4-2 田舎町
時刻は夜の十時半。
街であればネオンや看板灯の明かりが煌々と道を照らし、そこを行き交う人々で賑わい衰えない時間帯だ。
しかし、駅前を離れ、少し行くだけで店舗は消え、住宅と田畑ばかりになるような田舎町では、もう深夜と言っていい時間。
家々に明かりは灯っていても、店舗のシャッターは降り、道に人影は無くなる。
そんな田舎町、街灯の明かりだけが照らす道を、中年一歩手前の男性が一人、駅に向かって歩いていた。
片手にスーツのジャケットを抱え、だらしなくネクタイを緩めた姿は仕事に疲れた男の姿そのものだ。
男は今年の春にこの田舎町の郊外にある建設資材を作る工場の営業として赴任してきたばかりで、未だにこの時間帯の町の暗さに慣れないでいた。
前任地がそこそこ栄えた街中にあったので、余計にそう感じるのかもしれない。
なにせ、男は夜の十時に閉店になるコンビニが存在する事をここに来るまで知らなかった程なのだから。
「あーあ、車でも買った方がいいのかなぁ」
給料も上がらないのに、そんな大きな買い物は簡単には決められない。
しかし、毎日、暗くなった道を駅まで歩いていると、その必要性を日増しに強く感じてくる。
男は少し真剣に愛車の購入計画を考え始めた。
やがて、街灯がその間隔を狭め、駅が見えて来た。
送り迎えの車がくるりと転回出来るだけのスペースしかない小さなロータリーと、一つしかないバスの停留所、タクシーが待機しているのを見たことが無いタクシー乗り場。
見慣れ始めた駅前の風景に、見慣れない物を見つけ、男は足を止めた。
ふわふわと柔らかそうな亜麻色の髪を盛ったヘアスタイルに、ドレープの付いたの赤のロングドレス。肩や胸元の肌色が眩しい立ち姿は、完全に夜の女性のそれだ。
田舎町の駅前には不似合いな女性に、男は首をかしげた。
そして、女性が立っているのが呼ばなければ来ないタクシーの乗り場である事に気付く。
「あ、あの〜……」
少し躊躇ったが、男は女性に声をかけた。
余計なお世話だとは思ったが、女性から懐かしい街の空気を感じ、親切心が起こったのだ。
「はい?」
警戒されるかとビクビクしていたが、女性は思いの外友好的な笑顔で、男に返事を返す。
「もしかしたら、ご存知かも知れませんが、ここで待っててもタクシーは来ませんよ?」
「えっ! そうなんですか?」
「はい、こんな田舎ですから、待っててもお客なんて滅多に居ませんから。タクシーに乗りたいなら、ほら、ここの番号に電話して呼び出すんですよ」
男はタクシー乗り場の看板に手書きで追加された電話番号を指差す。
「ああ、そうだったんですか。ご親切にありがとうございます。いつまで待っても一台も来ないから、不安になってたんですよ」
「いや〜、街じゃ考えられないですもんね。わかります」
女性の心底ほっとしたといった笑顔を見て、男は思い切って声をかけてよかったと喜んだ。
「本当にありがとうございます。何かお礼をしないといけませんね」
「いやいや、そんな」
「いえいえ、ダメですよ」
ちょっとした親切のつもりだった男は、女性の申し出を断ったが、女性はそれを遮り、男性の手を取る。
「お礼、欲しく無いですか?」
「え? え?」
女性に手を取られ、身を寄せられた男は驚いてドギマギする。
そして、不意に香る、女性の付けている香水に頭がボーっとしてきた。
「あ、あれ?」
「ふふふふふっ」
視界にモヤがかかったようになり、手足も思うように動かなくなった男はふらつき、女性にもたれかかるような格好になる。
女性はその細腕に見合わぬ力で男を支え、その首筋に唇を寄せる。
「気持ちいいでしょう? 親切のお礼に、最高の気分のまま、美味しくいただいてあげます」
女性が大きく口を開け、男の首筋にかぶりつこうとした、その時。
「そこまでよ!」
少女の鋭い声が響き、女性の行為を制止する。
