櫻澤由紀(1)
畳敷きの床、十分に綿の詰まった座布団に座った私は揃えた膝の上に置いた手がじっとり汗ばむのを感じた。
慣れ親しんだ屋敷の一室ではあっても、この部屋は別世界のようなもので、私がここで御祖母様と対面した回数は片手で足りる。
「それで、第一修練場を使いたいと?」
「はい」
先日の御姉様との決闘を終え、私は次期当主候補として認められる立場は手に入れました。
次は私の願いを叶えるに足る戦力を整える計画です。
私が自由に出来る戦力、それも幽鬼に対しても有効なもの。それは私が掲げた『鬼の殲滅』に分かり易く現実味を持たせる為の要素の一つです。
私は現在、討伐部隊の一つも指揮していません。
そんな私がいくら理想を語ろうと、それは絵に描いた餅でしかなく、血気盛んな若手に夢を見せる事は出来ても、現場の越境者達にとっては現実感の無い話でしかないというのが、私と一虎さんの共通した意見。
ですから、私は早急にそれなりの戦力を整える必要があるのです。
候補者は順調に集まっています。
その候補者達を短期間で教育出来る体制も整えました。
後は、一族の者が成人の儀で使用する第一修練場の使用許可を取るだけ。
私はその許可を御祖母様に頂く為に、こうして面会しているという訳です。
「由紀」
「はい」
「私は貴女のやろうとしている事をとやかく言うつもりはありません」
「……」
「ですが、それは多くの者を巻き込み、その人生を変えてしまうでしょう。そこには不幸な結果も多く現れる事になります。……貴女自身、戻れない道を進んでいる自覚はありますか?」
私は決闘の際、御祖母様の前で初代様と同じ力を使って見せました。
その事で、御祖母様に私の覚悟を見せたつもりです。
ですから、私はその質問に怯む事はありません。
「御祖母様の言う通り、私は自分自身の願いの為に沢山の人を巻き込むつもりです。そうでなければ成し得ない事だと思っていますから。そして、その人たちに多くの犠牲を強いる事も承知しています。そんな私が最も多くを差し出す事は当然の事だと思っています」
私は私の目を真っすぐ見る御祖母様へ覚悟が伝わるように、視線に意思を込めて見返します。
どれくらいそうしていたのか、御祖母様は静かに目を閉じ、
「そうですか」
と小さく呟いた。
その呟きはあまりに弱々しく、私は驚きに視線が揺れるのを止められませんでした。
「いいでしょう。第一修練場の使用を許可します」
目を開いた御祖母様は、いつもの凛とした調子に戻っており、さきほどの様子が嘘のようで、私は一瞬見間違いだったかと目を瞬かせてしまう。
「どうしました?」
「い、いえ、では、お渡しした予定に沿って、計画を進めさせていただきます」
私は床に手をつき、深々と頭を下げてから、その場を下がった。
廊下に膝をつき、障子戸を閉める。
ほっと一息つきたい所ですが、部屋を出てすぐにそんな様子を見せ、誰かにそれを知られては侮られる原因ですので、私はさりげなく手の汗を拭うだけに留めます。
日本家屋独特の昼なお薄暗い廊下を進むみ、日の照らす縁側へ出ると、初夏の日差しが容赦なく私の目を焼いてきます。
「っ!」
日の入り込まない廊下から、急に明るい場所に出たせいで、私は立ち眩みにも似た感覚に襲われ、思わず額に手をやった。
縁側からは整えられた庭を見渡すことが出来、その中に青々とした葉を茂らせ、寄り添うように植えられた木が二本ある。
それを目にして、私は先ほどよりも強い目眩を感じました。
でも、これは先ほどのものとは原因が違います。
今回のそれは―――
「どうかされましたか? 由紀様」
私は額に手をやったまま、声の方へと顔を向ける。
そこには仕立ての良いスーツをピシッと着こなした初老の男性の姿がありました。
「少し日が強くて目眩がしただけです。もう何でもありません」
「そうでしたか。……御館様とのお話は?」
「ええ、もう済みました」
御祖母様付きである正孝さんは私の言葉に頷き、庭へと目を移すと、その一点に目を留めました。
私はその視線の先にあるものが何であるか気付き、嫌な予感を覚えます。
「では―――」
「あの樹―――」
私は予感に従って、その場を去る為に挨拶をしようとしましたが、それは正孝さんの言葉と重なってしまい、お互いに言葉を止める事となりました。
正孝さんは一度、私をうかがった後、再び口を開きました。
「あの樹を見ていると、幼い頃のお二人を思い出します」
私は、やはり、と思った。
「あの記念樹のように、お二人の仲睦まじい様子に我々は目を細めたものです」
正孝さんの言う『お二人』とは私と御姉様の事でしょう。
正孝さんの言うように、幼い頃の私は御姉様の後ばかりをついて行く子供でした。
そして、御姉様もそんな私を邪険にする事なく、よく可愛がってくれました。
私は、記憶の底から呼び起こされ、勝手に脳裏に浮んでくる過去を止めることが出来ませんでした。
嫌な思い出ほど、鮮明に思い出されるのは何故でしょう?
