第016話:海(川)を割る奇跡(当たり判定強制オフ)と水上歩行(Y軸固定)
バグ報告書:前回までの「異世界エンジニア」は~
現代日本の創薬エンジニア・閃 零は、深夜の残業中に突如、魔法が存在する異世界へと強制転移させられてしまう。
そこで彼が目にした「神の奇跡」の正体は、単なる物理演算のバグやメモリの不正利用だった。
この世界を支配する「聖教会」は、意図的にバグを維持・独占し、民衆から信仰心という名の魔力を搾取する悪辣なシステムを作り上げていたのだ。
零は唯一の相棒であるAI搭載デバイス「ナビ(iPad)」を駆使し、規格外の魔力を持つ心優しい少女・セレスを教会の理不尽なロックから救い出す。
しかし、彼女を「生体バッテリー」として狙う教会の追手から村と零を守るため、セレスは自ら教会へと投降してしまう。
セレスを奪われ指名手配犯となった零は、教会の「奇跡」という名のバグを各地で破壊しながら、反撃の拠点となる自由学術都市「アル・バザール」を目指す過酷な逃避行を続ける。
道中、教会の強固な監視網を物理的なハッキングで突破した零は、
教会の深層ログから衝撃の真実を知る。
自分がこの世界に召喚された際の膨大な演算コストを捻出するため、
教皇が辺境の医療魔導具をタスクキル(強制終了)し、
そのせいでセレスの大切な親友・リリアが命を落としていたのだ。
己の存在自体が、セレスの大切な人の命を燃料にして呼び出されたという「原罪」の重さに打ちのめされる零。
だが、その絶望はやがて、非道なシステム管理者(教皇)への冷徹で激しい怒りへと変わる。
零は、失われた命の分までこの狂った世界を完全に書き換えることを誓う。
そして夜が明け、彼の眼前に立ち塞がったのは、豊かな大河を重力無視の魔法で堰き止め、民衆を苦しめる教会の巨大な「関所」だった――。
朝靄が晴れ、乾いた風が砂埃を運んでくる。
ひび割れ、完全に干上がった大地の向こうに、それはそびえ立っていた。
重力という物理法則を完全に無視した、巨大な「垂直の水壁」。
黒々とした無骨な石造りの関所から放たれる見えない力が、数万トンもの荒れ狂う濁流をピタリと静止させている。
ナビの地形データとこの異様な光景が、かつてここが豊かな大河であったことを示していた。
関所の手前には、通行料(聖貨)を払えない難民たちが、ひび割れた泥にすがりつくように巨大なスラムキャンプを形成している。
一方、見上げるほど高い水壁の向こう側では、水面が鏡面の床のように硬化し、豪奢な馬車や教会におもねる貴族たちが優雅に水の上を歩いて渡っていた。
俺が関所に近づくと、泥水をすすっていた難民たちの間にざわめきが走った。彼らの目には教会への盲信はなく、飢えと搾取への激しい怒りだけが燃えている。
「あんた……教会のインチキを壊して回ってるっていう『奇跡殺し(ミラクルスレイヤー)』か……?」
立ち上がった元傭兵たち。その影から、音もなく一人の若い細目の男が現れた。
ボロボロの服を着た彼は、ひどく気怠げな様子で目を細め、ボソボソとした低い声で呟く。
「……あー、めんどくさい。でも、あなたの持っているその『黒い板』、素晴らしいですね。……それを使えば、僕の人生のあらゆる面倒ごとを回避できそうだ」
その野良猫のように鋭い目には、未知の技術に対する異常なまでの執着が宿っていた。
気が付くと、俺の周囲には多数の難民たちが集まってきていた。
「またインチキをぶっ壊すんだろ?!」
「俺たちも戦わせてくれ!! 奇跡殺し!」
「俺もだ!」
「俺も!!」
「私も!!」
「あんたの力になる!!」
「もう教会のインチキにはうんざりだ!!」
あちこちから怒号が聞こえてくる。 彼らの顔をゆっくりと、一人一人見回す。
その血走った目と向き合った瞬間、極度の緊張で喉がカラカラに乾き、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
顔が強張るのを感じながら、小さく息を吐き、いつも使っているナビの音声翻訳機能をオフにする。
フードを脱ぎ、彼らの前に立ち、深く頭を下げる。 そして、夜な夜なナビの音声データを聞いて密かに練習していた彼らの言葉を、自らの口で紡ぐ。
「アなタたちの……ちカらを、貸シて、ホしイ。……ォ願イ、しマす」
慣れない発音に喉が引きつる。
文法も正しいのか確信もない。
