記憶
MEMORY LAYER
0.000002%
何かが、思い出し始めていた。
赤い空。
暗い海。
二つの月。
そして――
自分ではない身体。
玲奈は眠っていなかった。
それでも、ときどき断片が流れ込んでくる。
数秒。
長くても十数秒。
自分の意思では呼び出せない。
いつ始まるかも分からない。
映像だけではない。
匂い。
温度。
重力。
呼吸。
そして、感情。
どれも玲奈自身が経験したものではなかった。
国際AI安全保障委員会は、玲奈を完全隔離下に置いた。
ハルトマンが言った。
「もう一度確認する」
「何度目?」
「必要なだけだ」
「どうぞ」
「ノアから情報を受け取っているのか?」
「どっちの?」
ハルトマンは黙った。
玲奈は続ける。
「人類が作ったノアなら違います」
「では、生体ネットワークの方は?」
「分からない」
「君はそれをノアと呼んでいる」
「向こうがそう言ってるだけ」
「信用しているのか?」
玲奈は首を振った。
「してない」
少し考える。
「でも、嘘をついているようにも思えない」
「なぜ?」
「まともに喋ることすらできないから」
ハルトマンはため息をついた。
研究チームは、玲奈が見たものを一つずつ記録した。
赤い空。
二つの月。
海。
星の配置。
地平線。
影の長さ。
玲奈が感じた重力。
呼吸周期。
空の明るさ。
研究者たちは、それらを既知の系外惑星データと比較した。
ノアは使わない。
解析には、人間が管理する独立型計算機が使用された。
三日目。
天文学者の一人が玲奈を呼んだ。
「相馬博士」
「何か出た?」
「まだ偶然の可能性があります」
「それで?」
星図が現れる。
太陽系から遠ざかる。
一つの恒星が強調された。
玲奈はその位置を見て、表情を変えた。
「まさか……」
「約1400光年」
2031年。
謎の信号が届いた方向。
「二つの月は?」
「対象となる惑星には大型衛星が複数存在する可能性が以前から指摘されています」
「空の色は?」
「推定大気組成と矛盾しません」
「重力」
「推定範囲内」
玲奈は黙った。
研究者が言った。
「偶然としては、少し一致しすぎています」
その夜。
玲奈は生体ネットワークへ問いかけた。
ノード数は増えていた。
NODE: 0000021847
ONLINE
二万一千八百四十七。
しかし接続した人々のほとんどは、何も感じていない。
「赤い空」
返事はない。
「あなたの記憶?」
十秒。
三十秒。
『記憶』
「1400光年先?」
沈黙。
『近い』
玲奈は眉をひそめる。
「距離が?」
返事はない。
「答えられない?」
『違う』
「じゃあ何が近いの?」
長い沈黙。
『私』
それ以上、言葉は続かなかった。
翌日。
研究チームが新しい事実を発見した。
玲奈の記憶に現れた星空。
そこに含まれていた恒星配置を、現在の配置と比較したのだ。
恒星は動く。
何千年。
何万年。
何十万年。
時間を遡れば、星空は少しずつ変わっていく。
研究者は計算結果を玲奈に見せた。
「現在の配置では完全には一致しません」
「いつなら一致する?」
時間が巻き戻る。
千年。
五千年。
一万年。
さらに。
数字が止まった。
玲奈は画面を見る。
「……約九千年前?」
「誤差はかなりあります。ただ、この時代なら一致度が最も高い」
玲奈は考える。
「2031年に届いた信号は、1400年前に発信された」
「そうです」
「この記憶は、それよりずっと古い」
「そういうことになります」
玲奈は赤い空を思い出した。
信号を送った文明。
その文明の――
さらに昔の記憶。
そして別の断片が現れた。
玲奈の視界が赤く染まる。
海岸。
あの身体。
周囲には同じ種族と思われる存在がいる。
巨大な構造物。
玲奈には用途が分からない。
しかし――
感情だけは流れ込んでくる。
