4-10 選択
真言はパンツスーツの女性に案内され、宿泊施設の一階でエレベーターを降りた。
正面玄関のあるエントランスを抜け、奥へと進むと談話室と表示された両開きのガラス扉が見えてくる。
扉の両脇にはカジュアルな服装の若い男性が二名立っていて、服装はあれだが、部屋に部外者が立ち入るのを止める役目を負っているのが分かる。
「どうぞ」
二人の接近に気づくと、扉の脇に立った男性が扉を開いてくれる。
女性はそれに無反応だったが、真言は軽く会釈をして扉をくぐる。
「由紀様、夕凪さんをお連れしました」
「ありがとう」
いくつも並んだテーブルとソファーのセットの内、一番奥の一つに腰かけ、コーヒーを飲んでいた由紀は、女性の言葉にカップを置き、視線を寄越す。
「疲れているところを呼び出して、ごめんなさいね」
「いえ、車に乗っていただけですから」
ニッコリと微笑む由紀に、真言は愛想笑いで応える。
真言は今日、櫻澤本家のある里にやって来たばかりだったが、由紀と共にパンツスーツの女性が運転する高級車に乗っていただけで、旅の疲れのようなものは全くない。
「今後の予定について、少しお話しておこうと思ったの。いいかしら?」
「はい、お願いします」
「では、取り敢えず座って。和音さん、彼女にもコーヒーを、私のものも淹れ直して貰えるかしら」
「はい、かしこまりました」
真言は由紀の向かいに腰を下ろし、カップを脇にやる由紀を眺め、自分がここ、櫻澤本家へ来る事になった経緯を思い出す。
◇◇◇
あの日、真言は三美市厚生病院の待合室で、失意の内に沈んでいた。
親友の恕が眠り病で倒れ、その原因が鬼にあるのではと考えた真言は真一と共にそれを確かめる為に行動した。その結果は、真一は重傷を負い、恕を襲った幽鬼を取り逃がす、という散々なものであった。
その後は、喧嘩別れした龍二に助けを求め、真一の怪我の誤魔化しも、入院の手配も全てやってもらった。
真言の連絡を受けた龍二の行動は迅速だった。
聞けば龍二は龍二で事態に対処するつもりだったとの事で、真言と真一の暴走を予想して、それを早めていた為、対応が早かったのだそうだ。
情けなくて死にそうだ。
自分がした事は、いたずらに事態をかき回しただけで、むしろ余計な事を仕出かし、みすみす幽鬼に逃げる時間をやっただけだ。
真言は龍二が諸々の対処に駆け回っている間、何も出来ずに病院の待合室で項垂れていることしか出来ない。
そんな真言の元へやって来たのが塚原和音だった。
「夕凪真言さん、でよかったでしょうか?」
「え?」
喪服のような黒のパンツスーツで身を包み、切れ者然とした鋭利な印象の和音は、深夜の病院で会うには不吉な印象しかなかった。
「私は塚原和音と申します。櫻澤の家に仕える者、といえば伝わるでしょうか?」
「っ!」
櫻澤と言えば、御幸の姓だ。
しかし、この場合の櫻澤が御幸を指すのではないことを真言は直感的に覚った。
「私のお仕えする方が貴女に話があるとの事で、参りました。今、お時間はありますか?」
「……」
櫻澤に関係するという事は、鬼や越境者の事を知っているという事で、御幸のチームに入った真言のことを知っていてもおかしくはない。
しかし、御幸に限らず、龍二やカレンも他の櫻澤一族にあまりいい感情を持っているようには見えなかった。
真言は何と答えたらいいか分からず、返事が出来なかった。
「警戒されているのですね。まあ、私の主人である由紀様は姉である御幸様とは折り合いが悪くいらっしゃいますから、当然ですか」
「妹?」
真言は御幸に妹がいるとは初耳だった。
「はい、夕凪さんにお話があるのは、御幸様の妹でいらっしゃる由紀様です」