まあ、思い浮かべまいと思った時点で負けなのでしょう。
私は勝手に思い起こされる過去の記憶と向き合いつつ、心の中でだけため息を吐いた。
あれは私がまだ五歳の頃の事でした。
櫻澤の里に多数の幽鬼が徒党を組んで襲撃をかけて来たのです。
それは『厄災』と呼ばれる、長く続く櫻澤の歴史でも初めての出来事でした。
幽鬼は己の欲望を満たす為だけに人を襲い、そこに侵略の意思などは皆無。私たちの事を敵と認識しているかさえ怪しいものです。
奴らは単独で現世と幽界の狭間に真夜を展開し、狩猟犬を放つように眷属鬼を産み出し、人を狩場たる真夜に追い込んで、狩った獲物を美味しく頂く。
つまりは奴らが人間を襲うのは、狩猟が趣味の個人が休日に楽しむレジャーのようなもので、私達は森の猛獣であったり、海の毒魚のように趣味に潜む小さな危険でしかないというのが一部の研究者の見解だそうで、徒党を組んで越境者の組織を潰しに来るなどという事は想定外だったそうです。
しかし、現実に奴らはやって来て、櫻澤の里は甚大な被害を出しました。
里の警備防衛を担当する御剣家は果敢に応戦したそうですが、彼らは里の中での揉め事や外界からの干渉など、対人戦を想定して置かれた部隊であり、鬼との戦闘経験はそれほどありません。
それでは複数の幽鬼が率いる鬼の集団を相手にするには役者不足もいいところ。
里の陥落は時間の問題でした。
御剣家の者だけで無く、里に居た越境者は皆、戦闘に参加し、非戦闘員や子供を逃すだけの時間を必死で稼いだそうです。
その中には、当時の櫻澤本家当主である私の母とその伴侶である父も含まれていました。
いえ、むしろ、子供達を御祖母様に託し、先頭に立って応戦していたと聞きます。
結局、応戦した里の越境者達は八割以上が戦死し、戦いは厄災の中で越境者としての力を得たカレンさんの手によって収められました。
当時の私はまだ五歳。
それらの事を知ったのはずっと後になってからのことです。
私はただ、御祖母様に連れられて、里に居た子供達と一緒に第一修練場へ避難していただけ。
戦いが終わり、幽鬼達が展開した真夜が解ける前に、私達は目にしたのです。
倒壊した建物を、炎に焼かれる森を、倒れ臥す里の仲間を……。
勿論、そんな光景をいつまでも子供達の目に映させるような事を大人達が良しとする筈も無く、避難者の護衛に付いていた越境者によって私達はすぐに現世へと脱出させられました。
現世へ戻った私達が見たのは、いつもと変わらない里の姿。
でも、私達は真夜の中で見た光景を忘れはしませんでした。
そして、厄災を乗り切った後、里の情景は一変する事となります。
殆どの施設は建て替えられ、森の木々は広く切り拓かれました。
私達は現世に戻り、何事も起きていないかのような、思い出の詰まった住居や施設を自らの手で更地へと変えなければならなかったのです。
里に住む子供達は私を含め、多くが親を失い、住居を失い、一時期は非常に不安定になってしまいました。
それでも、私は櫻澤本家の娘。
たとえ五歳であっても泣き暮れている事は許されなかった。
だから、私は鬼を憎みました。
私から大好きだった父母を奪い、その思い出の詰まった里を変わり果てた姿へと変え、幼い私を本家の娘としての振る舞いを強制される立場へと押し上げた、鬼を憎みました。
そして、それは御姉様も同じだと思っていました。
「由紀、辛いなら泣いでもいいのよ?」
