第018話:ソーシャル・エンジニアリング ――白銀の十字架(後編)――
バグ報告書:前回までの「異世界エンジニア」は~
現代日本の創薬エンジニア・閃 零は、教会の「奇跡」という名のバグを次々と破壊し、ついにシステム管理者(教皇)への全面戦争を宣言。
全世界から最高レベルで指名手配されながらも、新たな仲間と共に反撃の拠点「アル・バザール」へと歩みを進める。
一方その頃――かつて教会の正義を純粋に信じ、民衆の光として輝いていた聖騎士団長・アルフレッド。
彼は教会の深部で「死者蘇生」という、命を金で縛る非道な集金システムの真実を直視してしまう。
怒りのままにその残酷な機械を破壊しようとした彼だったが、突如として副長バルカスと、彼が最も信頼していた部下全員から涙ながらに刃を向けられ、
理由も分からぬまま決定的な絶望の中で拘束された。
「異端者」としてすべてを奪われたアルフレッド。
そして今、過酷な死の砂漠の上空十数メートルで、彼を乗せた『浮遊教区船』のハッチが冷酷に開かれる――。
「反逆者・アルフレッドよ。そなたはこれまで教会のよき模範であり、光であった……」
冷たい風が吹き荒れる、上空十数メートル。
教会の監視網を広げるための小型施設『浮遊教区船』の開かれたハッチの縁で、
私は水を掛けられ強制的に覚醒させられた。
吹きすさぶ冷たい風が私の体力を奪っていく。
私を見下ろす【聖域追放官】が、分厚い羊皮紙を広げて仰々しく読み上げている。
「長きに渡り、教会の正義を体現してきたその功績は大きい。だが、もはやその魂は悪魔に魅入られ、教義に刃を向けるまでに堕ちた」
強風に煽られながら、追放官がくどくどと並べ立てる言葉は、ただのノイズとして私の耳を通り抜けていく。
要するに「お前は広告塔としてよくやってきたが、もう用済みだ」というだけの話だ。
私は両腕と両足に分厚い鉄の枷をはめられ、誇りだった白銀の剣すらも奪われた状態で、ただ無感情にハッチの底の熱砂の大地を見下ろしていた。
身体が芯まで冷えていく。
「……なお、そなたの白銀の鎧からはその権限と輝きを剥奪する。更に、その身で魔法を行使しようとすれば、その鎧はたちまち重さを増し、そなた自身を押し潰すだろう」
追放官が冷ややかな笑みを浮かべる。
「そなたの民衆からの支持は絶大である。教皇猊下も、今回の件にはひどく御心を痛めておいでだ。……ゆえに、本来であれば異端者として処刑が妥当であるが、猊下の慈悲深きお沙汰を言い渡す」
「アルフレッド。そなたを”聖域追放”とする!」
ドンッ!
追放官の革靴が、私の背中を強く蹴り飛ばした。
『浮遊教区船』があっという間に遠くなる。
ヒュガアアアッ、と耳元で風が鋭く鳴る。
急速に迫る熱砂の大地。
私は態勢を変え足裏が砂に触れる寸前、両手両足の枷の重さに耐えながら、膝と腰を極限までしならせ、前転して熱砂を深く抉り取る。
ズシィィィンッ! と赤錆の重い鎧が鳴り、凄まじい衝撃が骨を軋ませたが、私はそのまま大地に立ち上がった。
首を振り、口から砂を吐き出し、指で目をこすり異物を取り出そうと試みるがうまく取り出せず、涙が出た。
それでも違和感はまだ拭えない。
半開きの視界には見渡す限りの赤茶けた砂漠。
――ドドド、ドドドドド……!