「そう、ですか」
真言は御幸や他のメンバーがどういう家庭環境なのか、全く知らない。
櫻澤一族の内部の事はあまり語りたがらない空気を感じて、真言も真一も敢えて聞こうとしてこなかった部分は否定できないが、今更ながらその事を突き付けられたような気がして、何故かショックを受けてしまった。
「ああ、別に何処かにお連れして会って頂こうという話ではありません」
真言の表情を警戒を深めたと取ったのか、和音は追加で説明を始める。
「由紀様は里にいらっしゃいますので、病院の何処か、電話の出来る場所への移動はお願いしますが、それ以上の事は必要ありませんので、ご安心を」
「電話でお話をしたい、という事ですか?」
「はい」
「どういったお話なんでしょう? 私は御幸さんのチームに入ったのも最近ですし、越境者でもありません。櫻澤家のお嬢様とお話する事があるとは思えないんですけど……」
真言は率直な疑問をぶつける。
「詳しい話は由紀様がされますが、夕凪さんの希望を叶える、良いお話かと」
「私の希望?」
「はい、お友達を救う、鬼を打ち倒す力を手に入れたくはありませんか?」
「え?」
鬼を打ち倒す力、それはつまり
「越境者に成れるって事、ですか……?」
真言の問いに、和音は微笑むだけで答えない。
「お時間、いただけますか?」
真言は小さく、だがはっきりと頷いた。
二人は待合室を離れ、同じフロアにある自販機の並ぶ談話室の一角、携帯の使用が許可されているスペースへと移動した。
「少々お待ちください」
和音は真言に断ると、スマホを取り出して電話をかける。
少し呼び出し音が鳴っただけで、待ち構えていたかのように相手はすぐに電話に出た。
「由紀様、夕凪さんにお時間をいただけました。今からよろしいでしょうか?……はい、……はい」
短いやり取りの後、
「どうぞ」
和音は真言に繋がったままのスマホを差し出した。
「……もしもし」
真言は和音からスマホを受け取り、恐る恐る呼び掛けた。
「もしもし、夕凪真言さんですか?」
「はい」
「突然の事で驚かせてしまって、すみません。私は櫻澤由紀と申します。貴女の所属する討伐班班長である櫻澤御幸の実妹です」
スピーカー越しの声は想像したよりずっと穏やかな印象で、真言は少し安心した。
「実は私から貴女に一つ提案があるのですが、生憎と私は現在、里を離れる事が出来ません。不躾かとは思いましたが、このような形でお話しさせていただく事としました」
提案。それは先ほど和音が言っていた鬼を倒し、恕を助ける為の力を手にしたくは無いか、という話だろう。
真言は知らず、生唾を飲み込んだ。
「貴女の置かれている状況については把握しています。親友が鬼の被害に遭われたのですね?」
真一の入院に際して異常な治癒力について、理解ある対応を求める為に、龍二が本家を通して手を回しているのだ。
当然、現在の状況についても報告がされているので、由紀がこちらの状況を知っている事に、真言は疑問を持たなかった。
「越境者で無い貴女は無力感に苛まれている事でしょう。―――それを覆す力を手に出来るとしたら、貴女はそれを望みますか?」
「それは、越境者に成りたいか、という事ですか?」
事前に和音から匂わされていた為、驚く事無く、真言は冷静に確認する。
「理解が早くて助かります。ええ、その通りです。越境者になれるとしたら、貴女はそれを望みますか?」
真言が鬼に関わるのは今回で二回目。
一度目は、訳も解らず巻き込まれ、真一や梓に逃がして貰った。
今回は、自らその渦中に飛び込んでおきながら、何も出来ず、一度目と同じように逃がして貰い、その後始末まで他人任せになっている。
無力感に苛まれている?