里の者や御祖母様の前では本家の娘として気丈に振舞わなければならなかった私も、御姉様の前でだけは幼い子供に戻ることが出来ました。
そんな私を御姉様はそう言って、よく慰めてくたものです。
だから、私は六歳の誕生日に唯一思い出のまま残された屋敷の庭に植えられた桜の前で御姉様に私の決意を告げた。
「おねえさま、ゆきはぜったい、おかあさまとおとうさまのかたきをとります。ゆきたちのさとをメチャクチャにしたおにをゆるしません」
それは大人たちが私にそうあるように期待してよく口にしていた言葉をなぞったものでしたが、私はきちんとその意味を理解していました。
そして、大人達の望みは幼い私にははっきりと言葉にできなかった、私の気持ちを言葉にしたものでもありました。
ですから、私は大人達が望むようにある事に対して抵抗はありませんでした。
そして、この時の私は、御姉様も私と同じ気持ちだと信じていました。
心の支えだった御姉様を私も助けてあげられるように、私も頑張ると、そう伝えたくて口にした言葉だったのです。
しかし、御姉様は眉根を寄せ、悲しげな表情でこう言ったのです。
「由紀、憎しみに囚われてはダメ。お母さんもお父さんもそんな事は望んでいないわ」
てっきり喜んでくれると思っていた私は御姉様の言葉に驚きました。
次に、私が子供だから、命の危険がある戦いから距離を置かせるためにそう言ってくれているのだと思いました。
でも、御姉様の気持ちは言葉の通りのものでした。
御姉様には御姉様なりの考えがあったのでしょうが、当時の私にはそれが解りませんでした。
今の私はそれが解っていても、自らの理想を曲げるつもりはないので、成長しているのかはイマイチ解りませんが……。
兎も角、幼い私は心の拠り所としていた御姉様から、同じく心の拠り所としていた思いを否定されたのです。
そして、私は自らのままならない思いをぶつける事を選んだのです。
この時から、私の目標は父母の無念を晴らす事となりました。
「あの頃のように、二人手を取り合う事は難しいですか?」
私は正孝さんの声で、自らの心の内から現実に戻されました。
「無理です。私と御姉様の道は過去、あの場所で分かたれたのです。今更、交わる事は有りません」
「……そうですか」
私の言葉に正孝さんは眉尻を下げ、悲しげに呟きました。
その表情は私の胸に小さな痛みをもたらしましたが、私は逆に表情を引き締めます。
私の理想を実現する為には冷淡と思える程強いリーダーである必要があるのです。
「御祖母様の許可を頂いたので、計画を進めなければいけません。やるべき事が山積しておりますので、失礼します」
「はい、御引き止めして申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる正孝さんに背を向け、私は屋敷の玄関へと向かいます。
本部への渡り廊下を抜け、重厚な扉を潜ると、扉の脇には一虎さんをはじめ、私に従う者の中で中心的な者たちが揃っていました。
「由紀様、御当主の許可は下りましたか?」
代表して一虎さんが私に問いかけてきます。
「ええ、許可は頂けました。これで、計画を進められます」
私の言葉に一団から小さくない歓声が上がる。
「皆さん、これから忙しくなりますが、どうかよろしくお願いします」
そう。
私はこの道を選んだのですから、最後まで貫き通します。
それが例え御姉様とぶつかる道であったとしても、幼い私が震える手で選び取った道なのですから。




