4-20 蒼い月に吠える
「ごぅらあぁぁっ!」
クラブのホールにタイタンの咆哮が木霊する。
ホールは防音だけで無く、音の響きも十分に考慮されて建てられていたが、タイタンとカレンの戦闘で天井も床もボロボロで、それが機能しているとは思えない。
タイタンの咆哮が響くのは、単純にその声量が桁外れだからな過ぎないだろう。
その桁外れの声量は、変異し、人に擬態していた頃以上に巨大になった体躯だからこその物だろう。
タイタンの頭は既に四メートル以上はあるホールの天井に閊えそうな程だ。
気合の咆哮と共に、体躯に見合った剛力で放たれた拳がホールの壁をウエハースを砕くように、簡単に粉砕する。
とはいっても、それはウエハースではなく丈夫な建材だ。飛び散る破片一つでも当たれば重症は免れないだろう。
爆発物を使っているかのような破壊を撒き散らすタイタンだったが、戦闘が始まって以降、一撃もカレンに加える事が出来ていない。
当たれば即戦闘終了なのだが、当たらなければ意味は無い。
しかし、タイタンは巨体となり、多少動きが遅くなったものの、元より体躯に見合わない素早さも兼ね揃えていた。
それは更に大きくなった今でも変わりなく、十分なスピードを以って拳を振るっている。
その為、カレンはタイタンの攻撃を受けないためには躱すだけでは追いつかず、タイタンよりふた周り程小さな体躯まで成長したロボに庇われて凌いでいる状況だった。
タイタンの攻撃を幾度も受けたロボは額や脚に傷を負っており、その美しい毛並みは血に汚れてしまっている。
ロボでさえ傷を負うような攻撃に黒狼が耐えられる筈もなく、カレンは黒狼を引っ込め、ロボのみに力を注いでいる。
「どうした! 逃げているだけでは俺を倒す事は出来んぞ!」
変異する前とは逆に、一方的な展開にタイタンは得意げに吠える。
「うっさいわね。そういうセリフは一撃でもアタシに入れてから言いなさいよ」
「ぬかせ! 手下を盾に逃げてばかりのくせに、デカイ口を叩くな!」
タイタンの剛腕が唸り、カレンが立っていた床を粉砕する。
しかし、既にカレンはそこには居らず、飛び散る破片を避けつつ、タイタンから距離を取る。
「ぬぅっ!」
タイタンは次に一撃を放つべく、カレンの方へと向きなおる。
「ロボ!」
その横っ腹にカレンの命を受けたロボが体当たりを仕掛けた。
「おおうっ」
方向転換の途中に横ざまから突っ込まれ、タイタンは堪らずよろめく。
「ちっ!」
よろめく程度にしか効果のなかった事にカレンは苛立ち、思わず舌打ちする。
これまでの戦闘を見るとタイタンは幽鬼ではあるが、特殊な能力を持っているタイプでは無いようだ。
ただ、単純に巨大な体躯とそれに見合わぬスピード、見た目通りのパワーとタフネス。
単純にそれだけだ。
だが、単純ではあるが故に弱点らしい弱点もなく、地力で上回らなければ、突き崩すのは難しい相手だ。
「洒落臭いわ!」
タイタンは姿勢を戻すと、身構えるロボへと拳を振るう。
だが、正面からの攻撃を食らうほどロボも甘くは無い。
姿勢を低く保ったまま、サイドステップで放たれた拳を避けてみせる。
ただ、反撃には至らない。
このまま戦闘が長引けば、いずれダメージは蓄積し、今のように正面からの攻撃も避ける事が出来なくなってしまうかもしれない。
カレンは険しい表情でタイタンを睨む。
「なかなかの強者ではあったが、俺を打ち負かすほどでは無かったようだな」
タイタンも勝負の行方が見えたのか、余裕の表情でニヤリと笑う。
「先は見えた。この辺りで決着といくか」
タイタンはそう言うと、両の拳を打ち付けあい、力を込める。
「ふんぬぅ」
力を込めた二の腕、肩、胸がパンプアップし、ただでさえ隆々としていた筋肉が倍に膨れ上がったように見える。
「ふっ、うぅぅ」
両の拳を離し、ゆっくりと息を吐く。
盛り上がった肉体は萎む事なく膨れ上がったままだ。
「さあ、決着を着けようか」
ここにきてこけ脅しという事は無いだろう。
見た目同様にその脅威度を増したと考えるべきだ。
タイタンは拳を構え、カレンはそれを迎え撃つ構え。
両者の緊張が最大限高まり切る直前、ホールに冷気が溢れだす。
「「っ!」」
互いに相手のみに集中しており、それ以外の事については意識の外に追いやっていた二人は突然の異変に対して咄嗟に敵から距離を取る事を選択した。
次の瞬間、ホールと包み込んだ冷気が全てを氷漬けにする。
そして、カレンとタイタンの間には天井と床の両方から巨大なつららがそそり立ち、両者を隔てる壁が一瞬で出来上がった。
「立華さん!」
「アンタ……」
ホールを氷漬けにした張本人―――武部雪緒は戦闘の邪魔にならない距離を意識しつつ、カレンの名を呼ぶ。