当たり前だ。
前回とは違い、今回は自分で選択した結果がこれだ。
好きな人に庇われ、一方的に決別を宣言した人に後始末をさせ、親友は眠ったまま、その元凶である幽鬼を前にして何も出来なかった。
これで何も思わなければ、それは馬鹿だ。
「すごく都合のいい話ですね」
真言の心は無力感と自責の念に打ちのめされ、弱っている。
だが、ここで一も二も無く飛びつく程、判断を無くしているわけでは無い。
「御幸さんに相談してからお返事してもいいですか?」
チームのリーダーである御幸を通さず、真言に直接接触して来たのは、御幸に知られてはマズイ事情があるのでは無いか、そう考えた真言は相手の反応を見る為に、そんな事を言ってみる。
「ふふふ、意外に冷静ですね。―――いいですよ。御姉様にでも、そちらに残っている龍二さんにでも、相談されても構いません。別に疚しい事をしようとしている訳では無いのですから」
しかし、由紀は楽しそうに笑ってそう言う。
本当に、相談しても構わないと思っているようだ。
「でも、絶対に反対されますよ」
しかも、反対される、つまり、仲間から反対されるような事に誘っているとはっきり言った。
「何故言い切れるんですか?」
「だって、そうでなければ、今頃貴女はとっくに越境者になっているはずですから」
「……どういう事ですか?」
それではまるで、越境者に成れるにも拘らず、御幸がわざとそうしなかったみたいではないか。
「越境者の力は血に宿っている訳でも、生まれ持って異能でもありません。それはご存知ですか?」
「はい、梓さんと御幸さんから一通りの事は教わっています」
「ふふふ、一通りの事、ですか」
「何がおかしいんですか?」
由紀の笑い方で、馬鹿にされたように感じた真言の声に険がこもる。
「気を悪くされたなら、すみません。他意はありませんよ」
そうは思えず、真言は由紀に対する評価を下方修正した。
「話を戻しましょう。―――では、なぜ櫻澤『一族』などという物が存在するのでしょう?」
「え? それは―――」
古から鬼の討伐を生業とする櫻澤一族。
一族というくらいだから、濃淡はあれど血の繋がりによって成り立つ集団という事だ。
しかし、越境者の力は血に宿らない。
真言はその答えを知らなかった。
「それは、櫻澤一族の者が十五になる年に参加する成人の儀で、望む者は越境者としての力を得る機会を与えられるからです。つまり、越境者には偶然では無く、意図して成る方法があるのです。そして、それは貴女のように外部から新たに組織に加わった者にも有効です」
「っ!」
確かに、日本全国に散って鬼を討伐する櫻澤家の越境者が何人居るかは知らないが、十人や二十人で出来る事とは思えない。
それを昔から維持しているのだから、そういった方法がない方がおかしい。
今更、そんな事に気付く。
そして、御幸が意図的に真言にその事を伏せていたのだとしたら……
湧き上がる疑念に、真言は沈黙する。
「御姉様は一般人が鬼に関わるのを嫌いますから、貴女が越境者となる事を歓迎しないでしょう」
由紀の言葉に、真言はチームに入りたいと申し出た時の事を思い出す。
梓とカレンが賛成に回って折れはしたが、御幸は最後まで反対の姿勢を崩さなかった。
「どうですか? 御姉様に相談しますか?」
御幸に対する不信を植え付ける事。それが由紀の狙いだと理解している。
チームに入ってから親切にしてくれた御幸や梓、口下手で行き違いもあったが懐の深い龍二、好きにはなれないが自分のチーム入りを認めてくれたカレン、仲間の行動に嘘は無かったと思う。
しかし、その一方で真言を鬼に深く関わらせないようにしていると感じる事があったのも事実だ。
裏切られたとは思わない。
だが、由紀の提案について、御幸達に相談するという選択肢は真言の中から消えた。
「……詳しい話しを聞いてもいいですか?」
「ええ、勿論」
電話の向こうで、顔も知らない由紀が狙い通りに事が進んで笑っている様子が頭に浮かぶ。
しかし、真言は無力なままでいる事に耐えられず、仲間に相談する事なく、由紀の提案に乗る事に決めたのだ。




