4-18 変異
屍鬼である蛇を一瞬で駆逐された上、堂々とした啖呵を切られて坂本は顔に貼り付いたような軽薄な笑みを引きつらせる。
「へっ、へへ、随分と威勢がいいねぇ? そりゃマジで言っちゃってる系?」
「当ったり前でしょうが! アタシが幽鬼の一匹や二匹で引く訳ないでしょ?」
カレンは肩にかかった髪を後ろに払う。
あまりに堂々とした様子に坂本がたじろいでいると、上からくつくつという低い笑い声が降って来る。
「面白い」
「ボス……っ!」
坂本が自らが飛び降りたガラスの破れを見上げると、笑いを引っ込めたタイタンが宙に身を躍らせた。
「立華カレン、とか言ったな。俺を恐れないのか?」
「だから、そう言ってんじゃない」
「口ぶりからすると、俺の同邦をヤッた事があるようだな」
「ええ、何匹もね」
「クククッ……」
カレンの受け答えに、タイタンは堪えきれないといった様子で笑い出す。
「これはいい。こんな所でそんな強者と見えるとはな……。坂本、コイツは俺がヤる。お前は残りを片づけろ」
「イエッサー」
初めはタイタンの参戦に驚いた坂本だが、強力な味方が出て来て自分の負担が減ったのだから、歓迎しないわけがない。
お道化た調子でタイタンに向かって敬礼すると、自分は雪緒たちに向き直った。
「さあ、立華カレン、始めるとしよう。お前の言葉がハッタリで無い事を願うぞ」
「願う必要なんてないわよ。一瞬で片づけてやるから」
「抜かせ!」
タイタンは真っすぐカレンへ向かって突進する。
それは体躯に見合わぬスピードで、瞬きしていればコマ落としに見えていた事だろう。
タイタンは一瞬で間合いを詰めると、カレンの頭部程もある拳を振りかぶり、貯めも無く放つ。
ボっと空気の壁を突き抜ける音を伴って、タイタンの拳がカレンの顔面に迫る。
くらえばリアルに頭部が吹き飛ぶであろう拳撃に、カレンは顔色一つ変えない。
別にあまりの迫力に固まっている訳では無い。
その証拠に、カレンは向かって来る拳に向かって一歩踏み出した。
自らを打倒そうと放たれた拳。それも確実に当たった場所が弾け飛ぶと確信するのに十分な威力を宿したそれに向かって踏み出す。
それは例え自らの腕に自信があったとしても、大変な胆力を必要とする事だろう。
カレンはそれを事もなげにやってのける。
そして、踏む出すだけで拳の打点はズレ、それを無理矢理修正しようとすれば、勢いはどうしても削がれてしまう。
幾分勢いを減じながらも、十分な殺傷力を持って迫る拳に、カレンは左手をそっと添える。
そこまでは一瞬の攻防といっていいものだったが、そこからはむしろスローモーション映像を見ているようだった。
ゆったりと、しかし流れるような滑らかさで、拳に添えられた左手がくるりと廻り、拳がそれに巻き込まれるようにカレンの後方へと引かれ、タイタンの上半身が前方に泳ぐ。
そのまま、拳はカレンの体を迂回するように後ろに回り、タイタンの屈強な体を引き摺って、一瞬でくるりと反転する。
カレンはそのまま左手を後ろに引きながら、左足を引いて体を回す。
淀みのない動きは拳撃に込められたタイタンの剛力を流れに乗せて誘導し、回転力へと変換する。
「おっ!」
拳に込めた力がカレンによって操られ、自らの制御を離れたことをタイタンは察知するが、もうどうする事も出来ない。
タイタンの巨体は宙を舞い、床へと叩きつけられる。
幽鬼の剛力で放たれた拳に宿る力は凄まじく、そこに回転の力とタイタン自重、カレンが加えた力が合わさったのだ。その威力は桁違いで、タイタンが叩きつけられた床は大きく陥没し、放射線状に深いヒビが刻まれた。
この投げ技は真一が越境者となるきっかけを作った眷属鬼である紅子に放ったのと同じ技だが、相手は幽鬼だ。
カレンは気負いは無くとも、相手を舐めているわけではない。
タイタンを地に叩き付けると即座に追撃に移った。
