第015話:原罪のタイムスタンプ
バグ報告書:前回までの「異世界エンジニア」は~
教会の深層システムにアクセスし、「死者蘇生」の悪質な月額課金と「聖女」が使い捨て生体バッテリーであるという残酷な仕様書を暴き出した零。しかし、追討部隊から彼を逃がすため、相棒のセレスは自ら捕らわれの身となってしまう。
狂ったシステム(世界)を根本から破壊するため、零は教会の監視網から完全に独立した自由貿易圏、学術都市「アル・バザール」を目指して過酷な逃亡の旅を続けていた。
道中、教会の悪質なバグ(栄養Nullのハリボテのパン、環境リソースを吸い上げるワイン)を次々とデバッグし、民衆の間に「教会への疑念」という致命的なウイルスを仕込むことに成功する零。 しかし、その背後には白銀の魔導甲冑を纏う「聖騎士団」の包囲網が異常な精度で迫っていた。
彼らの異常な捕捉精度の正体――それは、信者たちの体に刻まれた『神の刻印(聖痕)』を、無意識のうちに周囲の生体情報を送信し続けるトラッキングCookieとして利用する、極悪な監視ネットワークだった。町そのものが巨大な監視装置と化していたのだ。
逃げ場を失った零は、教会の物理ポート(地下配線)へと直接アクセス。帯域を埋め尽くすほどの大量の「偽の現在地(ダミー座標)」を一斉送信(DDoS)し、システムの過負荷による強烈な閃光と配線のショート(煙幕)を引き起こす。 完璧なミスディレクションによって狂った魔導羅針盤とパニックに陥る騎士たちを置き去りにし、零は監視網の突破に成功する。
追跡を完全に撒き、荒野で数日ぶりの安全な休息を取る零。 ふと見上げた紫紺の空に浮かぶ「二つの月」を見つめながら、彼は気まぐれに『自分がこの世界に転移してから一体何日経ったのか』を、地球の時間へと換算し始めるのだが――。
荒野の岩陰。パチパチと爆ぜる小さな野営の火を見つめながら、俺は冷たい岩壁に背中を預けていた。
追跡部隊の目を完全に欺き、数日ぶりに確保できた安全な休息。張り詰めていた気が少しだけ緩み、俺はふと、頭上に広がる紫紺の空を見上げた。 そこには、デバッグ漏れのドットのように、不自然な「二つの月」が浮かんでいる。
「……そういえば」
ひび割れた大地に吹きすさぶ乾いた風を感じながら、俺は現実逃避気味に呟いた。
「俺はあの深夜のオフィスからこの世界に転移してから、一体何日過ごしたんだ?」
傍らで省電力モードになっていたナビ(iPad)が、画面を微かに明るくして応答する。
『現実逃避ですか、マスター。今更タイムカードを気にしても残業代は出ませんよ。そもそも、この世界で日数を数えるのは極めて非論理的です』
「なんだと?」
『空を見上げてください。この惑星には衛星が二つ存在します。互いの重力干渉により朔望が複雑化しており、地球のグレゴリオ暦とは全く互換性がありません』
「めんどくせえ仕様だな……。じゃあ、俺の体内時計と現在地の自転周期から逆算して『地球の時間』に換算すると、今はいつなんだ?」
『……計算完了。マスターが西新宿のオフィスから転移して以来、地球基準で正確に「14日と8時間23分」が経過しています』
「……ってことは、日本のカレンダーだと今は○月○日の午前10時か」
俺はそれを聞き、ふと気まぐれに、数日前の遺跡でダウンロードした教会の深層ログを開いた。
画面に展開されたのは、『大召喚リソース強制徴収事件(アドミン召喚プロトコル)』の実行記録。
「なあナビ。この召喚プロトコルが実行された『異世界暦』の時間を、今の計算式で地球の時間にデコード(変換)してみてくれ」
『了解。……デコード完了。地球時間換算で、【○月○日 深夜2時14分03秒】です』
その時間を見た瞬間、背筋をひやりと冷たい汗が這った。
「……深夜2時14分。俺が、あのオフィスから強制的に転移させられた時間、か……?」
ただの偶然なのか? このログの時間は。
――本当に?