翻訳アプリを介さない、俺自身の生身の声。
その声を聞いた若い細目の男が静かに目を丸くし、やがて元傭兵たちがニヤリと猛禽のような笑みを浮かべる。
「あんたはその”奇妙な板”で喋ると聞いていたが」
「……上等じゃねぇか。あんたの意思、確かに受け取ったぜ!」
元傭兵の男とがっちり握手を交わし、互いに頷く。
――隠密行動はここまでだ。
俺は難民たちと共に白昼堂々、関所の正面ゲートへと歩みを進めた。
その歩みは徐々に、しかし緩めることなく速度を上げ続ける。
当然、関所を警備する重武装の「聖騎士団」一個中隊が立ち塞がる。
「異端者ども、ひれ伏せ!」
騎士たちが魔法の槍を構えた瞬間、元傭兵の剣士が咆哮を上げて先陣を切り、難民たちの波が一斉に怒号を上げて襲いかかった。
魔法も満足な武器すら持たない彼らの戦法は、泥臭い肉弾戦だ。
圧倒的な数の暴力(DDoS攻撃)によって、聖騎士団の迎撃リソースが一人、また一人と瞬く間にパンクしていく。
「……大声を出すなんて、体力の無駄ですよ。静かに寝ていてください」
ボソボソと呟きながら、あの細目の青年は尋常ではない身のこなしで聖騎士の死角に回り込み、音もなく関節の隙間を切り裂いて俺の道を切り開く。
だが、無茶な突撃の代償は大きかった。魔法の閃光と槍の反撃を浴び、数名の難民が致命傷を負い、血を流して倒れていく。
―悲鳴が聞こえる。
―地面が赤く染まっている。
―血と肉が焦げた異臭が鼻腔を突く。
それでも俺たちは決して歩みを止めず、倒れた仲間に脇目も振らず、俺は進む。
一度も立ち止まることなく、振り返る事も無く、一歩一歩を進めた俺は遂に教会の祭壇(制御用魔石)へとたどり着いた。
だが、祭壇は分厚い金属カバーと複雑な物理シリンダー錠で覆われていた。
「時間がない。ナビ、この扉の電子ロックをパスワード総当たり(ブルートフォース)で破壊しろ」
『了解。魔力回路の強制突破を――』
「……やめてください」
俺の右腕を、ひんやりとした手が静かに掴んでいる。
見ると、あの若い細目の男が、祭壇の鍵穴に顔が触れるほど異常に接近していた。
「そんな力技でシリンダーを歪めるなんて、三流のやることですよ。物理構造が泣いています。……少し退いて。僕が『執刀』しますから」
青年は恍惚とした表情で、極細のピッキングツールを取り出した。
「……美しい。なんて理知的な配線だ。このギアの噛み合わせ、作った人間は相当な変態ですね……(褒め言葉)」
カチャ、カチャッ……ガチャリ。 数秒。彼が外科手術のような精密さでシリンダーを愛でた結果、強固な物理セキュリティはあっけなく陥落した。
「……開きました。僕の仕事はここまでです、奇跡殺し」
「……お、おう。ありがとう」
俺は祭壇の物理ポートにケーブルを突き刺し、ナビの画面を睨みつけた。
『解析完了。二つの致命的な論理エラーを確認』 ①【水上歩行】:水面オブジェクトに対する『座標のY軸固定』。
②【海を割る】:水流オブジェクトに対する『当たり判定の強制オフ』。
「よくもまぁ、こんなク〇コードで川を堰き止めたもんだ。ナビ。Y軸の座標固定を解除。コリジョン判定を『True(正常)』に戻せ。
――物理演算エンジン、再起動だ」
実行キーを力強く叩き込む。 直後、空気を震わせる甲高い破裂音が響き――周囲の音が、一瞬にして完全に消え去った。
無音の世界で、俺の荒い呼吸音だけがひどく鮮明に耳に響く。
見えない魔法の壁が消滅し、せき止められていた数万トンもの膨大な水が本来の物理法則を取り戻す。
圧倒的な水圧と激流が強固な石造りの関所を無惨に粉砕していく光景が、ゆっくりと眼前に展開される。
やがて、鼓膜を突き破らんばかりの轟音が鼓膜を打ち据え、耳の奥が軋むような痛みに襲われた。
巻き上げられた泥の強烈な匂いと湿り気を帯びた突風が、俺の全身を激しく打ち据える。
水面を悠々と歩いていた教会の役人たちも、Y軸固定(床)が消えたことで悲鳴を上げながら無様に濁流へと飲み込まれ、下流へと流されていく。
地響きを伴う轟音が収まった後。ひび割れていた大地に、豊かな川のせせらぎが戻っていた。
歓喜に沸き、互いを抱きしめて涙を流す難民の協力者たち。彼らは関所の管理施設になだれ込み、倉庫から膨大な食料と清浄な水を奪取して歓声を上げる。
しかし、その勝利の歓声の裏で、俺は静かに施設の外へ歩み出た。