「罪なき人々を襲い、その命を弄ぶ、貴女の悪行もこれまでよ! 私が来たからには、貴女の好きにはさせないわ! その人を離して、観念しなさい!」
街灯の下、女性を指差し口上を述べるのは、まだ幼さの残る顔を厳しくしかめた中学生くらいのお下げ髪の少女だった。
「あら? 貴女ひょっとして、稀人ってやつ? これはマズイわね」
少女の登場に、女性は男の首筋から口を離す。
「さあ、その人を放すのよ!」
「放したら見逃してくれるのかしら?」
「そんなわけないでしょ! 鬼は発見次第、討伐よ!」
「だったら、逃げるしかないわね」
女性は男の腕を掴み、片手で少女の方へと放り投げた。
「なっ!」
少女は咄嗟のことに反応が遅れ、何とか男が地面に叩きつけられないように庇うのが精一杯。
男の下敷きになって地面に倒れる。
「くっ、に、逃げられると思わないことね! 周囲は仲間が包囲してるんだから!」
走り去る鬼に、少女は負け惜しみのような台詞を放つが、鬼は後ろも見ずに、一目散に逃げ出して居た。
蒼い月が照らす町、真夜に沈むそこを、鬼は疾走する。
駅前の通りを駆け抜けた先、道の真ん中に立つ人影がある。
少女の言っていた仲間だろう。
「悪いけど、ここは通行止め……って、おい!」
「こっちも悪いけど、戦いは得意じゃないのよ。逃げさせてもらうわ」
鬼は驚異的な脚力で飛び上がり、街灯の柱を足場に建物の屋上に登り、そのまま走り去る。
「って、あー、こういう場合、どうすりゃいいんだ……?」
既に鬼の姿は見えず、真一途方に暮れて独り言を呟くしか出来なかった。
◇◇◇
「バッカじゃないの? この、役立たずどもが!」
おさげの少女と並んで正座している真一は、カレンの罵倒を受けて首を竦める。
「あの程度の相手を取り逃がすなんて、この無能!」
夜の駅前で眷属鬼が男性を襲っていた現場を押さえ、被害を阻止したまでは良かったが、真一達は眷属鬼に逃走を許してしまった。
結局、逃走した眷属鬼はロボに跨ったカレンがあっさりと倒した為、新たな被害者の心配は無いが、取り逃がしてしまった事実は消えない。
「で、でも、放り投げられた被害者は私が受け止めていなかったら地面に叩きつけられてたんですよ? 見捨てればよかったんですか?」
おさげの少女―――今回真一が実戦経験を積む為に協力してくれた班の班員で名を朝倉洋子と言う。
中学生くらいに見えるが、真一やカレンと同じ高校一年生で、彼女も正式に班員となってまだ日が浅い。
洋子は不満そうにカレンに反論した。
「被害者の命より鬼の討伐を優先する班もあるわ。ここがどうかは知らないけどね。因みに、ウチは人命優先よ」
「ウチもそうですよ。だから、私の判断は間違って無いと思います」
洋子は最強の越境者であり、キャリアの長いカレンに対して、同い年でも敬語を使うような真面目な少女だ。
だから、班の方針にも沿っており、倫理的にも良いとされるであろう、自らの選択は間違っていなかったと主張する。
「アンタのダメな所はそんな風に被害者を庇わなきゃならない状況にした事よ! 大体、鬼を見つけて口上述べるって何よ? バッカじゃないの? マンガじゃないんだから、見つけたんなら問答無用でやんなさいよ!」
「うぐっ」
実は夜な夜なカッコいい口上の練習を隠れてしていた洋子は、マンガみたいと言われ、顔を赤くする。
「質問いいか?」
「何よ」
洋子の話がひと段落したのを見計らって、真一は手を挙げた。
「俺の身体能力は多少鍛えてるだけで、普通の範疇だから、今回みたいに初めっから逃げに出られると追いつかないんだけど、どうすれば良かったんだ?」
「遠距離武器を持つ。挑発して向かって来させる。体をもっと鍛える。課題が分かったらなら、自分に合った方法を考えなさいよ」
「アドバイスとかは?」