「勝ったのね?」
カレンはニヤリと笑い、確信を持て問いかける。
「はい!」
「よくやったわ」
満面の笑みで答える雪緒に、カレンは親指を立てて見せた後、表情を引き締めえる。
「それじゃあ、さっさと逃げなさい。……ああ、もう一人の班員を探すのを忘れんじゃないわよ? それくらいの時間なら、まだ抑えてやれるから」
「私も援護します!」
さっさと逃げろというカレンに、反射的に雪緒はそう申し出る。
「足手纏いよ」
しかし、カレンの返答はにべも無い。
申し出をバッサリと切り捨てられた雪緒は鼻白み、反駁しようとするが、その肩を正親が掴んで止める。
「雪緒。俺達が居たら立華さんが力を抑えなきゃならないんだよ」
「え?」
雪緒は正親の言葉が理解出来なかった。
失礼ながら、雪緒から見たカレンはタイタンに押されているように見えた。
このまま続ければ、遠からず致命的な一撃をもらうであろう、ジリ貧の状況。だから、カレンがタイタンを抑えている間に、自分たちに逃げろと言っているのだと思った。しかし、正親は『立華さんが』と言った。
つまり、カレンが手加減して戦っていると言うのだ。
「立華さん、ウチの班員は二人共既に現世に帰還済みだよ。あと、この辺の被害については『武部』として後片付けを請け負うから、好きにやっちゃってよ」
元親の言葉にカレンは驚いた。
「本気?」
「本気も本気の大マジだよ。六月の末頃かな? 兄貴―――武部の当主から現場の判断を軽視し過ぎて来たって謝られたばっかりだから、どうとでも出来るよ。それより、ここで幽鬼を逃がす方がマズイ。だから、確実にやっちゃってよ」
元親は親指を下に向けて振り下ろす。
「ああ、でも、報告があるから、俺は残って見学させて貰うよ」
「はあ?」
元親はいい年齢であり、武部家当主を兄に持ち、五分家の出身でありながら長く前線に身を置く者だ。
カレンに対して周囲への被害を許容した場合どうなるかを知らないはずが無い。
それでも残って見届けると言う正親に、カレンは呆れてしまう。
「わ、私も残ります。元々これは武部班の仕事ですから!」
「はあぁぁ?」
親子揃って何を馬鹿な事を言い出すやら。
大体、カレンの枷を外したいなら、近くに人が居ない方が望ましい。
カレンは二人を追い払おうと口を開く。
「アンタらねぇ―――」
しかし、今は戦闘中。
氷の壁で一時的に戦闘が中断していたが、本来なら悠長に話し込んでいられるような余裕は無いのだ。
カレンが二人を追い払うより早く、爆発物を使ったような轟音と共に氷の壁は粉砕され、氷壁に出来た大穴からタイタンが姿を現す。
「面白い話をしているな。―――俺相手に手加減していただと?」
どうやら、氷壁越しにカレン達の会話が聞こえていたようで、タイタンは額に青筋を浮かべている。
「別に手加減してたわけじゃ無いわよ。ただ、建物を必要以上に壊さないように気を付けてただけよ」
カレンは別に挑発しようとして言っているのではない。
ただ、事実をありのまま言っただけだ。
しかし、それはタイタンにとっては挑発以外の何物でも無かった。
「く、くっくっくっ……」
かくりと首を折り、下を向いて肩を震わせる。
くつくつと笑い声が小さく聞こえるが、そこに宿る感情は喜怒哀楽で言えば、確実に怒りの感情だろう。
「……そこまで言うのであれば、証明して見せろ!」
かばりと顔を上げたタイタンの顔はまさに鬼の形相と言えるものだった。
「アンタ等、もう間に合わないから見ててもいいけど、巻き込まれんじゃないわよ!」
カレンは雪緒と正親にそう言うと、黒狼を二体喚び出し、二人につけた。
「ロボ!」
カレンの前にロボが滑り込むと、そのまま突っ込んで来るタイタンに体当たりを仕掛ける。
それに対してタイタンは、拳を握り込むと真正面から受けて立つ。
「きゃあっ!」
雪緒は思わず両手で目を覆いそうになるのを堪えるが、悲鳴までは抑えられなかった。
しかし、雪緒の予想とは違い、タイタンの拳を額で受けたロボは、四肢を踏みしめ耐えきった。
「何ィ?」
幾度もその拳でロボを吹き飛ばしてきたタイタンは真正面から受けられるとは思って居らず、驚きの声を上げる。
タイタンの拳を受け止めたロボは頭を振ってそれを振り払うと、下から上へ、体当たりをしかける。
ロボの体当たりはここまでの戦闘で何度も受けて来た。
そして、それらは不意打ちや姿勢を崩した状態で受けても、少しよろめく程度の威力しか無かった。
しかし、これは先ほどまでとは違う。
タイタンは本能的にそれを覚り、胸の前で両手をクロスさせてガードする。
「おおぅっ!」
これはどうした事だ。
タイタンは自分の体が宙に浮き上がるのを感じ、呆然とする。
本当に、今まで手加減されていた?