そこには、道を切り開くために命を落とした難民たちの遺体が横たわっていた。
俺は生き残った元傭兵たちと共に彼らを埋葬し、不器用な手つきで野花を手向け、静かに祈りを捧げた。
祈りを終え、立ち上がった俺の背中に、ボソボソとした低い声がかけられる。
「……終わりましたか。それなら、僕も連れて行ってくれませんか」
振り返ると、アッシュと名乗ったあの細目の男が、気怠げにポケットに手を突っ込んで立っていた。
「あなたの戦い方、魔法は使えないようですが……世界をひっくり返す『何か』を持っている。
それに、あなたみたいな不器用な人には、僕のような『鍵開け(斥候)』が必要でしょう?」
そして彼は、少しだけ瞳の奥に狂気的な探究心を光らせて、俺の小脇に抱えられたiPadを見つめる。
「……それに、あなたと一緒なら、もっと美しくて複雑な鍵を『解剖』できそうですから」
俺は呆れながらも、自分の非力さと、物理的な潜入スキルの必要性は痛いほど理解していた。
生き残った難民たち、そして新たな同行者となったアッシュに向き直り、再び不器用ながら自らの生の声で深く頭を下げる。
彼らの感謝と哀悼の視線を背に受けながら、俺とアッシュは破壊された関所の残骸を抜け、自由学術都市「アル・バザール」へと続く街道を歩き始めた。
――だが、荒野に足を踏み出して数分もしないうちだった。
『――ピーーーーッ!! ピーーーーッ!!』
突然、俺の小脇に抱えられていたiPadが、甲高い警告音を鳴らし、ブルブルと激しく振動し始めた。
「うおっ!? なんだ、いきなり!」
俺が驚いて横を見ると、いつの間にか音もなく俺の腕に顔を寄せていたアッシュが、
iPadの裏蓋の極小の隙間に、極細のピッキングツールを滑り込ませようとしていた。
「……美しい。ネジ穴一つない完璧な繋ぎ目処理だ。……どうやって基板を格納しているんです? ……ねえ、少しだけ『解剖』してもいいですか……?」
恍惚とした表情でボソボソと呟きながら、指先を這わせてくる。
『警告。筐体への不正な物理アクセス(解剖)を検知。マスター、直ちにこの変態を排除してください』
「お前か! 触るな! 保証が切れるだろ!」
俺は慌ててアッシュの手を払いのけ、iPadを奪い返した。
アッシュはチッと舌打ちをして、気怠げに肩をすくめる。
「……ケチですね。まあいいです。学術都市に行けば、もっと素晴らしい機材があるでしょうから」
俺はため息をつき、画面の警告を消そうとした。
――だが、アラートの激しい明滅と振動は、いっこうに鳴り止まない。
『……訂正。先ほどのローカル警告に上書きし、教会の基幹ネットワークから【クリティカル・エラーログ】を受信』
「……なんだと?」
心臓がドクンと大きく跳ね、背筋をひやりと冷たい汗が這う。
俺の顔からさーっと血の気が引いていくのがわかった。
真っ赤に染まった画面には、滝のように流れるデータ群とともに、最悪の通知がブロードキャストされていた。
『警告。マスターの脅威度レベルが強制アップデートされました。
「迷子のバグ」から、「教会の根幹を揺るがす最重要危険人物」へ移行。
……現在、全世界のノードに向けて、最高レベルの手配書が送信されています』
「テロリスト、ね。……なるほど、さっきの関所破壊。システム管理者(教皇)への宣戦布告の受理通知ってわけか」
俺は乾いた笑いを漏らした。画面の向こう側、はるか遠くのどこかで、教皇が怒りに顔を歪めている姿が目に浮かぶようだ。
『さらに報告。マスターの起こしたトラフィックの乱れは、中立地帯である「アル・バザール」の市場ネットワークにも到達。
……現地で、この異常を検知し、歓迎している巨大な「別勢力」のデータフローを確認しました』
俺の起こした関所破壊の波紋が、教会だけでなく、これから向かう学術都市の「誰か」をも間違いなく動かしている。
「……面白い風が吹いてきたじゃないですか。ねえ、早く行きましょうよ。その都市には、この板をもっと美しく解剖できる機材があるんでしょう?」
アッシュが気怠げな敬語のまま、瞳の奥に狂気的な探究心を光らせて俺を見た。
「解剖はさせない。……だが、最高の機材と、この世界をひっくり返すための仲間が待ってるはずだ」
鳴り止まない世界からのアラートをBGMに。俺たちは、巨大な濁流が戻った大河を背にして、新たな舞台へと足を踏み出した。




