4-9 初めての成果
「さあ、邪魔者は居なくなりましたし、弱り切る前に美味しくいただきましょうか」
鬼は真一を刺し貫いた海水の針を操作し、串刺しにした真一を持ち上げ、放り捨てる。
次に水球に捕らえたナンパ男三人に歩み寄る。
鬼の接近に合わせて、水球内でぐったりしている三人は浮き上がり、水球の上方に頭が出る。
「起きてくださいなっと」
見た目では分らないが、水球の内部で水圧があがり、胴を圧迫された男達の口や鼻から飲み込んだ海水が滝のように吐き出される。
「ぐぼっ! ごほっ」
「げぇえぇっ! げほっ!」
「ぐほっ、ぅえっ!」
涙や鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を苦し気に歪め、三人が嘔吐と咳き込む濁った音が周囲に響く。
「げほっげほっ、うぇっ」
息も絶え絶えに、それでも必死に空気を吸う男達を見て、鬼は薄っすら微笑む。
「では、もう一度、いってみましょうか?」
「はぁ、はぁ、はぁ……あっ!」
息を吹き返した男たちが再び水球の中へと引きずり込まれる。
そして、一通り暴れた後、手足の力が失われる。
そうすると、また水球内から顔だけ出され、海水を吐かされる。
「ああ……、まだ諦めないでください!」
海水を吐き切ってもぐったりしたままの三人を見て、鬼は慌てる。
「そうだ! 少し休憩しましょうか? そうしたら、もう少し頑張れますよね?」
残酷な言葉に、男たちは顔を絶望に歪め、縋るように鬼を見る。
「ゆ、許して……」
「もう、止めて下さい」
「く、苦しい……」
男達の悲痛な声に、鬼は小首を傾げる。
「でも、貴方達は私を楽しませてくれるって言ったじゃないですか?」
「ひぃっ」
本気で言っているのが伝わったのか、三人の顔は絶望の上に恐怖が重なる。
「もう少し頑張ってくれないと、楽しくありませんよ?」
「も、もう、本当に、許して……」
「う~ん、では、次で最後にしましょうか?」
「た、助け―――」
言葉の途中で、再び三人の頭は水球に飲み込まれた。
「あ~あ、今回の人たちは全然頑張ってくれなかったですね。期待外れです」
鬼は本当にがっかりしたように肩を竦める。
「さっさと終わらせてしまいましょう」
鬼が腕を振ると、男たちを沈めた水球内の圧が高まったようで、もがく男達の口から一気に空気が吐き出される。
男たちの口から最後の気泡が浮き上がり、大きく見開かれた目がぐるりと回り、白目を剥くのを鬼は楽し気に眺めていた。
「ゴボッ!」
「え?」
前方の水球では無く、背後から聞こえた嘔吐音に驚き、鬼はバッと振り返る。
「あら? まだ生きてたんですか?こっちは予想外にしぶとかったですね」
鬼の視線の先には、全身を血で染め、地面に転がった状態で身を捩り、口から大量の血を吐き出す真一が居た。
「ゲェッ! げほっ! げほっげほっ」
大量の血を吐き、咳き込む真一。
体中を刺し貫かれ、その穴から肺に入った血を口から吐き出しているのだ。
一旦は驚いたものの、げえげえと血を吐く真一を鬼はつまらなそうな表情に変わる。
一通り吐き終わった真一はそれを睨みつけ、身を起こす。
「その、人たちを、解放しろ」
「そんな事するわけないじゃないですか。いくら期待外れでも、食べ残しをするような不作法はしませんよ」
鬼の言い様に真一の怒りは沸騰する。
これまでの遠征で、真一は何度か鬼と対峙してきた。
それは逃走中の鬼の足止めとして立ちはだかる場合が殆どで、幸いにして鬼から被害者を救わなければならない役は回って来ていなかった。
しかし、今回は違う。
真一が最初に鬼を発見した。
そして、鬼が人を襲っている場面で、被害者を助ける事が出来ず、地に伏した。
鬼が逃走していないのは、被害者を嬲る事に夢中なだけで、真一が足止めに成功したからでは無い。
自らの役目を果たす事も、被害者を助ける事も出来ず、真一は理不尽な死が被害者に近づくのをただ見ている事しか出来ていない。
そんな事、許されるはずが無い。
真一は、そんな理不尽を跳ね除ける為に戦う事を選んだのだから。
「俺達は、お前らの食いもんじゃ、ねぇ!」
息は荒く、全身血まみれだが、真一はふらつく事も無く、立ち上がる。
