第017話:ソーシャル・エンジニアリング ――白銀の十字架(前編)――
バグ報告書:前回までの「異世界エンジニア」は~
現代日本の創薬エンジニア・閃 零は、ある日突然、魔法が存在する異世界へと強制転移させられてしまう。 しかし、彼が目にした「神の奇跡」の正体は、単なる物理演算のバグやメモリの不正利用だった。この世界を支配する「聖教会」は、意図的にバグを維持・独占し、民衆から信仰心という名の魔力と命を搾取する悪辣なシステムを作り上げていた。
零は唯一の相棒であるAI搭載デバイス「ナビ(iPad)」を駆使し、規格外の魔力を持つ心優しい少女・セレスを救うが、教会の追手から彼を守るため、彼女は自ら教会へと投降してしまう。
セレスを奪われ指名手配犯となった零は、教会の「奇跡」という名のバグを各地で破壊しながら、反撃の拠点となる自由学術都市「アル・バザール」を目指す過酷な逃避行を続ける。
道中、自らがこの世界に召喚された際の演算コストのために、セレスの大切な親友が命を落としていたという「原罪」を知った零は、非道なシステム管理者(教皇)への反逆を固く誓う。
そして彼は、立ち塞がった教会の巨大な「関所」の物理演算バグを破壊し、数万トンの濁流を開放。
難民たちと共に教会のインチキを打ち砕き、新たな仲間であるシーフのアッシュを迎える。
しかしその結果、零の脅威度は「迷子のバグ」から「最重要危険人物」へと強制アップデートされ、全世界に向けて最高レベルの手配書が送信されてしまった。
鳴り止まない世界からのアラートをBGMに、新たな舞台である「アル・バザール」へと足を踏み出す零たち。
だがその頃、死の砂漠では――かつて教会のシステムに反逆し、全てを奪われた『もう一人のバグ』が、極限の命の灯火を燃やしていた。
―もう何日も、砂漠をさまよい続けている。
頭上から容赦なく照りつける太陽が、私の視界を白く焼き焦がしていく。
一歩足を踏み出すたびに、肺が焼け焦げるように熱い。ひび割れた唇からは、とうに血の味すら消え失せていた。
だが、何より私の肉体を苛むのは、渇きでも熱でもない。私自身が纏っている、この魔導鎧だ。
かつて教会の正義の象徴として眩い光を放っていたそれは、追放の際、白銀の輝きを完全に奪われ、
全体を赤錆に覆われた鉄のような無残な質感に変質させられていた。
私が生きるための魔法(治癒や身体強化)を行使しようとするたび、
使えば使うほど、赤錆の鎧はその圧力を増し、私の肉体を押し潰そうとする。
それに気が付いてからは魔法を絶ち、自らの肉体のみを頼りに、この死の砂漠を歩き続けてきた。
「……はぁっ、……っ……」
ついに膝の力が抜け、私は熱く焼けた砂の上に崩れ落ちた。
指先ひとつ動かせない。薄れゆく意識。
――網膜の裏側に、熱砂の光景がゆっくりと別の映像へとすり替わっていく。――
* * *
「おお! アルフレッド様だ! 我らが聖騎士団長様だ!」
「パスカルの導きがあらんことを!」
「アルフレッド様ばんざい!」
「我らが光!」
―わあああああああ!
