3-5 後輩
櫻澤家は古くから続く家柄であり、日本全国の鬼を討伐して回る一大組織でもある。
そこに所属する人間の数も膨大だ。
櫻澤本家、五分家、そのまた分家、各家に従う家の者たち。
真一や真言のように、鬼と関わりを持ってしまい、戦う事を選択した一般人達が櫻澤家を中心に長い年月をかけて集まり、混じり合いその数を増していき、出来上がった集団。
勿論、戦い選ばなかった、若くはその能力が無い者達も多い。
そういった者達は前線では無く、後方支援という形で組織を支える事となる。
その中には上位の家に使用人として仕る者達もいる。
そして、その最上位は本家に古くから仕える守沢家である。
守沢家の立ち位置は組織の中でも特殊で、本家の者以外に仕える事は無く、更に本家の者であっても己の主人以外に従わなくとも許される。
本家で働く使用人は全て、守沢家が管理しており、厳しい教育の元、本家で働く事を許された者達は使用人達の中でも一段上に見られる。
彼らは普段、本家の屋敷の裏手にある使用人用宿舎で生活しており、長期の休みを取る場合を除き、ほとんどそこと屋敷以外に出る事は無い。
本部の命令で、と言うより由紀の嫌がらせで御幸が軟禁状態となってしまった為、御幸の世話をする事が出来ない梓は久方ぶりにその宿舎へ足を踏み入れた。
別に守沢家に家が与えられていないわけではなかったが、守沢の者はお役目のために主人の最も近くに居続け、家にいる者は少数だ。
正孝も普段は家では無く、屋敷に用意された部屋で生活している。
梓も、御幸に仕えるようになってからは屋敷に部屋を与えられていたので、宿舎で生活したのはほんの僅かな時間だけだった。
では、なぜ屋敷の部屋では無く、宿舎に足を運んだのか。
それは、現在の櫻澤家の状況について、情報を集めるためだ。
梓は宿舎の一階エントランスの掲示板に貼り出されている勤務表を確認する。
目当ての名前を見つけ、今日が休養日である事を確認すると、梓は一つ頷いた。
そのまま、二階へ上がり、目的の人物の部屋の前までやって来ると、呼び鈴を鳴らす。
しばらく待つ。
『ドカッ!』
突然、梓の前で扉に何かがぶつかった音がして、バタバタと扉越しでも聞こえるほど、部屋の中が騒がしくなる。
部屋の中で何が起こっているか大体の予想がついた梓は、ため息を一つ吐き、徐に手を挙げ、呼び鈴を連打し始めた。
外には聞こえてこないが、部屋の中は急かすような呼び鈴の音が鳴り響いている事だろう。
中のバタバタ音が加速し、それに合わせて呼び鈴を押す速度も増す。
遂に諦めたのか、中の音が止み、扉が薄く開かれた。
「随分と待たせますね。桃香さん」
「あ、梓さん……」
部屋の中から顔半分だけで外の様子を見るのはカレンや御幸と同じくらいの年頃の少女だった。
肩まである赤味がかったふわふわの茶髪に縁取られた顔は青ざめており、口元も微妙に歪んでいる。
明らかに梓を歓迎していない様子だ。
「どうしました? 久しぶりの再会です。扉越しの挨拶で済ませる気ですか?」
「い、いいえ、いいえ。今出ますから!」
桃香は慌てて廊下へと飛び出し、素早く後ろ手に扉を閉じると、そこに背を付けて立つ。
「お、お久しぶりです。本日はどのようなご用で?」
引き攣った愛想笑いを浮かべる桃香だったが、ふわふわの髪はセットされておらずボサボサで、化粧はしておらず、スウェットの上下という気の抜けた格好は完全にダラけた休日の見本といった体だ。
上から下までじっくり眺めた後、梓は重いため息を吐く。
「な、何ですか?」
桃香はその態度にムッとして、文句を言う。
「本当に私が何故、ため息を吐いたか分かりませんか? 理由を知りたいですか?」
「あ、いいです。知りたく無いです」
あっさりと尻尾を巻いて降参する。