「アンタが目指す姿を想像しなさい。それに近づける方法を選択する事ね。イメージは大事よ。イメージが固まっていれば、方向性を見失って無駄な努力をする事も無い。それに越境者の力は精神に依存すんのよ。アンタの力はただ傷の治りが早いだけじゃ無い。ちゃんと体を成長させてくれる。もしかしたら、鍛え方次第でロボ並みの身体能力を得る事だって可能かもしれないのよ」
うな垂れていた洋子は、カレンの言葉を真剣に聞き、「イメージが大事……」と呟きながらメモまで取っている。
一方、真一はと言えば、聞いておいて何だが、カレンからそんなまともなアドバイスが貰えると思っていなかったので、呆気に取られてしまった。
「何よ」
真一の反応にカレンは不審顔になる。
「いや、お前って本当に頭良かったんだなって思って」
呆気に取られていた為、馬鹿正直に答えてしまい、真一は慌てた。
「いや、あまりにまともなアドバイスだったから」
ついでに掘らなくていい墓穴まで掘る。
「アンタ、そろそろホントに痛い目に遭わせてあげましょうか?」
「いや、マジで勘弁」
唸るロボと凄むカレンに詰め寄られ、真一は真剣に身の危険を感じた。
「楽しそうな声が聞こえるけど、そろそろお説教は終わりかな?」
部屋の襖が少し開き、隙間から四十がらみの柔和な顔をした男性が部屋を覗き込む。
「終わったわよ」
カレンは真一への折檻を中断し、男性に応える。
男性の名前は朝倉洋一。洋子の父親で、この地区を担当する討伐班の班長だ。
「だったらお風呂にはいっちゃって下さい。その間にお布団の用意をしておきますから」
洋一の勧めに従って、カレン、真一の順でお風呂をいただく。
風呂が終わると、真一とカレンはそれぞれ布団の敷かれた部屋に通された。
襖一枚だがきちんと別の部屋が充てがわれ、真一は密かにほっとした。
カレンはひょっとしたら気にしないのかもしれないが、中身はどうあれ、見た目は文句なしに美少女であるカレンと同室であったら、真一は落ち着いて寝られない自信があった。
客に二部屋も用意できることから分かる通り、朝倉宅は大きいが、別に屋敷というわけでは無い。
田舎町の郊外に行けばいくらでも見られる普通の農家だ。
洋一は普段は農業で生計を立てており、担当地区で鬼の出現が確認された場合にのみ討伐に動く、兼業越境者といった感じらしい。
この町のように田舎で、鬼の出現件数が少ない土地は、代々決まった家が担当を任され、地域に根ざして生活するそうだ。
夏休みに入って、真一は既に二回、遠征に出ている。
この遠征は、そういった事や班ごとに方針の違いなど、実戦経験を積むだけでなく櫻澤一族という集団について、色々と知るいい機会になっていた。
真一は寝返りを打ち、カレンから受けたアドバイスを思い出す。
「自分の目指す姿、か」
真一が越境者として活動する理由は、鬼の振りまく理不尽な死を否定する事。
その目的を果たすには、絶対に戦闘力が必要だ。
真一は自分が鬼、この場合は遭遇した中で最も強かった幽鬼―――ザガンを打倒する自分を思い描こうとして、失敗する。
逃げるしかなかった相手に勝つイメージは出来ない。
真一の越境者としての力は致命傷であっても驚異的なスピードで治癒し、その際に以前より強靭な肉体へと作り替える、というものだ。
フィクションの主人公のように、手から炎が出たり、伝説の剣を持っているわけでは無い。
その為、強くなった自分を想像しようとしても、ボクシングや総合格闘技のチャンピオンくらいの強さになってしまう。
だが、それでは鬼には勝てない。
人間離れした身体能力と、驚異的な回復力で鬼を圧倒する自分。
そういった物を想像しようとするが、その姿が自分と重ならない。
上手く纏まらないイメージに、真一は小さくため息を吐く。
「まだいい所無しだけど、夏休みが終わるまでには何か結果を残せるようにしないとな」
真一は布団の中で一人呟いた。