俺は喉をゴクリと鳴らし、ログの「事象」の欄を震える目で読み進めた。
そこには、無機質な文字列でこう記されていた。
『実行者:システム管理者(教皇グレゴリオ)』
『事象:召喚の膨大な演算コストを捻出するため、品質保証(QoS)対象外である辺境エリアの低優先度プロセス(医療魔導具)から順次、タスクキル(強制終了)を実行した』
――その瞬間。 俺の脳裏に、森の中で、セレスがぽつりと語った言葉が鮮明にフラッシュバックした。
『都市部の大きな教会にある「最新の医療魔導具」なら、優先して神様の恩寵が注がれるから、決して光が消えないって言われていました』
『でも、辺境の私たちにはそれを維持するための莫大な「聖貨」なんてなくて……。だから、村にあるお下がりの古い魔導具で、リリアちゃんの命を繋ぐしかありませんでした。時々光が弱くなることもあったけど……それでも、生きていてくれたのに』
『あの日、突然……その魔導具の光が消えて、そのまま……』
『……だから私、教会の魔導具には頼りたくなかった。いつかまた大切な人が倒れた時、教会に聖貨を払えなくても、自分の魔法だけで助けられるようになりたくて……。危ないとは分かっていたけど、森の奥まで行って強い魔物を相手に特訓を……』
セレスが無茶をしてまで、ローカル環境(自分の魔法)での実行を求めた理由。
それは、「金がなければ命すら救ってくれない教会のインフラ」への深い絶望と、大切な人を自分の手で守りたいという悲痛な決意だった。
教会の医療インフラは、支払う聖貨(課金額)によって、命の優先度(帯域幅)が明確に差別化されていたのだ。
そして、彼女の大切な親友の命を繋いでいた「最低保証なしの末端回線」を、強制的にタイムアウト(切断)させた原因。
――ドクンッ。
胸の奥で、心臓が嫌な音を立てて大きく跳ねた。 一気に血の気が引き、指先が氷のように冷たくなる。
教会のシステムは、俺という一人の人間をダウンロードする膨大なコストのために、最も弱い者の命を「不要なバックグラウンド処理」として無慈悲にキルしたのだ。
「……俺の、せいだ……」
ドクン、ドクンと、耳の奥で激しい心音だけが警報のようにガンガンと鳴り響く。
「ハァッ……ハァッ……ハァ……!」
心拍数が跳ね上がり、呼吸が乱れる。喉の奥から酸っぱいものがこみ上げてくる。
「ク〇仕様を正す? バグを治す??」
震える両手で頭を抱え込み、俺は岩肌に額を打ち付けんばかりにうずくまった。
「最大のバグは、俺じゃねえか!!」
耳障りな心音と、這いつくばりたくなるほどの自己嫌悪の中。
ナビが画面に、無機質に、だがどこか寄り添うようにテキストを明滅させた。
『マスターの意図した結果ではありません。自責リソースの消費は非効率です』
「……分かってる」
俺はギリッと奥歯を噛み締め、冷え切った震える拳を強く胸に抱え込む。
「他人の命をコストにして俺を呼び出しておいて、その尻拭いはおろか、セレスまでバッテリーにしようってのか……」
深い自責の念(原罪)は、やがてこの非道な大召喚プロトコルを実行した張本人――『教皇グレゴリオ(システム管理者)』への冷徹で激しい怒りへと変貌していく。
俺の命を通すために奪われた、リリアという少女の回線。
その命の分まで、俺はこの狂ったシステム(世界)を、絶対に書き換える。
「絶対に、絶対に!!」
夜が明け、紫紺の空がゆっくりと白み始める。
立ち上がった俺は、荒野の吹きすさぶ風の中で、ただ静かに前を見据えた。
朝靄の向こう。
ひび割れた大地を南北に真っ二つに裂く巨大な濁流と――その荒れ狂う水流を不自然なまでに堰き止めている、巨大で無骨な石造りの建造物の黒いシルエットが、ただ静かに浮かび上がっていた。




