3-12 決闘の目的
夕日色の明かりがボンヤリと照らし出す室内、透かしの入った格子から外に漏れ出る白い煙は熱と水分を孕んでおり、格子の隙間を通るとき、外気と触れ合い、そこに施された繊細な彫りに水滴を作る。
飴色の木肌はじっとりと湿り、幾何学的で複雑な模様を有機的にみせ、相反する魅力を同時に引き出している。
そして、部屋の隅に植えられた笹も、青々とした葉に水滴を無数に乗せ、淡い光をキラキラと反射して、その生命力をより輝かせている。
湯気と檜の香りで満たされた部屋の大半を占めるのは、暖かなお湯を湛えた檜造りの大きな湯船。
「はぁぁあぁぁ〜」
掛け流しで補充されるお湯に身を浸し、御幸は至福の時を過ごしていた。
若干、膨らみにかけるが、均整の取れた身体を広い湯船で目一杯伸ばし、全身の力を抜く。
肩口で切り揃えられたワンレングスの黒髪を頭の上でタオルで一纏めにして、眼鏡を外しているせいで、いつもより少し幼く見える顔は、身体と同様に力が抜けきってリラックスした表情をしている。
御幸は柔らかなお湯を手ですくい、掌から溢れた水滴が水面を叩く音を楽しむ。
ホームのお風呂も昨日まで軟禁されていた来客用の部屋付きのお風呂も、一人で使うには不自由ないが、手足を伸ばしてお湯に浸かる事の出来る大きさでは無い。
久方ぶりに大きなお風呂に入り、御幸はその気持ち良さを堪能する。
今回の里帰りの目的でもあるカレンの査問会が終わり、軟禁を解かれて自由の身となった今、大きな湯船に浸かりゆっくりしていると、ここ一週間、自分がいかに緊張を強いられていたかが実感される。
「まあ、もう一つの心配事が現実になってしまったのだけどね……」
御幸は独り言呟くと、暖かなお湯の誘惑を断ち切り、湯船の中で立ち上がる。
「さあ、リラックスタイムは終わり」
自分に宣言して、御幸は浴室を後にした。
御幸が自分の部屋に戻ると、先に使用人用の浴場でお風呂を済ませていたカレンがシンプルなルームウェアでソファーにだらしなく寝そべっており、そのすぐ横でロボが床に伏せ、重ねた前足に顎を乗せてリラックスした姿を見せている。
同じく部屋に居た梓はお風呂はまだのようで、お仕着せ姿のまま、何やら書類に目を通していた。
「すぐお茶のご用意をいたします」
御幸に気付いた梓は書類から目を離し、お茶を淹れる為に立ち上がる。
それほど待つ事無く、パジャマ姿でソファーに座った御幸の前に暖かな湯気をあげるハーブティーが用意され、話を始める用意が整った。
「じゃあ、先に私の方から居残り組の報告をするわね」
御幸の言葉に、寝そべっていたカレンも身を起こし、ソファーに座りなおす。
「今朝方、龍二から本部に連絡があって、午前中に本部の通信室を借りて連絡を取ったの。結論から言えば、鬼の関与が疑われた案件について、幽鬼の存在が確認されたけど、皆無事だったわ。確認したのは高坂君と夕凪さんの二名。二人はカレンと梓さんが言った通り、勝手に事件を追っていたみたい。本部の調査より早く被害者が収容されている病院を突き止め、二人に気付いた幽鬼に真夜へ引きずり込まれたそうよ」
御幸はため息を吐く。
「本部を出し抜くなんて、やるじゃない」
「褒める事じゃないわよ。勝手して、死にかけたのよ? 何とか二人とも無事に真夜を脱出出来たみたいだけど、高坂君は重傷で、週末まで入院が必要だそうよ」
カレンは嬉しそうに笑うが、御幸はその報告を聞いた時、血の気が引いた。
勝手して、よりにもよって幽鬼と遭遇するなんて、死んでいてもおかしくなかった。いや、生きて戻った事が奇跡に近い。
「帰ったら、二人にはキツイお灸を据える必要があるわね」
御幸は軽率な行動を取った二人にはきちんと反省してもらうつもりだ。
「で、結局その幽鬼はどうなったのよ?」