「今日は休養日ですし、煩くは言いたく無いのですが、もし、急に主人から呼び出しがあったらどうするのですか? そのような格好で主人の前に出るのですか? いつもお仕着せでいろとは言いませんが、せめてもう少しまともな格好をなさい。それに、今はもう夕方も過ぎて居ますよ。と言う事は、貴方は今日一日、ずっとその格好のままという事になります。朝起きて、着替えもせずに何をしていたのですか。大体、―――」
「ああ、ああ、もういいです。もう分かりましたから!」
言いたくはないと言いつつ、怒涛の勢いで繰り出される小言に桃香は悲鳴を上げる。
「休養日という事で、少々気を抜き過ぎていました。反省します。今後はこのような事が無いよう、気を引き締めてまいります」
桃香はキリリッと、表情を引き締め、綺麗な姿勢で頭を下げる。
見惚れるほど見事な所作だった。
ボサボサ髪のスウェット姿で無ければの話ではあるが……。
「貴方は能力があるのに、気持ちが無いのが最大の欠点ですね」
「ぐっ」
格好を取り繕っているだけだという事を梓に見破られ、桃香が呻いた。
「まあ、いいでしょう」
それでも、お許しが出て、桃香はホッと息をつく。
年上で先輩とはいえ、桃香が梓に全く頭が上がらないのは、梓が守沢家の長女だからでは無い。
桃香が使用人となる事を決めたのが14歳の頃。
使用人を希望する者は一年は見習いとして本部で細々した雑用を担当し、その後、希望の家があれば採用試験を受ける事となる。
もし、希望がなければ本部の方で適当な家を紹介されるのだが、大体の者は実家が所属している五分家の何処かを希望する。
桃香の家は末端も末端。祖父の代で鬼と関わりを持ち、組織に加わった新参の家だ。桃香の父母も戦いは望まず、本部で事務仕事をする事を選んだ。
主家と言えるものが無い桃香は、どうせなら一番家格の高い本家付きの使用人となる事を希望した。
本家の使用人となるには、守沢家に認められなければならないが、守沢家の者が能力の不確かな者を主人の近くに置く事を良しとするはずが無い。又、短期間その者の働きぶりを見ただけで、能力や人柄が本当に解るはずも無い。
正式に本家の使用人として採用される為には、守沢家の屋敷で使用人として教育を受ける試験採用を経て、能力と人柄を評価されなければならない。試験採用に期間の定めはなく、見込みの無いものは不採用を言い渡され、採用の者は本家へと職場を変える。
守沢家にハネられた者を使用人として雇う家は無く、本家の使用人を希望した場合、採用とならねばその先の身の振り方を改めて考えなければならない。
そのような厳しい条件があっても本家の使用人を希望する者が減らないのは、採用になった場合、他家の使用人とは違い、守沢家の者として本家の者以外に従わなくとも良くなり、組織の中で別格の扱いをされるからだ。
なので、狭き門と知りながら、桃香のように末端の家出身の者は本家の使用人を希望する事が多い。
桃香と梓の出会いは、この守沢家での試験採用期間の事だ。
当時、試験採用となった者の教育係の中に梓の名もあり、本来のお役目に差し障らない範囲で守沢の家に出向き、試験採用者の教育に当たっていた。
桃香は仕事の覚えが良い上、その仕事は早く正確だった。
当然、同僚や先輩の覚えも良く、本採用も時間の問題だと言われていた。
しかし、梓が桃香の指導に当たった日、桃香の化けの皮は簡単に剥がされた。
桃香は仕事の合間、人の居ない部屋で昼寝をしていた所を梓に押さえられ、そこから芋づる式にそれまでのサボりが発覚したのだ。
試験採用期間にこれほどの失態は前例がなく、すぐにでも不採用が言い渡されると思われたが、サボりを見破った梓の言葉で全てが裏返った。
「この子の指導は私が専任します」
守沢の娘が専任して指導にあたるという事は、次代の守沢の幹部となる可能性を意味する。
サボりの常習者が何故?
