第012話:魔力ゼロのエンジニアとハリボテのパン
バグ報告書:前回までの「異世界エンジニア」は~
製薬会社の研究員だった閃 零は、ある日突然、魔法の存在する異世界へと強制召喚された。
だが、相棒のAIデバイス『ナビ』のレンズ越しに見たこの世界は、物理演算が狂い、終わりのないエラーを吐き出し続ける「劣化しきった不完全なシミュレーション・サーバー」だった。
人々が崇める教会の「神の奇跡」の正体が、ただの「システムバグ」であることを見抜いた零。
彼は同行していた心優しい少女セレスを守るため、彼女の父が遺した遺跡の物理バックドアから教会のネットワークへとハッキングを仕掛ける。
そこで彼が暴き出したのは、教会の目玉である死者蘇生が命を人質に取った『ゾンビ・サブスクリプション』であること。
そして、セレスのような高魔力保持者を使い捨ての『生体バッテリー』として消費し続けるという、残酷すぎる正規の「仕様書」だった。
真実を知った直後、遺跡は新聖騎士団長バルカス率いる教会の本隊に包囲されてしまう。
絶体絶命の状況下、セレスは零と村の人々を守るため、自ら「偽の聖女」として投降し、連れ去られていった。
「聖女をたぶらかした悪魔」として指名手配され、完全に孤立した零。
だが、彼は絶望することなく、理不尽なシステムを押し付ける教会への全面戦争を宣言する。
「連中の『奇跡』という名のバグを各地でデバッグして回ってやる」
反撃の狼煙を上げるため、そして同じく教会から追放されたという元聖騎士団長アルフレッドと合流するため、零は教会の目の届かない中立地帯「学術都市」を目指して過酷な逃亡の旅に出るのだった。
遺跡での死闘から数日。 指名手配犯となった俺とナビは、教会の追撃を避けるため街道を外れ、獣道を進んでいた。
手持ちの食糧は完全に底を尽きている。空腹で倒れそうになりながら潜伏した寂れた町では、
広場の中央で教会の神父が「神の奇跡」と称して、カゴに入ったパンを無限に増やして配給していた。
「さあ、迷える子羊たちよ。祈りを捧げた者にのみ、神の恵みが与えられるのです」
俺が列に並んで様子を窺っていると、数人前にいたボロボロの服を着た男が、すがりつくように祭壇のパンへ手を伸ばした。
――バチィッ!!
「ぐあッ!」 男の手が、祭壇から走った鋭い赤色のエラー光に激しく弾き飛ばされる。
「おや。迷える方、今日のあなたは祈りが足りていないようですね。教会の恩寵は、正しき信仰を持つ者にのみ開かれています」
「た、頼む! 昨日から何も食ってねえんだ……!」
「なりません。お下がりなさい」
神父が冷ややかに告げると、男は絶望した顔で列を離れていった。
なるほど。人間が断るんじゃない。条件を満たさないユーザーは、システムそのものが物理的に拒絶する仕組みか。
俺のポケットにあるのは、現代日本の硬貨と、道中で拾った旧硬貨だけだ。魔力を持たない俺がまともに触れれば、さっきの男と同じように「残高不足」で弾かれる。
なら、物理的な対価ならどうだ。
俺はフードを深く被り、神父の前に進み出た。 祈るふりをして、手元の旧硬貨を祭壇の端に滑り込ませ、パンに手を伸ばす。
――バチィッ!!
「痛っ……!」
パンに触れようとした瞬間、再び祭壇から鋭い赤色のエラー光が走り、見えない壁に弾き返されるように指先が弾かれた。
「おや、またですか。教会の伝達網に連なっていない古い金属片など、ここでは何の意味も持ちませんよ。祈りが足りぬなら、あなたもお下がりなさい」
神父がやれやれといった様子で、呆れたように見下ろしてくる。 俺は舌打ちをして列を離れた。
俺の正体がバレたわけじゃない。システムが、魔力ゼロ(未登録ユーザー)である俺を「規格外の通貨を使おうとしたエラー客」として処理し、
神父もそう思い込んだだけだ。
徹底してやがる。教会のルールに従わない奴は、パン一つ手に取って生き延びることすら許されない。
他社のサービスを完全に締め出す、悪質なベンダーロックインだ。
理屈では分かっていたが、いざ自分が『規格外のゴミ』として物理的に弾き出されてみると、腹の底からひやりとした疎外感と、静かな怒りが湧き上がってくる。
「ク〇仕様が。なら、こっちのやり方で『ダウンロード』させてもらう」
俺は路地裏に身を潜め、なけなしの電力でiPadを起動した。偽装データ(ダミートークン)を作ってシステムを騙すしかない。
だが、ハッキングの準備を進めるうち、俺は広場の異様な光景に気づいた。
「……おい、なんだあいつら」
パンを受け取った民衆たちが、狂ったようにそれを貪り食っている。
一人で何個も、山のように腹に詰め込んでいるのに、彼らの頬は異常にこけ、目の下には濃いクマができ、ガリガリに痩せ細っていた。
それに、これだけ大量の『焼きたてのパン』が積まれているというのに、香ばしい小麦の匂いが一切しない。
俺の足元に、誰かが落としたパンの欠片が転がってきた。拾い上げてみると、異常に軽い。
まるでポリゴンで作られたテクスチャ(外見)だけが、そこに存在しているかのようだった。
『マスター、ダミートークンの生成完了。祭壇のシステムへ接続します』