「二人が真夜から脱出して、高坂君は即入院。夕凪さんが龍二に連絡してくれたのだけど、龍二が駆けつけた時には幽鬼は逃走した後だったそうよ。眠り病患者もそのまま。豊野市以外でも眠り病患者が出たそうだから、今は別の班が追っているわ」
「じゃあ、その件はアタシたちの手から離れたってわけね。これで急いで帰る理由も無くなったし、決闘とやらに集中出来るわね」
カレンは風呂上がりの乾ききっていない髪を掻き上げ、不敵に笑う。
「そうよ、それ。どうしてそんな事になったの? こっちの話は終わりだから、次はそっちの話を聞かせてちょうだい」
御幸は身を乗り出し、カレンを促した。
「大した話じゃないわよ。御剣の長男がアタシの事を気に入らないとか言って、暴走しただけよ。その時に下らない事を言うもんだから、アタシもその気になったってわけ」
「詳しくはこちらをご覧ください」
カレンは端折りまくった話しかしないので、梓がどこから手に入れたのか、査問会の内容を記録した書類を御幸に手渡した。
「ありがとう」
御幸は梓から書類を受け取り、付箋の付けられたページを開き、内容に目を通す。
「―――これって、由紀が関わってるのかしら?」
内容の確認を終え、話の流れを把握した御幸は二人に意見を求めた。
「まず間違いなく、関与していると思われます。昨夜、一虎さんは査問会後に一旦、由紀様の滞在されている結城家の屋敷に帰宅した後、恭也さんの元を訪ねられています。恐らく、その際に今回の決闘について話をしたものかと」
「まあ、アタシの事となるとバカになる御剣家のヤツにしては妙に尤もらしい事言ってたし、シナリオが用意されてたんじゃないの? 途中で龍二の兄貴がしゃしゃり出て仕切り出したし」
梓もカレンも、それぞれの視点で恭也の後ろに由紀が居ると思う理由を挙げた。
「やっぱりそうよね」
御幸は二人の意見に同意し、頷いた。
「それで、決闘に出る三人についてだけど、誰がくると思う?」
「そりゃあ、言い出しっぺの御剣家の長男は確実でしょ? 後は龍二の兄貴と……御剣の誰か?」
「一虎さんは出るでしょうか? 記録を見ると決闘の段取りを仕切る際、第三者を装っている印象を受けましたが」
「ああ、そんな感じしたわね。じゃあ、御剣家の三兄弟?」
「三人掛かりで束になっても貴方に敵うわけ無いじゃない。そんな事、相手だって百も承知、自分で挑んだという事は勝ち目のある者を揃えて来るはずよ」
御幸は首を振って否定するが、自分で言っていて、カレン相手に勝ち目のある人材が思い浮かばない。
「そんな人は居ないのではないでしょうか?」
梓もそう思ったようで、首を傾げている。
「……そうよね。ただでさえ勝ち目が無いのに三対三のチーム戦を挑むなんておかしいわ。私だったら、挑むにしてもカレン一人対御剣家全体で挑むわ。まあ、それでも勝ち目は無いでしょうけど」
「はい、そもそもカレンさんを挑発して決闘を挑むなど、自殺願望があるとしか思えません。決闘の勝敗以外に何か別の目的があるのではないでしょうか?」
「別の目的……。恭也さんの後ろに由紀が居るとして、この決闘で由紀に何かメリットがあると思う?」
「勝てれば一族内で一目置かれることになり、かなりのメリットですが、それが難しいとなると、解りませんね」
「負けると解っている決闘を挑んだって何の得も無いわよね」
考えても必敗の決闘を挑むメリット等、思い浮かばない。
「普通に考えて、アタシに勝てる策でも用意してるんじゃない?」
「それは無いわね」
「それは有り得ません」
カレンは単純に考えてそれ以外に理由は無いと思ったのだが、二人に一瞬で否定されてしまった。
その速さは、二人がカレンの強さに絶対の信頼を置いてる証拠だ。
「御幸も梓さんも、アタシを何だと思ってるのよ。アタシだって、負ける時は負けるわよ。無敵ってわけじゃないんだから」
