櫻澤御幸(1) 咲かない桜
私―――櫻澤御幸は夜の帳が降りる中、縁側を歩きながら何とは無しに庭へと目を向けた。
カレンの査問の為に帰って来た櫻澤の里。
査問期間中は軟禁されていたから、二週間近く滞在したにも関わらず、ほとんど本家の屋敷には居なかったわね。
二年以上離れていたから、懐かしさを感じるかと思っていたけれど、全く変わっていないはずのここには余所余所しさしか感じなかった。
その事で私は既に自分の居場所はここでは無く、仲間と過ごすホームなのだと改めて感じた。
「ここは変わらないけど、私は変わったのね」
ポツリと独り言がこぼれた。
本当にここは変わらない。
庭の木々も、人の在り方も何もかも。
「あっ……」
庭の片隅に並んで植えられた二本の桜の木を見つけて、私は足を止めた。
櫻澤家では名にちなんでか、女児が生まれた年に母親が娘の為に桜の自生苗を植える習わしがある。
この桜は私と由紀が産まれた年に、それぞれ植えられた記念樹だ。
桜の木は大きく育ち、枝には青々とした葉を茂らせいる。
私は踏み石の上に置かれたつっかけを履き、もっと近くで木を眺める為に、庭へと出た。
「もうずっと花が咲いている所は見てないのよね」
高校進学の為に屋敷を出てから今日まで里帰りは一切していないし、屋敷に住んでいた頃も、桜の季節は庭に面したここを通らないようにしていた。
私は毎年、この桜が花をつけるのを心待ちにしていた頃のことを思い出す。
「おねぇさまのさくらはおおきいですね」
まだ両親が健在の頃、由紀は私にべったりな子だった。
「つぎのはるはゆきのさくらもさくでしょうか?」
紅葉のような小さな手で、私の手を引いてそう聞くのは毎年の事で、それは由紀の桜に蕾がつくまで続くと、この頃の私は根拠なく、そう思っていた。
「どうかしら? 咲くといいわね」
「はい」
自生の桜は五、六年で花をつけるようになるそうだけど、この頃の私はそんな事は知らなかった。
ただ、私の桜が花をつけたのがその時の由紀のくらいの歳だったので、きっと咲くだろうと思っていたのは覚えている。
「由紀の桜が咲いたら、ここでお花見をしましょうか?」
「おはなみ?」
「花を見ながらみんなでおいしいものを食べるのよ」
「わぁ〜、おはなみしたいです!」
実際にやれば、子供は花より団子なんでしょうけど、由紀は満開になった自分の桜を想像してか、三メートルに届かない程の木を見上げて、はしゃいでいた。
「ゆきはここ、おねえさまはわたしのとなり。こっちはおかあさま。おとうさまはここ」
由紀はお花見ごっこなのか、身近な人達の名を上げ、次々と席を決めていく。
その決め方は完全に子供のそれで、お花見の席次を決めていると言うより、自分を中心とした一方的な感情の相関図を書いているように見えた。
「由紀、カレンの席は無いの?」
私は分かっていて、からかうように言った。
私の質問を受け、由紀は可愛い眉を顰めた。
「……カレンちゃんはよびません」
「なぜ?」
「……だって……」
自分でも意地悪だと思ったけど、むくれながら言いづらそうにしている由紀が可愛くて、つい追求してしまった。
「カレンちゃんはいじわるです。きょねん、ゆきのさくらはさかないっていいましたから、さいてもおはなみにはよんであげません」
その前の年、由紀が私に桜は咲くか聞いた時、たまたまカレンが一緒にいたのだけど、カレンは庭師から自生していた桜が咲くには成長が足りないと聞いて、それをそのまま由紀に伝えたんだったわ。
でも、由紀はカレンが意地悪で咲かないと言っていると思ったようで、由紀の中でカレンは意地悪な人となってしまっていたのよね。
「……それに、カレンちゃんはおねえさまといつもいっしょにいるから……」
「え?」
「ゆきのさくらがさいたおいわいなら、ゆきがおねえさまをひとりじめしていいんです!」
私は思わず吹き出していた。
由紀がカレンを嫌うのは、誤解からだと思っていたけど、私への独占欲もあったのだと初めて気づいた。
あまりに可愛らしい理由に、私は笑いながらむくれる由紀の頭を撫でた。
でも、由紀の楽しみにしていたお花見は開催されなかった。
何故なら、春が来る前に里は幽鬼の集団に襲撃されるという災厄に見舞われ、何とか無事だった桜も荒れた大地では咲かなかったし、里全体も花見が許されるような空気ではなくなってしまったから。
その後、災厄で両親を失った私達の関係は急速に悪化してしまったので、結局、一度もお花見をする事はなかった。
私は過去から現在に意識を戻し、桜の木を見上げる。
私は由紀の桜が花をつけているところを一度も見たことが無い。
ここに来ると、今のように両親が健在で仲の良かった頃の事を思い出してしまうから、無意識に避けていたのだと思う。
今、桜の木を見ようと思ったのは、きっと決闘で由紀の望みを知ったから。
「本当に、変わらないのね」
由紀と私の間に溝が出来たのは、両親の死について、受け止め方が違った所為だと思う。
私は生きていた頃の両親の意思を継ぐ事を目指し、由紀は両親の無念を晴らす事を選んだ。
共に両親への思いが強く、まだ幼かった私達はお互い何を想って選択したかは同じなのに、方向性の違いを認められず、衝突し、歩み寄ることが出来なかった。
あれから十年も経っているのに、今回の決闘騒ぎでも結局、衝突するだけで終わってしまった。
「私も変わらないのね」
変わったもの、変わらないもの。
何を変えればあの頃のように戻れるのかしら。
それがいつか分かれば、いいと思う。
「そうなったら、ここでお花見でもしましょうか?」
私は思い出の中にしか居ない、幼い由紀の幻影に向かって語りかけた。




