは妖艶な笑みを崩さず、両手を広げた。
「ええ。もちろんよ。でも……今のままでは致命的ね。
言葉という最も基本的な『契約』すら交わせないようじゃ、どうにもならない。いまのあなたは不良債権よ」
ハディージャの言葉の意味すら分からず、俺がうなだれたその時。
部屋の奥の重厚な扉が開き、一人の老人が静かに姿を現した。
「……どうやら、技術を交わす前に、まずは互いの言葉を理解しあう必要があるようじゃな。よければ、私が教えよう」
粗末だがよく手入れされた法衣を着た老人が、穏やかな瞳で俺を見つめ、目の前に立つ。
「あらそ。」「それならお願いしますわ、枢機卿」
「元、だ」
「そうでしたわね?」
彼らの交わす言葉はわからないが。
「あ、あなタ わ?」
「ヨハネス、じゃ」
目の前の翁は、俺をみて優しく微笑んだ。
* * *
それから数週間の間、俺は来る日も来る日もその老人――ヨハネスと向き合い、
この世界の言語を脳内に直接インプットする作業(学習)を繰り返した。
その過程で、俺は彼がただの落ちぶれた祭司ではないことを知った。
彼は俺が不意に口にする現代のIT概念や論理構造の例え話を、驚くべき速度で理解し、
この世界の魔法の法則へと見事に翻訳してみせた。
彼は世界のシステムの深淵を熟知している。
そして、ようやく不自由なく会話のキャッチボール(同期)が成立するようになった日。
「……ようやく、意思の疎通ができたな、異世界の技術者よ」
「ああ。あんたのおかげだ、ヨハネス。……で、ハディージャが用意してくれた機材で、こいつを直接魔力駆動に直す算段はついたが……
やっぱり「中央演算処理装置」(CPU)がないと、外で吹き荒れてる教会の異常なデータ通信量には耐えられない。
一歩でも都市の外に出れば、また一瞬で熱暴走して終わっちまう」
俺の言葉に、ヨハネスは静かに頷き、懐からひとつの魔石を取り出した。
「ならば、私が隠し持っている……これを、提供しよう」
俺は息を呑んだ。 それが何なのかは正確には分からない。
だが、これまでの教会が使っていた安っぽい魔石とは次元が違う。
あまりにも高純度で、莫大なエネルギー(演算リソース)を内包した「とんでもなくヤバい代物」であることだけは、直感で理解できた。
「……待て。そんなヤバそうな代物を、なんでただの祭司のあんたが隠し持ってるんだ?」
俺が目を細めて問うと、ヨハネスは何も答えず、ただ静かに進み出た。
そして、その高純度な魔石を、砕けたiPadの露出した基板へと直接押し当てた。
――バチィッ!
「うおっ!?」
その瞬間、砕け散って完全に死んでいたはずのiPadの画面が、一瞬だけショートしたように強制起動した。
ひび割れた液晶の隙間から強烈な光が漏れ出し、空中にノイズ混じりのホログラム映像を不規則に投影する。
空間に映し出されたのは、かつてのコンクラーベ(次期教皇選)の光景。
ヨハネスが提出した美しく理知的な『改革案』が、
現教皇グレゴリオの提示した禍々しい『悪魔の集金システム』が弾き出した【莫大な利益見込み(リソース・プロジェクション)】の前に、
無惨に棄却され、ゴミ箱へとデリートされていく絶望のログデータだった。
「っ、ハァッ……!」
自らの利益の最大化を望む強欲な枢機卿たちが一斉にグレゴリオのシステムを支持し、
正しいコードが強欲に押し潰された冷たい敗北の記憶が、濁流のようにホログラムから流れ込んでくる。
激しい眩暈にふらつく俺を、ヨハネスが静かな瞳で見つめ返している。
目の前に立つ老人が、正しいアーキテクチャ(思想)を守ろうとして敗れ去った、
孤独なシステム設計者(元・最高幹部)であることを、俺は身をもって理解した。
「……あんたの無念、確かに受け取ったぜ」
俺は痛む手で、再び砕けた相棒を強く握り直した。