白銀の魔導甲冑に身を包み、大聖堂の豪奢なバルコニーから手を振る私に、広場を埋め尽くす民衆から割れんばかりの歓声が降り注ぐ。
太陽の光を反射する重厚な鎧は眩しく、教会の権威と神の愛を象徴する「広告塔」として、その日も私は完璧に機能していた。
しかし、その温かな光に包まれながらも、私の胸の奥には常に冷たい泥のような違和感がわだかまっていた。
私の視界に入るのは、豪奢な絹を纏って微笑む貴族や、たっぷりと脂肪を蓄えた高位の祭司ばかりだ。
上層部から拝領する私のスケジュールは、華やかな式典の警護か、教会の恩恵を受ける特権階級の護衛のみ。
分厚いステンドグラスの窓から遠くを見下ろせば、土に汚れ、飢えに苦しむ者たちのスラムが広がっているのがはっきりと見えるというのに。
教会の提供する圧倒的な豊かさと、声なき民の惨憺たる貧しさ。
―いつまで目を逸らすのだ。アルフレッド。
自問自答する。
だが、私はその度に、湧き上がる疑念に”言い訳”をしてきた。
『これは、神が私に与えた信仰の試練なのだ』
『教皇猊下のお考えを、浅はかな私が計り知ることなどできない。すべては民を導く正しき教義のためだ』
そう自らに言い聞かせ、無理やりに思考を停止させる。 純粋な信仰こそが、私の魂を支える唯一の柱だったからだ。
だが、夜の帳が下り、大聖堂が静寂に包まれる頃。 私はどうしても、その柱の奥から微かに響く軋み(良心)を無視することができなかった。
私は白銀の鎧を脱ぎ捨て、目立たぬ粗末な外套を深く羽織り、冷たい風が吹き抜けるスラムへと足を運んでいた。
教会の監視網から逃れ、傷ついた民の怪我を手当てし、わずかな蓄えを分け与える。
それが、私が密かに続けている日課であり、神の奇跡が行き届かない場所へのささやかな贖罪だった。
その夜も、腐った泥とカビの匂いが立ち込める裏路地を歩いていた時のことだ。
「……うぅっ……ひぐっ……」
冷たい石畳の片隅で、小さな影がうずくまって震えていた。 ボロボロの服を着た、まだ十歳にも満たない少年だった。
「どうした? こんな夜更けに一人で」
私がしゃがみ込み、少年の小さな肩に触れると、氷のように冷え切っていた。
少年はビクッと体を震わせた後、私の顔を見上げ、すがりつくように外套の裾を握りしめた。
「た、たすけて……おねがい、たすけて……!」
「落ち着きなさい。何があったのだ?」
「母ちゃんが……消されちゃうんだ! 毎月の『お供え(聖貨)』がもう払えないから、明日には、母ちゃんの体が泥になって消えちゃうって……!」
少年が血を吐くような声で絞り出した言葉に、私の思考がピタリと停止した。
―お供え? 体が消される?
「待ちなさい。教会が施した『死者蘇生』の奇跡だろう? あれは神の慈悲によって失われた命が呼び戻される、無償の神聖な儀式のはずだ。
金が払えないから命を消すなど……そのような」
「ほんとなんだ! 祭司様がそう言ったんだ! 聖貨が足りないなら、教会の魔石との『奇跡の繋がり』を切るって……!」
少年はボロボロと大粒の涙を流し、私の胸に顔を押し付けて号泣した。
その涙の熱さと、彼が口にした冷酷な宣告の羅列が、私の心の中で激しく軋んだ。
『違う。何かの間違いだ。神の奇跡に、金で命を天秤にかけるような真似があるはずがない』
ドクン、と嫌な音が鳴る心臓を押さえつけ、私は必死に、再び自らの思考に蓋をしようとした。
だが、私の胸を濡らす少年の悲痛な涙は、紛れもない現実だ。
「……案内しなさい。その祭司がいる場所へ」
私は少年の冷え切った手を、しっかりと握りしめた。 この目で確かめなければならない。
教会の真実を。私が信じ、守り抜いてきた「正義」の正体を。
―もう目を逸らすことは、できない。
少年を救うため、私は教会の立ち入り禁止区域(地下機械室)へと踏み込んだ。
そこは、地上の荘厳で温かな大聖堂とは真逆の、冷たく無機質な魔力光に満ちた空間だった。
私は物陰から、管理祭司たちの作業を覗き見る。
祭司の一人が、退屈そうに巨大な魔石制御盤の前に立ち、名簿をパラパラと捲った。
「次。第14区の未亡人。……供養料、三日滞納。猶予期間終了だな」
祭司が魔石の表面を指先で無造作に横にずらす。 『ピピッ』という、無機質な音。
その瞬間、壁面の水晶画面に映し出されていた市井の映像の中で、食事を作っていた女性が突如として糸が切れたように倒れ、肉体がボロボロと崩壊していくのが見えた。
「はい、次。第12区の少年。……ああ、泣きついてきた奴か。駄目だ駄目だ、残高ゼロだ」
祭司が再び、無感情に指を動かそうとする。 その光景を見た瞬間。アルフレッドの耳の奥で、『キィン』と甲高い耳鳴りが鳴り響いた。
ドクンッ、と心臓が嫌な音を立てて大きく跳ねる。 呼吸が浅くなり、冷や汗が白銀の鎧の下を這う。
『違う。これは何かの間違いだ。神は、命を金で天秤にかけたりはしない』
『これは試練だ。私を試しているのだ。猊下が、このような非道を――』
必死に、必死に思考の蓋を押さえつけようとする。 だが、視界に飛び込んでくるのは、
事務作業のように淡々と命の接続(魔力供給)を『強制終了』していく祭司たちの、欠伸まじりの姿。
そこには、神の愛も、救済への祈りも、何一つ存在しなかった。ただの冷徹な「業務」だった。
ミシッ……。 頭の中で、自分を騙し続けてきた分厚いガラスの蓋に、決定的な亀裂が走る。
「……金が払えねえなら、死体はさっさと土に還れってんだ。神の恩寵の無駄遣いだからな。さあ、次の未払い者は――」
パリンッ!!