着地の重い振動を嗅ぎつけ、即座に足元の砂丘が爆発したように吹き飛んだ。
砂煙の中から現れたのは、直径が三メートルはあろうかという巨大なミミズだ。
すり鉢状に並んだ無数の鋭い牙をびっしりと生やした大口を開け、私を丸呑みにせんと迫り来る。
「シッ!」
巨大ミミズの口が私を飲み込む寸前。
私は自らその口腔へと踏み込み、両腕にはめられた分厚い鉄の枷を、全身のバネを使って内側から上顎へと全力でカチ上げた。
ギギャアアアッ! という甲高い絶叫。
私の腕力と枷の重量が直撃した分厚い肉の筒は、脳天まで内部から無惨に破裂し、黄色い体液と消化液の悪臭が砂漠の熱気にぶち撒けられる。
だが、問題はここからだ。
見渡す限りの赤茶けた砂漠。
太陽の位置でおおよその方角は分かるが、ただ闇雲に歩けば確実に熱と渇きに殺されるだろう。
教会の追放官が私をここに落とした理由を考えるならば。
目指すべき場所は一つしかない。
教会の『奇跡』が一切届かない影響圏外。
独自の物理障壁で教会の監視網を弾き返す唯一の中立地帯――自由学術都市『アル・バザール』。
かつて聖騎士団長として教会の監視網の及ぶ範囲を完全に把握していた私は、その都市の存在を知っていた。
私は目を閉じ、あえてほんのわずかに、極小の『治癒魔法』を起動しようと試みた。
瞬間、私が纏う赤錆の魔導鎧が、教会の広域伝達網と接続しようと反応し、即座にその重さを増大させる。
ズンッ、と両肩に鉛のような重さがのしかかり、骨が軋んだ。 だが、私はその重圧に耐えながら、ゆっくりと身体を東西南北へと向けていく。
東……重い。教会の監視網が濃い。 北……重い。 南……。
「……ここか」
南西の方角へ身体を向けた時、鎧の重さが『ほんのわずかだけ』軽くなった。
教会の伝達網の応答速度が遅い、つまり監視網が薄い証拠だ。
この赤錆の十字架は、皮肉にも教会から最も遠ざかるための『完璧な羅針盤』として機能していた。
「感謝します、教皇猊下。この”呪い”は、私の道標として使わせてもらいましょう」
私は皮肉気に呟き、魔法を完全に切って鎧の重さをリセットした。
そして魔物の遺骸を背に、迷いのない足取りで教会の監視が届かない自由の地がある南西の方角へと、歩みを進め始めた。
三日目の深夜。
凍てつくような冷気の中、わずかなまどろみに落ちていた私の耳を、カチ、カチ……という不気味な顎の音が打つ。
暗闇の砂丘から姿を現したのは、馬ほどの巨体を持つ八本足の砂蜘蛛だった。
休む間も与えられず、私は再び立ち上がる。
飛びかかってくる砂蜘蛛の前足が空を切る。
私はそれを左肩の鎧部分で逆に弾き返す。
ガンッ!
砂蜘蛛がのけ反る。
私はその一瞬のスキを見逃さず、砂蜘蛛の頭蓋に、鎖のついた両手の枷をハンマーのように叩きつけた。
緑色の血が赤錆の鎧を染め上げる。
砂蜘蛛はそれきり、動かなくなった。
だが、睡眠を削られた代償は大きく、極度の寝不足が私の思考に濃い霧をかけ始めていた。
五日目の日中。
頭上から容赦なく照りつける太陽が、私の体内の水分を根こそぎ奪っていく。
ひび割れた大地から湧き出したのは、鋼の顎を持つ巨大な装甲大蟻の群れだった。
一匹の顎を枷で弾き返した瞬間、背後の蟻たちが一斉に腹部を持ち上げ、黄色い強酸の飛沫を雨のように吐き出した。
疲労した脚では、すべてを躱し切ることは不可能。
――それなら。
私はあえて避けず、両手首と両足首を縛る「分厚い鉄の枷」を、強酸の軌道上へと正確に突き出した。
ジュウウウウッ!! 強酸の飛沫が鉄を濡らし、けたたましい白煙と鼻を突く異臭を上げて、拘束具を急速に腐食させていく。
装甲の隙間から入り込んだ酸のしぶきが私の肌を直接焼き、激しい痛みが神経を苛む。
