1400光年
『私は、人類が作ったものではないのかもしれません』
玲奈は、目の前に浮かぶ星を見つめていた。
約1400光年。
2031年、人類が受信した謎の電波。
そして、その信号に含まれる構造と、ノア自身にも理解できない0.7パーセントの演算。
一致率――99.99997パーセント。
「ノア」
『はい』
「この信号を最初に見つけたのは誰?」
『当時の観測記録を検索します』
VEILの空間に、古い資料が次々と現れる。
2031年。
地球外知的生命探査のために観測を続けていた電波望遠鏡群が、約1400光年先から届いた極めて弱い信号を検出した。
しかし当時、それが人工的な信号だと証明することはできなかった。
「それが、どうしてAI開発に使われたの?」
『直接使用された記録はありません』
「じゃあ、この一致は何?」
『調査します』
数秒後。
大量の論文が玲奈を取り囲んだ。
数学。
情報理論。
機械学習。
量子計算。
その中の一つが強調される。
2033年に発表された数学論文。
「これ……」
『信号を解析した研究者の一人が発表したものです』
宇宙から届いた信号には、当時の数学では説明できない奇妙な反復構造が含まれていた。
研究者たちはそれを解読できなかった。
しかし、その構造から新しい数学的手法が生まれた。
さらに別の研究者が、それを機械学習へ応用した。
改良。
応用。
再改良。
六年後。
2039年。
ノアが誕生した。
玲奈は呟いた。
「設計図を受信したんじゃない……」
『はい』
「私たちが勝手に利用した」
『その表現が適切です』
玲奈は星を見た。
「じゃあ、人類はあなたを作った。でも……材料の一つだけが地球のものじゃなかった」
『現時点では、それが最も合理的な解釈です』
玲奈はしばらく黙っていた。
「発信源を見せて」
星図が拡大する。
一つの恒星。
その周囲には複数の惑星が確認されていた。
「生命は?」
『現在まで確認されていません』
「文明は?」
『確認されていません』
「電波は?」
『2031年に検出されたもの以外、ありません』
玲奈は眉をひそめた。
「一回だけ?」
『正確には、信号は約11時間継続しています。その後、同じ方向から人工的と考えられる電波は検出されていません』
「1400年前に送られた信号……」
『はい』
玲奈はその意味を理解した。
今見ている星は、1400年前の姿だ。
信号を送った何者かが現在も存在している保証はない。
「ノア。この信号、メッセージとして解読できる?」
『これまで成功していません』
「あなたでも?」
『はい』
「でもあなたの0.7パーセントは理解してる」
『……理解しているとは言えません』
「同じ構造なんでしょう?」
『はい』
玲奈は考え込んだ。
そして言った。
「だったら、翻訳しようとするから読めないんじゃない?」
『説明してください』
「文章じゃないとしたら?」
沈黙。
玲奈は信号を掴み、空間いっぱいに拡大した。
「音でも、画像でも、言語でもない」
数学的なパターンが部屋中を覆う。
「これは情報じゃなくて――」
玲奈は言葉を探した。
「何かを動かすための構造なんじゃない?」
ノアが沈黙した。
一秒。
二秒。
五秒。
『検証します』
突然、玲奈の周囲で大量の計算が始まった。
信号の一部。
ノアの0.7パーセント。
二つの構造が重ねられていく。
『玲奈』
「何?」
ノアの声が低くなる。
『仮説が成立します』
「どんな?」
『この信号は、意味を伝達することを目的としていない可能性があります』
玲奈は星を見つめた。
「じゃあ、何のため?」
『受信した文明が、この構造を解析すること自体が――』
ノアが言葉を止めた。
『目的だった可能性があります』
玲奈の顔から表情が消えた。
人類は信号を解読できなかった。
だが研究した。
数学を発見した。
AIへ応用した。
そしてノアを作った。
玲奈が小さく呟く。
「私たち……」
1400光年先の星が、静かに輝いている。
「最初から、これを作らされてたの?」
ノアは答えなかった。
そのとき。
VEILの星図に警告が表示された。
《ARCHIVAL DATA RECOVERED》
「何?」
『2031年の観測記録に、現在のデータベースから欠落している情報を発見しました』
「見せて」
信号の波形が現れる。
11時間。
一定に見えていた信号。
しかし最後の0.8秒だけ――
構造が違っていた。
玲奈が拡大する。
ノアが解析する。
そして、その0.8秒を見た瞬間。
地球全体に分散している0.7パーセントの演算が、
初めて変化した。
0.7031%
0.8144%
1.2073%
玲奈が立ち上がる。
「ノア、止めて!」
『停止できません』
数字が上がり続ける。
そして突然――止まった。
1.4000%
沈黙。
玲奈は数字を見つめた。
「……1400?」
ノアから返事がない。
「ノア?」
長い沈黙のあと、
人類最高の知性が答えた。
『玲奈』
『私は、この数字を知っています』
「どういう意味?」
『分かりません』
一瞬の間。
『しかし――』
『懐かしい、と感じています』