カレンはそう言うが、二人はカレンの言葉を聞いていないようで、額を突き合わせて色々と意見を出し合っている。
「フン、好き勝手言ってればいいわ。どうせ、その時になったら答えが解るんだから、アタシは立華の家に唾吐いた馬鹿をぶちのめすだけよ」
カレンは二人の話し合いに参加せず、再びソファーに寝そべると、目を閉じた。
◇◇◇
「少し予想外の事もありましたが、計画は概ね予定通り進んでいるようですね」
「はい、まさか立華カレンの処分が不問となるとは予想外でしたが、決闘の場に引きずり出す事には成功しました」
結城家の書斎で由紀と一虎が大詰めとなった計画について話をしていた。
「まあ、カレンさんが処分されようと、されまいと私の計画には影響しないので、良いでしょう」
そう言いつつ、由紀の眉間には皺が寄っている。
カレンの行動を快く思っていない由紀にとって、査問会の結論は不愉快でしかない。
だが、計画は順調だ。
この後はどう転んでも由紀の思惑通りになるだろう。カレンと御幸を決闘の場に引きずり出した時点で、由紀の目的は完遂したも同然なのだ。
それなのに、そんな細かい事に拘って感情を乱すのは由紀の思い描く当主像に反する。
「それより、決闘はいつになりそうですか?」
「はい、査問会が予想より早く終わってしまったので、すぐに修練場を確保できず、明後日となりました」
「明後日……待ち遠しいわね」
由紀は執務用の上等な椅子の背もたれに体を預け、目を閉じる。
「その日、ようやく私の価値を一族に示す事が出来るのね。お祖母様も私の力を見ればその意味を理解するはずだわ。そして、私は櫻澤家の次期当主となるのよ。綺麗事ばかりで何も出来ない、御姉様に代わり、私が次期当主となるの」
由紀は自らの思い描く未来を思い、頬を染める。
「しかし、本当に参加者はあの二名でよろしかったのでしょうか?」
「本人達がやる気なのですから、良いでしょう」
「しかし……」
「勝てない、と?」
「はい」
難しい顔をする一虎に、由紀は自嘲するように笑う。
「では、誰なら勝てるというのですか? あの化け物に勝てる者が居るのなら、言ってみてください。本当に居るのなら、その者を参加させます」
「……」
由紀の言葉に一虎は黙ってしまう。
「居ないのでしょう? そんな者。当たり前です。たった一人で複数の幽鬼を同時に討伐し、その上、里を壊滅させるような化け物に、勝てる者など居ません」
由紀はカレンの事が嫌いだ。
だが、その圧倒的な戦闘力は認めている。むしろ誰よりカレンの力を評価しているかもしれない。
由紀がカレンを嫌うのは、それだけの力がありながら、御幸の理想主義に染められ、人命優先などという世迷言に付き合っているのが許せないからだ。
カレンの力があれば、もっともっと多くの鬼を、強力な鬼を、討伐出来るというのに。
「それに、今回の決闘は勝つ事が目的ではありません。勿論、勝つに越した事はありませんが、勝とうが負けようが、どちらでもいいのです。重要なのは、里全体が注目する場で、私の力を示す事。それさえ出来れば、後は些事。気にする事はありません」
「そうでしたね。ですが、御館様はいらっしゃるでしょうか?」
由紀がカレンに決闘を挑む場として査問会を選んだのは、そこが一族の中心人物が集まる場であり、その場での出来事ならそれらの人物に伝わる時間を取らなくとも良いからである。
そして、そこでの出来事なら確実に一族の長たる明乃の耳に入る。
「お祖母様はいらっしゃるわ。お祖母様はカレンさんの事を気にかけてらっしゃるもの」
明乃は妹から託されたカレンの事を実の孫と同等か、それ以上に気にかけている。
カレンが関わる事であれば、必ず来ると由紀は確信していた。
「いよいよ明後日、私は望みの成就に向かって一歩踏み出す事が出来るのです。待ち遠しいですね」
由紀はそれを想像して、喜びの滲む声で呟いた。