タイタンを投げた勢いのまま、自らも宙に身を踊らせる。
宙でくるりと反転したカレンが足を揃え、着地する箇所には叩きつけられた床からバウンドしたタイタンの喉。
筋肉に鎧われていないそこに、全体重に回転力を加えたカレンの両踵が突き込まれ、そのまま再びタイタンを地に縫い付けた。
シンと静まり返るホールに、床を割った影響でモウモウと土煙が立ち込める。
その煙を突き破り、ガーリーなパンクルックに身を包んだカレンがバックステップで飛び出した。
土煙の上がるそこに視線を定めたまま、地を滑り、すっくと立つカレンの視線の先。
徐々に晴れる土煙。
そこには大きく陥没した床に、打ち込まれた杭のように真っすぐ突き刺さるタイタンの巨体。
土煙が晴れたタイミングで硬直していた身体から力が抜け、地に落ちた巨体が新たな土煙を巻き上げる。
「す、凄い……」
状況も忘れてカレンとタイタンの攻防に見入っていた雪緒がポツリと呟く。
「なっ……」
雪緒と同様に戦いの行方に注目していた坂本が予想外の展開に声を詰まらせた。
「何やってんスか! ボスっ!」
絶対的強者であると確信していたタイタンが、純粋な体術で見るからに小柄で華奢なカレンに圧倒された事が受け入れられず、叫び声を上げる。
「立華さん!」
対して雪緒は喜色の滲む声でカレンの名を呼ぶ。
しかし、カレンはそれには答えず、厳しい表情で地に倒れ、ピクリとも動かないタイタンを睨んだまま、緊張を解かない。
「立華さん?」
雪緒はその様子に声のトーンを落とした。
不安がさざ波のように心を揺らす。
「クックックッ……」
地の底から響くような、低い笑声。
くつくつと笑うその声には、隠しようも無い歓喜が含まれていた。
「いいぞ、期待以上だ。まさか、その体躯でこの俺を真正面から投げるとは……」
声の主は間違えようも無い。
地に沈んだタイタンだ。
「面白い!」
細かな瓦礫を吹き飛ばし、タイタンは何事も無かったかのように、勢い良く立ち上がった。
「認めよう。貴様は本当の強者だ! 俺が全力で叩き潰すに相応しい強者よ!」
「うっさいわね! アンタに認められようと認められまいと、関係ないのよ! さっさと沈め!」
「応! かかって来い!」
天に向かって吠えるタイタンに、今度はカレンの方から突っ込んで行く。
カレンの周囲を黒狼が固め、背後から加速を付けたロボがその一団を飛び越えて上からタイタンへと飛びかかる。
「猪口才な!」
牙を剥くロボを横殴りにして、弾き飛ばす。
「おぉっ?」
上に注意が向いたタイタンの足の間を抜けるようにカレンは滑り込むと、すれ違いざまに軸足となっている左の足首を掴む。
滑り込みの勢いを、掴んだ足首を支点にして螺旋を描くように上方へと向けると、逆上がりのような恰好で足を跳ね上げ、タイタンの太い左足に巻き付くように絡む。
勿論、タイタンの足は鉄棒のように地面に固定されている訳では無い。
小柄な少女とはいえ、滑り込みの勢いと全体重をロスなく軸足に掛けられたのではタイタンに踏みとどまる事は不可能だ。
結果、タイタンはロボを殴った不安定な姿勢のまま体を泳がせ、前方に倒れ込む。
「ぐおぉっ!」
ステンと擬音語が付きそうなほど見事に転倒したタイタンだが、本人の状況はそんなコミカルなもので済まなかった。
カレンは単に全身を使った足払いを仕掛けたわけではなく、左足に絡みつく際に足首、膝を固めていたのだ。
完全に二つの関節を固められた状態で、転倒するとどうなるか。
転倒の勢いの全てでは無いにしろ、その一部が逃げ場を失い、最も弱い固められた関節に逃げ場を求めて集中する。
転倒の勢いがよければよい程、本人の体重が重ければ重い程、そのダメージは大きくなる。
結果、タイタンは足首、膝の関節を完全に粉砕され、その機動力の片方を失った。