誰もがそう思った。
確かに桃香はサボりの常習者ではあったが、仕事は完璧にこなしていた。
では、サボる時間をどのように捻出していたのか。
それは、桃香の仕事が正確で早いだけで無く、独自に効率化を図っており、そこで時間的余裕を生み出していたのだ。
それに気付いた梓は、桃香に次々と新しい仕事を与え、サボろうと躍起になって効率化を図る桃香のやり方を周囲に吸収させていった。周囲のスピードが上がれば、余裕が生まれ、その余裕は仕事により高い完成度を齎した。
そして、桃香は新たな仕事を与えられる。
やってもやっても与えられる仕事は、桃香の許容量限界一歩手前まで続き、結果として桃香はサボれなくなってしまった。
ただ、この働きによって、桃香はサボりの責任を追求される事もなく、本採用を勝ち取った。
どんなに巧妙に手を抜いても見破る梓に、桃香はすっかり頭が上がらなくなったというわけだ。
「それでは、そろそろ部屋にあげていただいても?」
お説教が終わったとほっとしていた桃香だが、梓の言葉に再び固まってしまう。
部屋の前まで来ているのだ、上げないで済ます事は出来ないだろう。
それでも、部屋を見られたく無い桃香は視線をさ迷わせなが、何とか上げないで済む理由を探した。
「あー、えーっと、今はーちょっと……」
「普段の生活態度を確認します。開けなさい」
「うー」
桃香は躊躇い、唸るが、呼び鈴を鳴らしてすぐに出なかった時点で部屋の中がどうなっているかなど、見るまでもなくわかりきった事。
桃香の抵抗は初めから無意味なのだ。
「桃香さん」
梓の表情に変化はないが、桃香にはそれが自発的に扉を開ける最後の機会である事がわかった。
どうせ抵抗してもダメなら、自分から開けた方がまだマシだ。
桃香は抵抗を諦め、部屋の扉を開けて、梓を招き入れる。
玄関に入ると、左手がトイレ、右手が洗面所とお風呂。通路にはキッチンがあり、その前を通った先には八畳の部屋。
一人暮らしのワンルームには十分な設備だ。
抵抗した割に、桃香の部屋は小綺麗なものだ。
「…………」
「……うっ」
無言でぐるりと部屋を見回す梓。
沈黙に耐え兼ね、呻く桃香。
やがて、梓の視線はクローゼットの扉に定る。
「う……うぅっ」
「桃香さん」
「……は、い」
「クローゼットを開けてください」
「さ、流石にそれは、プライバシーの侵害、というか、なんというか……」
桃香は手をバタバタさせてアピールするが、梓の視線はクローゼットから外れない。
「桃香さん」
「はい、わかりました」
桃香は観念してクローゼットの扉に手をかける。
『ドサドサドサッ!』
扉が開かれると同時に、中に詰め込まれていた服や雑誌、小物類が雪崩を起こし床へ散乱する。
突然の梓の訪問に驚いた桃香は、部屋に散らば得る諸々をクローゼットに突っ込み、物が減った部屋を全速力で掃除して、表面を整えていたのだ。
「……」
「……うっ」
気まずい沈黙が流れ、桃香は床に散らばった諸々の山から、恐る恐る梓へと視線を移す。
梓の顔はいつもと同じ無表情で、そこから何を考えて居るのかは読み取れない。
長い沈黙が過ぎ、桃香がプレッシャーから嫌な汗をかきだしてようやく、梓が深いため息を吐いた。
「こんな事だろうと思っていました」
「うう、スミマセン……」
「いいですか、桃香さん―――」
そこから長いお説教が始まった。
自発的に正座の姿勢をとった桃香の足が完全に痺れて感覚が無くなって、ようやくお説教は終わりを告げる。
「―――ですので、今後はこのような事の無いよう、気を引き締めてお役目に励むよう、お願いしますね」
「はい、わかりました」
「では、取り敢えずは部屋の片付けから始めましょう」
「はい……」
桃香は正座を崩し、立ち上がろうとした。
が、足の感覚は全くなく、自分が床を踏んでいるかすらわからない。
しまった、と思う間も無く桃香はクローゼットから溢れ出た品々の山へとダイブし、ただでさえ散らばっていたそれを部屋中に撒き散らした。
「桃香さん……」
「たはははは、…はぁ……」
梓は天を仰ぎ、桃香は笑って誤魔化そうとするが、最後にはため息になってしまった。
部屋が片付くにはそれなりに時間がかかりそうだ。