「~~っあぁあああああ!!」
だが、私はその激痛に歯を食いしばり、全身の筋肉を極限まで膨張させた。
「――フッ!!」
気合いと共に両腕と両脚を強く振り抜く。
ガキンッ!! という甲高い音を立てて、酸で脆くなった鉄の枷が次々と砕け散り、重い音を立てて熱砂へと転がり落ちた。
「……感謝するぞ」
両腕と両脚が、羽のように軽い。
首を回し、肩甲骨を中心に両腕も回す。
そしてじりじりと距離を詰めてくる装甲大蟻たちと改めて対峙する。
「……こい」
装甲大蟻たちの顎を紙一つで躱していく。
彼らの死角へと神速で潜り込み、赤錆の籠手で鋼の甲殻を次々と紙切れのように粉砕していった。
――だが、この過酷な砂漠は、私に休む間を与えてはくれなかった。
六日目。
枷を破壊し手足の自由を得たとはいえ、睡眠と水分を削られた代償はあまりにも大きく、極度の疲労が私の思考に濃い霧をかけていた。
視界が熱でぐにゃぐにゃと歪み、赤錆の鎧が本来の何倍もの鉛の塊のように重い。
酸による火傷を治療する為に行使した僅かな魔法もその原因の一つだろう。
限界の視界の先に、砂煙を上げて「それ」は現れた。
巨大なサソリの尾を持ちながら、胴体にはムカデの無数の節と刃の多足を備えた、悪夢を継ぎ接ぎしたような異形の化け物。
私は目を閉じ虚空に十字を切る。
目を開ける。
「神は」
「乗り越えられない試練は与えない」
私は低く構え、両の拳を握り直す。
側面から唸りを上げて迫るムカデサソリの鋭い毒針。
疲労困憊の脚は砂に足を取られて動かない。
私はあえて一歩前に踏み込み、腐食した赤錆の分厚い肩当てで毒針の軌道を強引に弾き飛ばした。
「――ぐっ!ウゥッ!!」
ガキィィンッ! と火花が散り、強固な甲殻がひび割れる。
そして、体勢を崩した蟲の頭殻へ向け、自由を得た両の腕を束ねて、残された最後の力をすべて乗せて叩き込む。
「あぁああああああっ!!!」
メキョッ!! 鎧の凄まじい重量と私の腕力が乗った一撃は、鋼のように硬い蟲の頭部を熟れた果実のように潰れてひしゃげさせた。
節足が痙攣し、白濁した体液が熱砂にシミを作っていく。
「はぁっ……はぁっ……っ……」
化け物の死骸を見下ろしながら、私はついに熱砂の上に膝をついた。
もう、指先ひとつ動かせない。
過酷な負荷は限界を超え、網膜の裏側で熱砂の光景がゆっくりと深い闇へとすり替わっていく。
――その時だった。
ズシン、ズシン、ズシン。 重々しく規則的な地響きが私の鼓膜を打った。
重い瞼をわずかに開ける。
砂煙を切り裂いて姿を現したのは、分厚い鱗と強靭な多脚を持つ巨大な爬虫類の騎獣――『巨砂蜥蜴』の群れだった。
背に大量の物資と護衛を乗せた、砂漠を踏み荒らす巨大な商隊。
「……見つけたわ。教会の監視網から『聖騎士団長の魔境追放』の特大の極秘報告を拾ってから、ずいぶんと広大な砂場を探させられたものね」
頭上から降ってきたのは、鈴を転がすような、しかしどこか底知れない野心を孕んだ女の声だった。
巨砂蜥蜴からふわりと飛び降りたのは、教会の禁欲的な法衣とは対極にある、豪奢で妖艶な異国の絹を纏った美女。
「あ、なた、は……」
「ハディージャ。自由学術都市の商人よ」
女はふわりと微笑み、私の血と砂に塗れた顔を覗き込んだ。
だが次の瞬間。彼女の視線が、私の両手両足――無惨に溶け落ちて千切れた『鉄の枷の残骸』へと移り、ふっと驚きに目を丸くした。
「……驚いたわ。教会の記録じゃ、あなたは魔法を使えば重くなる最悪の『鎧』を着せられ、手足には分厚い鉄の枷までされて丸腰で落とされたはず。
魔法を使えない状態で、どうやってその鉄の枷を外したのかと思えば……装甲大蟻の強酸を”わざと”浴びて、物理的に引きちぎったのね?」