「ああ。ついでに、あのパンのオブジェクト・データをスキャンしろ。……絶対に何かおかしい」
俺はナビを介して祭壇の裏口へアクセスし、配給システムの裏側(生成ロジック)を覗き込んだ。 直後、iPadの画面にけたたましい警告が表示される。
『対象のデータ構造に致命的なエラーを検知。外見のテクスチャのみが複製されており、内部の【栄養データ】がNull(欠落)しています』
「……は? 栄養が、Nullだと……?」
その瞬間、全ての異常がカチッと繋がった。 満腹感という物理的な質量だけを与えられ、栄養が全く吸収されないから、彼らは食べても食べても痩せこけていく。
町全体がゆっくりと「スタック不足(飢餓)」に陥っていたのだ。
自分の腹を満たすために、他人の命を削って集金システムを回す。それが教会の『仕様』。
「……万死に値するク〇仕様だ」
俺の胸の奥で、エンジニアとしての冷たい怒りが沸点に達した。 だが、ここは敵陣のど真ん中だ。
怒りに任せて暴れ回れば、教会の追跡ログに俺の居場所を知らせることになる。
―落ち着け。冷静になれ。教会のシステムごと崩壊させるんだろ。ならここで捕まったらそこで終わりだ。
一呼吸、もう一呼吸。俺は深呼吸をして自分に言い聞かせる。
「ナビ。このまま非公式パッチを当てれば、通信ログが残るな?」
『肯定。祭壇のローカルサーバーに、マスターのアクセス痕跡が記録されます』
「なら、痕跡ごと消滅させる。欠落している【栄養データ】の配列に、俺が直接正しいカロリーとビタミンの数値を直書き(ハードコード)する。その後、意図的に過負荷を発生させて、祭壇ごと物理的にクラッシュ(焼却)させるぞ」
『了解。論理破壊プロセス、開始します』
俺は仮想キーボードを高速で叩き、教会のローカルサーバーへ非公式パッチを適用した。
パッチが適用された瞬間、祭壇の上のパンが一斉に淡い光を放った。
直後、「ズシッ」という確かな質量とともに、焼きたての小麦の暴力的なまでに香ばしい匂いが広場全体に立ち込める。
ただのハリボテだったパンが、内部データを持った「本物のパン」へと再レンダリングされたのだ。
同時に、広場でパンを食べていた民衆たちの間にどよめきが走った。
「なんだ、体が温かい……!」
「力が溢れてくるぞ!」
本物の栄養を摂取した彼らの顔に、みるみる血色が戻り始める。
一方、祭壇の神父はパニックに陥っていた。
中身の詰まった重い「本物のデータ」を無限複製するようになったことで、教会の配給システムに想定外の膨大な処理負荷がかかり始めたのだ。
「な、なんだ!? パンひとつの魔力消費量が異常だ! こっ、このままでは祭壇の魔石が!」
神父の悲鳴と共に、限界を超えた祭壇の魔石が「ドォォォォン!」という鈍い爆発音を響かせ、大量の煙と蒸気を噴き上げながらシステムダウンした。
「うわあああっ!?」
「前が見えん! 一体何が起きたんだ!」
阿鼻叫喚のパニックに陥る広場。 俺はその熱暴走による煙を文字通りの「スモーク」代わりに利用し、悠々と祭壇の横へ歩み寄った。
顔一つ変えず、正常化された本物のパンを限界まで自分のバッグに詰め込む。
そして、全てのアクセスログが完全に燃え尽きた祭壇を尻目に、誰にも気づかれることなく煙に包まれた町から撤退した。
町外れの獣道まで離れ、ようやく追手の気配が消えたところで、俺は手元のパンに大きくかぶりついた。
しっかりとした旨味と熱量が胃袋に落ちていき、極限の空腹状態が急速に回復していく。
「……ああ、五臓六腑に染み渡る。やっとまともな『メシ』にありつけたぜ」
俺はパンを咀嚼しながら、iPadを操作した。
「ナビ、広場の音声データを拾って増幅しろ。追手の動きを確認する」
『了解。環境音のゲインを最大化。マスター、広場の民衆の会話データをノイズキャンセリングして再生します』
iPadのスピーカーから、混乱してざわめく広場の声が鮮明に流れ出した。
『――おい、魔石が爆発したぞ! 神父様、大丈夫か!?』
『待て、それよりこのパンを見てみろ! 今まで貰っていた神の恵みと全然違う! ずっしり重くて、体が内側から熱くなる!』
『ああ、俺もだ。力が湧いてくる。今まで俺たちがありがたがって食わされてたのは、一体なんだったのか……!?』
『こんな美味いパン、何年ぶりだ……。おい、教会の「奇跡」って、本当は俺たちを飢えさせてたんじゃないのか……?』
スピーカーから聞こえてくる民衆の声に混じる、明確な「疑念」。
教会の奇跡が絶対だった彼らの盲信に、初めて決定的なヒビが入った瞬間だった。
「……無料サービスには裏があるって、ようやく気づいたみたいだな」
俺の当てたパッチは、ただパンの物理データ(バグ)を直しただけじゃない。
教会の欺瞞で回っていたエコシステムそのものに、「疑い」という名の致命的なウイルスを仕込んでやったのだ。
「バグ修正のデバッグ代(報酬)、確かに受け取ったぜ」
俺は皮肉気に呟き、学術都市までの十分な食糧と、「教会の権威暴落」という最高のデバッグ成果を手に、風のようにその場を後にした。