「えぇ? まだ立てるんですか?」
鬼は本当に驚いたようで、目を丸くする。
ここは真夜だ。
無数の針で全身を刺し貫かれようと、真一の力ならその全てを治癒する事は難しくない。
しかし、真一の力を知らない鬼が驚くのは当然だ。
『全身』を貫いたのだから、心臓や肺にも無数の穴が穿たれていて当然。立つどころか、生きているだけで驚嘆に値する。
「でも、これで終わりです!」
とは言え、驚きはしても、鬼から見れば死に損ないの悪あがきでしかない。
海水の針が再び真一へ殺到する。
だが、その針が再び真一を貫く事は無い。
「うそっ!」
無数の針、その全てが真一の体の表面を小さく傷つけるだけで、それ以上進めずに動きを止める。
「もう、効かねぇよ!」
一通り肺に溜まった血を吐き出し息も整った真一はキッと鬼を睨みつけると、体の表面で止まった針を払い除け、駆けだす。
「何で、何でなんですか!」
針、鞭が真一に殺到し、真一を打ち据える。
衝撃に前進する足が鈍るが、それらは真一の前進を完全に止める事が出来ずにいる。
「効かねぇって、言ってんだろ!」
初めは攻撃の全てを受けていた真一だが、目が慣れて来たのか、徐々に針を避け、打撃を捌くように手の甲で鞭の軌道を逸らせるようになる。
そうなると、真一の歩みは速度が上がる。
徐々に迫って来る真一に、鬼は焦ったように攻勢を強める。
「この! この! この!」
しかし、真一の動きは既に鬼の攻撃に対応出来るようになっており、その攻撃は全て躱されるか捌かれるかし、狙いに届く事は無くなった。
真一は普段、カレンや龍二と組手をしている。
打撃と違い、軌道が読み難く、先端のスピードが音速を越える鞭には苦戦したようだが、一度見切ってしまえばその攻撃を捌く事は難しくない。
「きゃっ!」
「ちっ」
遂に真一は鬼を攻撃範囲に捉え、その顔面目掛けてジャブを放つが、寸での所で避けられてしまう。
「あ、貴方、女性の顔を躊躇い無く殴ろうとするなんて、恥ずかしくないの?」
「馬鹿か! これは命のやり取りなんだよ。そんな甘い考えならこんなとこ、居ねえよ!」
真一の攻撃を避けた鬼は、一旦攻撃を止め、大きく飛び退って距離を取る。
「こうなったら……えっ?」
鬼は何かに利用しようとしたのか、捕らえたナンパ男達の方を見るが、そこにいたはずの三人は居らず、三つの水球があるだけ。
「うそ……。何処に」
周囲を見渡し、鬼は自分が囲まれていることに気が付いた。
磯の周り、鬼と真一を中心に、源蔵と湊、何処にでも居そうなオバちゃんは源蔵の奥さんだろうか? 源蔵を若くしたような筋骨逞しい男性とほっそりとした茶髪の女性の四人が二人を囲むように立っている。
そして、最初に真一が立っていた岩の上には、ロボを従え、腕組みをして戦場を睥睨するカレンが居た。
「よく言ったわ! そして、良くやったわ!」
カレンは真一を見て、ニヤリと笑う。
「被害者は保護させてもらったわよ! 観念しなさい!」
湊の足元にはぐったりして気を失っているナンパ男が三人転がっている。
「お前の悪行もこれまでって事よ」
源蔵が右の拳を左掌に打ち付けて、不敵に笑う。
「くっ、こんなに居たの……」
鬼は唇を噛み、悔しそうに呻く。
「ここは、逃げるしか」
逃走経路を探し、キョロキョロと視線を彷徨わせるが、そんなものは初めから有りはしない。
「観念しやがれ! 行くぞ! お前ら!」
「おう!」
「「「はい!」」」
源蔵の掛け声に班員たちが気合いの乗った声で応じる。
源蔵の身体がふた回りも膨らみ、湊の後ろには鬼の鞭より立派な海水の蛇が起立する。奥さんの指先から電気が走り、息子は源蔵と同じように身体が大きくなり、茶髪の女性の周囲には弾丸のような
水球が無数に浮かぶ。
戦闘体制に入ると同時に攻勢に移る。
「この!」
鬼も必死に海水の鞭や針で応戦するが、多勢に無勢。
最後には湊の水蛇に上半身を食いちぎられ、絶命した。
呆気ない鬼の最後に、呆気に取られていた真一の前に岩から降りて来たカレンが立つ。
「良くやったわ」
真カレンは改めてそう言った。
それに対して真一はポカンと口を開け、カレンを見返すだけで返事もしない。
「阿呆面晒して何やってんのよ?」