私の脳内で、何かが決定的に砕け散る音がした。
今まで”世界を美しく見せていたもの”が完全に剥がれ落ちる。
直視してしまった。
教会の奇跡が、民を救う光などではなく、死体を人質にして延々と金を搾り取る「冷酷で血の通わない機械」に過ぎないという真実を。
むき出しの五感で、理解してしまったのだ。
「――貴様らァァァァァァッ!!」
思考の蓋が粉砕され、行き場を失った莫大な「絶望」が、燃え盛るような「怒り」へと変換される。
私は獣のような咆哮を上げ、白銀の剣を振り被った。
この狂った機械(魔力供給装置)を、今すぐここで叩き斬る。
だが、その剣が魔石制御盤に触れる寸前。怯え切った管理祭司が絶叫した。
「お、お待ちください、団長! それを壊せば、現在『蘇生状態』にある数万人の信者への魔力供給が即座に断たれ、全員が一斉に肉体崩壊しますよ! あの少年の母親もです!」
「……ッ!!」
振り下ろされるはずだった白銀の刃が、空中でピタリと止まる。
―怒りのままに”これを破壊すれば、どうなるのか”。
それが私の刃を止めた。
「ああ……あぁ……っ」
ガランッ、と。 手から力が抜け、白銀の剣が、無機質な床に転がった。
「あああああッ!!」
獣のような慟哭と共に、分厚い魔石製の制御盤に自身の右拳を全力で叩きつけた。
メキッ……! という嫌な音と共に、”絶対に壊れない”と喧伝された装置の表面に蜘蛛の巣のような深いヒビが走る。
「なぜだ……神よ、なぜッ!!」
ドンッ! ドンッ!
自らの額を、ヒビの入った制御盤に何度も、何度も叩きつけた。
メキッと骨が軋む音。やがて額の皮膚が裂け、生温かく赤い血が視界を濁し、冷たい床へとボタボタとこぼれ落ちていく。
怒り、悲しみ、自らの無知への後悔。 全てが許容量を超え、私の両膝は無様に床へと崩れ落ちていた。
――ガシャン、ガシャン、ガシャン。
その時、地下室の冷たい石畳を震わせる、無数の重厚な足音がなだれ込んできた。
「血迷われましたかな、団長殿? そこで何をしていらっしゃるので?」
響いたのは、副長バルカスの声だった。驚きなど微塵も感じていない、ひどく白々しく、芝居がかった響き。
血の滲む視界で背後を振り返る。そこには白銀の魔導甲冑がズラリと並んでいた。
私が誰よりも信頼し、背中を預けてきたはずの、我が聖騎士団の部下たち。
「お前たち……聞いてくれ! 教会の奇跡は、民の命を人質にした――」
「構えッ!!」
バルカスの鋭い号令。 瞬間、ジャキッと金属が擦れる冷たい音が重なり、無数の法執行の槍が私へと突き出された。
鋭利な切っ先が、寸分の狂いもなく私の喉元や心臓を取り囲む。
「……な、ぜ……」
喉から絞り出した声は、ひどく掠れていた。 突きつけられた槍の壁の向こうで、私を見る部下たちの顔は皆、苦痛に歪み、歯を食いしばっていた。
中には、ボロボロと血の涙を流している者すらいる。
―なぜだ。
―なぜ、彼らは泣きながら私に刃を向けている?
私の信じた正義は、間違っていたのか?
ぐるぐると回る思考は、答えを出せない。
そんな私の困惑をよそに、バルカスは高らかに、そして嬉々として宣言した。
「皆の者、聞け! 団長殿はご乱心され、あろう事か”我らがパスカル聖教に”刃を向けられた! この男はもはや聖騎士団長にあらず! 規律により、これよりこの私、副団長バルカスがその任を継ぐ!」
……何を言っている?
―この男は。
―何を言っているのだ。
―男の声が聞こえる。
「聖騎士団長バルカスが、『反逆者・アルフレッド』を拘束する!!」
喉元に押し当てられた槍の穂先から、冷たい金属の感触がチクリと肌を刺す。
―わからない。なにも。
――もう、どうでもいい…
私の記憶は、そこで途絶えた。