それは、なんという、屈辱だろうか。
次の瞬間、先ほどに倍する怒りがタイタンの脳を焼いた。
「たーちーばーなー、カーレーンーーーっっ!」
爆発的に燃え上がる怒りのまま、タイタンはカレンの名を叫ぶ。
ロボによって真っ直ぐ飛ばされたタイタンが、その巨体を天井にぶつけ、落下してくる。
「ロボ!」
カレンの声にロボは大きな咆哮で応えた。
「おぉ? おおぉぉぉ?」
ビリビリと周囲を圧する遠吠えと、ロボの変化にタイタンは目を剥いた。
変異後のタイタンは四メートルを超える巨体となっており、ロボはそれより二回りは小さかった。
しかし、落下する自分に向かってくる相手は明らかにその大きさを増している。
急速に巨大化し、伸びるように迫るロボの顎門をタイタンは両手足を突っ張るようにして受け止めた。
「ぐっ、ぐぬぬぅ」
己を咥え、閉じようとする顎門に対し、手足に力を込めて耐える。
手も足も鋭い牙に貫かれ、激痛が走るが、ここで力を緩めれば全身がそのようになり、もしかすると食い千切られるかもしれない。
タイタンは産まれて初めて死の恐怖に触れた。
ロボの遠吠えでへたり込んでいた雪緒と正親は、一瞬でひっくり返った状況に口を開けて見入った。
そんな二人にカレンは告げる。
「安心していいわ。被害はこの建物だけで収めるから」
「「え?」」
はっとしてカレンを見ようとする二人の襟首を、二人につけた黒狼が咥えて持ち上げる。
「「えぇ?」」
「舌噛むんじゃ無いわよ」
ロボの成長がホールの許容範囲を超え、天井を突き破る。
カレンは降り注ぐ瓦礫を華麗に避けつつ、ロボの元へと駆け、二体の黒狼は二人を咥え上げてカレンの後に続く。
「「ええぇ?」」
仔犬のように運ばれる二人はカレンの忠告を理解していないのか、大きな口を開けて驚きに声を上げた。
一方、タイタンを咥えたロボの成長は前足の付け根が建物の屋根をぶち抜いた所で止まる。
成長を止めたロボは頭を振ると、上空目掛けてタイタンを放り出した。
「ぐうぅぅぅっ……うおぉ!」
上下から加えられる圧力に必死に耐えていたタイタンは圧倒な力に振り回され、思わず声を漏らす。
それを恥じる間も無く、放り出された宙で手足をばたつかせ、必死で態勢を整えようともがくが、上下も分からないきりもみ状態ではそれもままならない。
やがて上昇が終わり、落下が始まる。
重力に引かれる事で、天地の判別はついたが、タイタンの見下ろしたそこに終わりが待っていた。
タイタンの手足を貫き、その血で濡れた鋭い牙が並び、先程まで耐えるだけで精一杯だった顎門がタイタンを迎えるために開かれている。
「うおぉぉぉぉっ……!」
声が枯れんばかりに叫ぶタイタンだったが、そんな事で終わりは回避できない。
無情に働く万有引力が、タイタンを終幕へと誘う。
バツン
あっさりとした音を立て、タイタンの体は二つに分かれ、地に落ちた。
狭い場所で散々好き勝手されたストレスからか、ロボは実に清々しい声で蒼い月に向かって吠えた。