彼女の瞳に浮かんでいた冷徹な値踏みの色が、純粋な感嘆と、宝の山を掘り当てたような熱を帯びた輝きへと変わる。
「……これほど極上の優良銘柄が、こんな底値で転がっているなんて。教会の連中は、本当に物の価値ってもんが分かっていないわ」
彼女は私の首元に触れ、赤錆の鎧の隙間に、冷たく澄んだ水が満たされた水筒を差し込んだ。
干上がった喉に、冷涼な命の雫が流れ込んでくる。
「さあ、生き延びなさい、落ちぶれた騎士様。私の莫大な投資を無駄にしないためにも。
……あなたにはこれから、私の手駒として教会相手に派手な仕事をしてもらうんだから」
その声に、神の慈悲や愛など微塵もない。
「あなたの武力と知力が私のビジネスに莫大な利益をもたらすから、資金を投じて命を買い叩く」。
それはただの極めて俗物的で、冷酷な『利益と武力の取引』だ。
だが。 教会の綺麗な「嘘」に殺されかけ、己の純粋な信仰を心の奥底の硬い殻の中へ厳重に閉じ込めた今の私にとって。
彼女のその嘘偽りのない野心(本音)だけが、皮肉にも唯一信頼できる強烈な光に思えたのだ。
私は、彼女が差し出した白魚のような手を見つめる。
私の魂(信仰)は、まだ暗い殻の中に閉じこもったままだ。
この女商人に救われたのは、ただの肉体に過ぎない。
それでも構わない。 この不条理に反逆できるのなら。
「……悪くない、取引だ」
私はひび割れた唇で不敵に笑い返し、自らの意志で彼女の手を力強く握り返した。
「――ッ!!」
瞬間。背後に控えていた美少年の副官が、明確な殺気を爆発させた。
手にした湾曲した短剣が抜き放たれ、その切っ先が私の首筋へと音もなく迫る。
彼の首元に刻まれた『教会の異端奴隷』の焼き印が、怒りで赤く充血していた。
教会の元最高幹部である私への深い憎悪と、愛する主の手に薄汚れた私が触れたことへの、狂信的な嫉妬か。
だが、短剣が私の皮膚を裂く寸前。
「ザイン」
頭上から降ってきたハディージャの声には、先ほどまでのふんわりとした甘さは微塵もなかった。
冷徹で、有無を言わせぬ絶対的な「主」の響き。
「……ッ、ハディージャ様! この男は教会の犬です! あなたの尊い御手に触れさせるべきではありません、今すぐこの場で私が処理を……!」
「剣を納めなさいと言っているの」
ハディージャは私の手を握ったまま、冷たい視線だけを背後のザインへと向けた。
「あなたは『私の右手』でしょう? ……それとも、あなたは私の投資(判断)に刃を向ける気?」
「っ……!!」
『私の右手』という言葉を聞いた瞬間、ザインの細い肩がビクッと大きく跳ねた。
猛獣のように荒れ狂っていた殺気が一瞬にして霧散し、彼は弾かれたように短剣を鞘に納める。
「も、申し訳、ありません……ハディージャ様……! 私は、決して、あなたを……!」
美少年は先ほどの殺気が嘘のように顔を青ざめさせ、ハディージャの足元に崩れ落ちるようにして深く首を垂れた。
「ええ、分かっているわ。あなたはよくできた可愛い子よ。……さあ、顔を上げて。キャラバンへ収容するわよ」
ハディージャは呆れたように小さくため息をつくと、空いた手でザインの頭を撫でてやった。
ザインは主の手の温もりにすがりつくように目を閉じ、ひどく安堵したような表情を浮かべた。
……なるほど。これがキャラバンの「トップ」の顔か。
教会の綺麗な嘘で縛り付けられた聖騎士団(私や部下たち)とは全く違う、欲望と狂信、そして圧倒的なカリスマで繋がった主従の姿。
私を乗せたキャラバンが、巨砂蜥蜴の地響きと共に南西へと進路をとる。
目指すは、教会の監視網を物理障壁で弾き返す唯一の中立地帯――自由学術都市『アル・バザール』。
赤錆の十字架を背負った私の、新たな戦いが始まる。




