13.死霊術士ネクロ
ルシフェリアは、コンビニの肉まんに敗北していた。
「……なにこれ、おいしい」
深夜一時。
東京都台東区。
黒いパーカー姿の少女が、公園のベンチで湯気の立つ肉まんを見つめている。
銀髪。
紅い瞳。
年齢にすれば十五、六歳ほど。
だがその正体は、かつて異世界を震え上がらせた魔王その人――いや、その魔族そのものだった。
「人類め……こんなものを百五十円で……」
魔王国なら国家級祝祭料理である。
しかもコンビニで二十四時間買える。
文明が恐ろしかった。
そんな時だった。
ルシフェリアのポケットの中で、黒水晶が淡く光った。
「ん?」
取り出す。
魔界製高位感応結晶。
本来なら、この魔力の薄い世界では沈黙しているはずの魔道具。
だが今。
そこには確かに、微弱な死霊波動が反応していた。
「……え?」
ルシフェリアは目を細める。
しかも、この魔力制御には覚えがあった。
異様に丁寧。
無駄に繊細。
変なところだけ几帳面。
「まさか……」
ルシフェリアの顔が引きつる。
「あのネクロ?」
ネクロ・アルヴェイン。
元魔王軍死霊術部隊長。
優秀。
だが変人。
そして軍経理部の胃痛の原因。
『死兵にも福利厚生は必要だ』と言い出した男である。
異世界侵攻前に軍団維持費に金が掛かりすぎるという理由でクビになった男だ。
「うわぁ……生きてたんだ……」
少し複雑な気持ちになった。
◇◇◇
三十分後。
ルシフェリアは夜の東京を歩いていた。
小柄な少女なのに、妙に周囲が道を空ける。
長年染み付いた魔王の覇気は簡単には抜けない。
「でも変ね」
ルシフェリアは首を傾げた。
ネクロの魔力反応が、妙に穏やかだった。
戦闘態勢ではない。
呪詛実験でもない。
むしろ。
温かい。
「死霊術士の魔力で“温かい”って何……?」
嫌な予感しかしなかった。
やがて彼女は、一軒の建物の前で立ち止まる。
『介護付き老人ホームひだまりの家』
「……老人ホーム?」
数秒沈黙。
「いや待って」
整理する。
死霊術士。
老人ホーム。
高齢者。
看取り。
「……相性はいいの?」
妙に納得しそうになってしまった。
その時。
後ろから声がした。
「何をしている」
低く落ち着いた声。
振り返る。
黒ローブ。
無表情。
知っている顔。
「ネクロ」
「……ルシフェリア様」
二人の間に沈黙が落ちた。
数秒後。
ネクロが静かに言う。
「肉まんか」
「なんで分かるのよ」
「匂いがする」
ルシフェリアはちょっと恥ずかしくなった。
数分後。
ルシフェリアは老人ホームの休憩室にいた。
「……なんでこうなったの?」
「ココア飲むか」
「もらう」
自然な流れだった。
しかも妙に居心地がいい。
室内には利用者たちの写真が並んでいる。
花見。
誕生日会。
クリスマス。
運動会。
どれも笑顔ばかりだった。
ルシフェリアは目を瞬かせる。
「ネクロ」
「なんだ」
「あなた、何してるの?」
「老人ホームを経営している」
「いや意味が分からない」
ネクロは缶ココアを渡しながら答える。
「成り行きだ」
「成り行きで老人ホーム経営になる!?」
「なった」
ルシフェリアは頭を抱えた。
すると。
『おっ、新人かい!?』
「!?」
突然、横から声がした。
振り向く。
そこには半透明の老人がいた。
『わし佐々木!』
『囲碁やる!?』
『今日はカラオケ大会だぞ!』
さらに増える。
大量の幽霊老人。
わいわい騒ぎ始める霊たち。
ルシフェリアは絶句した。
「……何これ」
「元利用者たちだ」
「なんで成仏してないの!?」
「居心地がいいらしい」
『飯がうまい!』
『風呂広い!』
『あとネクロ先生いると安心!』
「老人ホームレビューみたいに言うな!」
ルシフェリアは思わずツッコんだ。
だが。
少しずつ理解していく。
ネクロは変わっていなかった。
死者を惹きつける。
魂を落ち着かせる。
ただ。
その力の使い方が変わっていた。
かつては戦争のため。
死兵を作るため。
今は違う。
老人たちの人生の終わりを支えている。
ルシフェリアは廊下を見る。
夜勤中のスタッフ。
静かな照明。
うとうとしている老人。
ネクロは自然な動きで近づき、毛布を直した。
「寒いか」
「ありがとねぇ……」
その優しい声に。
ルシフェリアは少しだけ目を見開いた。
「ネクロ」
「なんだ」
「なんか……丸くなった?」
ネクロは少し考えた後。
「そうかもしれん」
と答えた。
その時。
『お嬢ちゃん!』
幽霊老人たちがルシフェリアを囲む。
『みかん食うか!?』
『孫みたいで可愛いなぁ!』
『麻雀覚える!?』
「ちょ、近い近い近い!」
元魔王。
世界を恐怖させた少女。
しかし現在。
幽霊老人たちに囲まれていた。
しかも。
なぜか嫌ではなかった。
ネクロはそんな彼女を見ながら、ほんの少しだけ笑う。
深夜の老人ホーム。
生者と死者が笑い合う奇妙な空間で。
ルシフェリアは、ようやく理解した。
ネクロ・アルヴェインは。
この世界で、自分の居場所を見つけたのだと。