「あ、ああ、やっぱりカレンか……びっくりした」
「は?」
「いや、お前が人を褒めるなんて、あり得ないから驚いて―――っは!」
真一はいつものように素直に返事をしてしまい、慌てて口を抑えるが、もう遅い。
「アンタ、ホントにバカね」
怒り狂うかに思われたカレンだったが、本当に哀れんだ表情で真一を見る。
「へ?」
予想した反応と違った為、真一は驚いた。
しかし、それは予想より恐ろしい結果の前触れでしかなかった。
「前に教わってるでしょ? 鬼が倒されても、真夜はすぐに解除されないのよ」
「え?」
「つまり、今ならアンタに致命傷を与えても大丈夫って事よ」
「うえぇぇ!?」
真一はカレンのセリフに血の気を失った。
それを見て、カレンはニヤリと笑うが、目が笑っていない。
「本気で痛い目に合わせてやるわ」
カレンの本気を感じて、慌てて逃げようとするが、最強の越境者を前にして、背を向けるなど下策も下策。
真一は足払いをくらい、地面に転がされる。
「は、はわわわわっ」
うつ伏せになった身を反転させると、目の前にはカレンの細い足が見える。
恐る恐る視線を上げると、珍しく満面の笑みのカレン。
但し、目は笑っていない。
「お仕置きよ」
カレンの足がゆっくり上げられ、一瞬で真一の腹を踏み抜いた。
「っ!」
後に真一は語る。
あの時、絶対に内臓の大半が潰れていたはずだ、と。
「た、立華さん!何やってんですか!?」
真一は暗転する意識の中、湊の慌てた声を聞くのだった。
◇◇◇
鏡台にもなる机とベッドが一つ、ベッドの横にはスタンドライトの乗った小さな収納が一つあるだけのビジネスホテルの一室にも似た部屋で、真言は机とセットになったスツールに腰掛け、窓の外を眺めていた。
日が落ち、点々と設置された街灯が建物の前のロータリーから続く道を照らすだけで、街中とは違って世界が闇に包まれた景色は自分がずいぶん遠くに来てしまったように思ってしまう。
確かに距離で言えば地元である豊野市から遠く離れた場所に来ているのだが、感覚的にはそれより遠く、世界を跨いだように現実との距離感を感じる。
まるで夢の中にいるような、妙に非現実感があるのだ。
それは、慣れ親しんだ場所を一人離れ、心許せる人が一人も居ない場所に来てしまった不安からくる錯覚だろうか。
真言はスマホを取り出し、訳も無くホーム画面を開く。
待ち受けにしているデートの時に撮った真一の画像を眺めて心を落ち着かせる。
「わっ!」
突然、スマホが着信を告げ、ボーっとしていた真言は驚き、スマホを取り落としそうになった。
「っとと」
寸での所で持ち直し、ポップアップした通知を確認する。
「あっ!」
それは真一からのメールが届いた事を知らせる通知だった。
内容は―――
『真言ちゃん。カレンの奴が、俺の内臓を―――』
「はいぃっ!?」
着信の通知ウインドウに表示されるのはメールの頭部分だけ。
しかし、そこには不穏な単語が入っている。
真言は驚いて、全文を確認しようとスマホを操作しようとする。
コン、コン
しかし、部屋の扉がノックされ、外から真言に呼びかける声がする。
『夕凪さん、由紀様がお呼びです』
「うっ」
真言はスマホと扉の間で視線を行ったり来たりしつつ、呻く。
メールの内容は気になる。
しかし、由紀を待たせるのはマズイ。
『夕凪さん?』
「あ、はい! 今出ます!」
再度の呼びかけに、真言は仕方なくスマホをしまい、立ち上がる。
扉を開けると、パンツスーツ姿の二十代半ばと思われる表情を消した女性が立っていた。
「由紀様がお呼びです。すぐに来れますか?」
「はい」
「では、こちらへ」
女性の先導に従って真言は同じ扉が等間隔に並ぶ廊下を進む。
真一のメールは気になるし、折角くれたメールにすぐにでも返信したかったが、真言は遊びで地元を遠く離れた場所に来ているわけでは無い。
自らの望みを叶える為の力を身に付ける為に、仲間に嘘を吐いてまで来たのだ。
それを優先するべきなのは解っている。
真言は表情を引き締め、女性の背だけを見て進む。
しかし―――
(先輩! メールの冒頭が気になり過ぎます!)
中学三年の女子はそこまでストイックには成れないのだった。