カレンはタイタンが叫び声を上げるより早く、素早く距離を取り、激痛にのたうつタイタンを油断なく睨む。
「ぐおぉぉぉっ! たーちばなー、カレーンっ! ふうぅぅぅぅっ!」
地に伏し、血走った目でカレンを睨みつけるタイタン。
その顔が痛みと怒りで赤く染まる。
いや、顔だけでは無い、首筋や二の腕、露出している肌が残らず真っ赤に染まるのが見える。
そして、食いしばられた歯が人と似たそれから、古代の肉食獣を連想させる鋭い牙の連なりに変わり、こめかみ辺りから水牛を連想させる角が二本、肌を突き破って現れる。
「ぐ、ふうぅぅぅぅっ」
牙の隙間から息を吹き、破壊されたはずの左足を庇う様子も無く立ち上がったタイタンの姿は、真っ赤な肌に鋭い牙の乱杭歯、額に二本の角を生やしており、日本人の誰もが連想する鬼そのものの姿だった。
「坂本」
「は、はいっ!」
カレンから視線を外す事無く、タイタンは坂本を呼ぶ。
「俺はこれから全力を出す。巻き込まれたくなかったらさっさとやる事をやって、離れていろ」
「イ、イエッサー」
セリフこそお道化ているものの、坂本の顔色は青く、額には冷や汗が伝っている。
「それがアンタの本当の姿ってわけ?」
「ああ、お前は人に擬態したまま相手に出来るような甘い相手ではなかったようだ。ここからは全力を出させて貰う」
タイタンは変異に伴い回復した左足を叩き、にやりと笑う。
「フン! 出し惜しみ何てしてんじゃないわよ。こっちはさっさと終わらせて、行くとこがあんのよ」
「くくくっ、この姿を見ても臆さんか。実にいい」
「言ってなさいよ! ロボ!」
再び、カレンはロボと五匹の黒狼を従えて、タイタンへと挑みかかった。
「ってな訳でさ、俺ちゃん急いでここを離れたいわけよ。だから、アンタ等さっさと退場しちゃってよ」
タイタンとカレンの戦闘に巻き込まれないように距離を取りつつ、坂本は相変わらず軽薄な調子で、しかし、先ほどまではなかった焦りの滲む声で雪緒達を挑発する。
「貴方こそ、さっさと退場してください。私達は小林さんを救出して、早くカレンさんの援護に行きたいんです」
「はっ! あれに参加したいって? お嬢ちゃん、イカレてんねぇ」
坂本は肩を竦めて首を振る。
「雪緒、取りあえず田中さんを避難させて来な。それまではお父さんがコイツの相手をしてるから」
正親の言葉に雪緒は頷くと、満身創痍の田中に肩を貸して、引きずるようにホールの入り口へと向かう。
「おーおー、カッコいいねー、お父さーん。でも、簡単に行かす訳にはいかんのですよー」
坂本の影から再び大量の蛇が呼び出され、床を黒く染め上げて行く。
黒い絨毯のように床に広がり、迫り来る蛇の群れに向け、元親は懐から取り出した苦無を放る。
「はっ! そんなモンでっ―――!」
床を隙間なく這い回る蛇に対して、点で攻撃する苦無では焼け石に水にもならない。
それを嘲った坂本の声を、爆音が吹き飛ばし、轟轟と上がる爆炎が、驚愕に染まる坂本の顔を照らす。
苦無が撃ち込まれた床は小規模の爆発で焼け焦げ、ポッカリとそこだけ蛇の群れも消え失せていた。
動きを止めた坂本に構わず、元親は蛇の群れへと次々と苦無を打ち込み続ける。
「こ、この!」
続く爆音に、坂本ははっとして、減じた分に倍する蛇を新たに呼び出す。
「驚かされたけど、結局は俺ちゃんの物量に対抗できるかよ。押し潰してやるぜ」
「おじさん相手に張り切りなさんなって、こっちはロートルなんだ。程々に相手してやるよ」
「言ってろっての!」
言葉とは裏腹に、元親は機敏に立ち位置を移し、少ない手数で物量に押し切られないように立ち回る。
変異をしてその膂力を増したタイタンが暴れ、元親の苦無が小爆発を繰り返す。
防音対策が万全で、丈夫な造りの建物ではあるが、いつまでそれが持つのだろう。
建物が不吉に震える中、戦闘はより激しさを増していく。