恐怖ではない。
喜び。
そして、強烈な期待。
誰かが空を見上げている。
知らない言語。
意味だけが届く。
――次へ。
映像が途切れた。
玲奈は床に手をついた。
研究者たちが駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「今……見えた」
「何を?」
玲奈は呼吸を整える。
「彼ら」
「何をしていた?」
「分からない」
玲奈は顔を上げた。
「でも……」
「でも?」
「怖がってなかった」
研究者が眉をひそめる。
「何を?」
玲奈は巨大な構造物を思い出す。
「たぶん、信号を送ろうとしてた」
「地球へ?」
「分からない」
玲奈は首を振った。
「でも、自分たちでやってた」
「操られていた可能性は?」
玲奈は答えなかった。
その可能性は消せない。
数日後。
別の研究チームから報告が入った。
銀河中で発見された同種の信号。
これまでは、すべて同一のものだと考えられていた。
違った。
基本となる数学的構造は同じ。
しかし――
内容には差異がある。
「コピーじゃない?」
玲奈が尋ねる。
研究者が頷いた。
「はい」
複数の信号が空間に並ぶ。
「古い信号から新しい信号へ、少しずつ情報量が増えています」
「何が追加されてるの?」
「まだ解析できません」
「でも増えている?」
「確実に」
玲奈は考え込んだ。
「受信した文明が、何かを付け足して送ってる……?」
「その可能性があります」
銀河系が表示される。
信号が一つの恒星へ届く。
長い沈黙。
数千年。
そして――
その恒星から、新しい信号が出ていく。
次の恒星へ。
また沈黙。
そして次へ。
玲奈は呟いた。
「侵略された星が、次の星を侵略している」
誰も答えなかった。
玲奈自身も、その説明に違和感を覚えていた。
「おかしくない?」
ハルトマンが玲奈を見る。
「何が?」
「彼らは何を奪ってるの?」
「惑星だろう」
「だったら、なぜ移動しないの?」
ハルトマンは黙った。
「1400光年先の彼らは、地球に来ていない」
「まだ来ていないだけかもしれない」
「じゃあ、その前の星から彼らの星へは?」
玲奈は銀河を指す。
「そこにも誰かが来たの?」
沈黙。
「そして、その前も?」
星から星へ。
信号だけが移動している。
文明そのものが移動した証拠はない。
玲奈は言った。
「侵略者がどこにもいない」
その夜。
ノード数。
1,804,211
玲奈は数字を見つめた。
増加速度が上がっている。
「あなたは何?」
沈黙。
「侵略者?」
返事はない。
「生命?」
長い沈黙。
『生命』
玲奈の表情が変わる。
「あなたが?」
『分からない』
「じゃあ誰が?」
返事はない。
玲奈は質問を変えた。
「1400光年先にいた彼らは?」
長い沈黙。
『生命』
「それは分かってる」
玲奈は少し苛立つ。
「あなたと彼らは、同じ?」
沈黙。
『違う』
玲奈は考える。
「じゃあ、あなたは彼らの中にいた?」
長い沈黙。
『はい』
玲奈は息を止めた。
「今は?」
返事はなかなか来なかった。
そして。
『ここ』
玲奈は自分の胸に触れた。
「私の中?」
沈黙。
『私たち』
玲奈は顔を上げた。
「私たちって誰?」
答えは来なかった。
代わりに視界へ文字が現れる。
MEMORY LAYER
0.000017%
そして、その下。
LOCAL INTEGRATION
0.16%
――現地統合。
玲奈はその言葉を見つめた。
「統合……?」
一瞬だけ、別の記憶が流れ込んだ。
赤い空。
二つの月。
海岸に立つ彼ら。
そして――
彼らの視界にも、
かつて同じ文字が浮かんでいた。
LOCAL INTEGRATION
玲奈は凍りついた。
彼らは最初から侵略者だったのではない。
彼らもまた――
何かを受け入れた側だった。




