3-3 櫻澤家当主
渡り廊下は外から見ると空港から飛行機に乗り込むボーディングブリッジに似て見えたが、内装は普通の洋館廊下だった。
ビル側の廊下と違い、毛足の長い上等な絨毯が敷かれており、そこを通る者は既に櫻澤本家の一部に足を踏み入れている事を自覚させられる。
廊下を渡りきった先の扉は見た目は普通の木製扉だが、電子ロックがかけられているようで、正孝は扉の横にあるコンソールに右手を置き、静脈認証で鍵を開ける。
扉の先は大人が十人程入っても、まだ余裕がありそうな広い部屋になっていたが、壁の一面が屋敷の玄関であろう引き戸になっており、甚だ異常な空間を演出していた。
御幸はこの玄関を見るたびに、祖母が何を考えてこのような作りにさせたのか首を傾げてしまう。
ともあれ、玄関には鍵がかけられていないようで、正孝はそのまま戸を引き、御幸達を屋敷に通す。
広い玄関で靴を脱ぎ、屋敷に上がる。
家主が古い人間だからか、スリッパなどは出されず、全員そのまま正孝の先導に従って進む。
板張りの廊下をいくらか進んだ先、襖の前で正孝は膝をつき、部屋の中の人物に御幸達の来訪を告げる。
「御館様。お嬢様がお着きになりました」
「通しなさい」
部屋の中から凛とした声がかかり、正孝は膝をついたまま、両手で襖を開き、恭しく頭を垂れた。
御幸を先頭に、カレン、梓が部屋に入ると正孝も素早くそれに続き、わざわざ再び膝をついて襖を閉じてから、己の主人の側へと侍る。
正孝を側に控えさせるのは、落ち着いた色合いの着物を身に纏った総白髪を綺麗に結い上げた老女だった。老女と言っても、髪色からそう思うだけで、肌の張りは衰えておらず、御幸よりもきつい目元の凛とした雰囲気とスッと伸ばされた背筋は年齢を感じさせない。
これが櫻沢本家の当主にして、御幸の祖母である櫻澤明乃だ。
「御幸、遠路はるばるご苦労でした。カレンも詰まらない理由であるのに、よく戻ってくれました」
明乃の言葉に御幸は深く頭を垂れ、カレンも軽く会釈する。
本来であればカレンの所作は咎められるものだったが、その場の誰もその事に反応しない。
「正孝の娘、梓と言いましたか。御幸を良く助けてくれていると聞いています。至らない孫ですが、この子は次代の櫻澤、今後もこの子が道を誤らぬよう、助けてあげるようにお願いします」
明乃は梓に対してもぞんざいな態度を取らない。
梓は目を伏せ、頭を下げる。
「さて、報告は聞いていますが、貴方達の口からも事の顛末を聞かせてもらいましょう」
明乃の言葉に、御幸が五月に行われた鬼討伐に関する一連の流れを説明する。
査問会に備えて、報告書をまとめ直し、突っ込まれそうな点を穴埋めしてきた御幸の説明は淀みなく、要点を押さえて綺麗に纏まったものだった。
一通りの説明を黙って聞いていた明乃は、最後に一つ頷いた。
「よく纏まった、良い報告でした」
御幸はほっと息を吐きそうになるが、本番はここからだろう。
「しかし、御幸。貴方が一般人をチームに加えるとは意外ですね。貴方の方針とは些か異なるように思えますが」
「いえ、それは……」
もっと鋭い指摘があると思っていた御幸は、明乃からされた査問会で問題にされている点からしたらどうでもいいような質問に面食らった。
「……本人のやる気を買いました」
御幸は真言のチーム入りに反対だった。
しかし、カレンと梓か賛成に回った為、ある意味、仕方なく認めたのだ。それを正直に言った場合、明乃がどのような反応をするか解らなかった。
部下の意見で方針を変える弱いリーダーだと思われるだけならまだしも、櫻澤の絶対性を無視したカレンや梓に咎めが行くかもしれない。そう思うと、正直に言う気にはならなかった。
「そうなのですか?」
「……」
明乃は確認しているだけなのだが、御幸はなぜかプレッシャーを感じて黙り込む。
「アタシが賛成したのよ」
「カレン……」
黙ったままの御幸の代わりにカレンが言う。
「アタシは御幸と違って、戦う意思があれば越境者も一般人も関係ないと思ってるわ。だから、アイツがチーム入りするのに賛成したの。それに、チームに入れたからって前線に出すつもりは無いわ。チームのサポートをさせてるだけよ。御幸が主張を曲げた訳じゃないわ」
「そうですか」
カレンの言葉に明乃は軽く頷いただけで、やはり話に割って入ったカレンを咎める事は無い。
この部屋に入ってからの一連のやり取りだけを見ると、御幸よりカレンの方が明乃の孫のように見えてくる。
一族のトップに対して謙る事も無く、周囲も明乃もそれを許している。
ただの分家の娘には許されないそれが許されている理由は、カレンの祖母が明乃の双子の妹であり、明乃は亡くなった妹からカレンを託され、カレンの後見人になっているからだ。
大切な妹からカレンを託されたその日から、明乃はカレンを分家の娘としてでは無く、自らの孫と同様に扱ってきた。
御幸とカレンの違いは、本人の性格によるもので、立場の違いからのものでは無い。
「もう一人、新しく仲間に引き入れた者がいますね。そちらはどうですか?」
「ソイツは越境者よ。アタシが教育してやってるわ」
「まあ、貴方が教育係を?」
明乃は小さく口元を綻ばせ、上品に笑う。
「それは、その者も気の毒な事」
「フン」
「フフフ……それで、その者はどの程度なのですか?」
口元の笑みは変わらないが、明乃の目が真剣味を増す。
「まだまだ、よ。……でも、見込みはあるわ」
「まあ!」
明乃は口元に当てていた手を離し、目を見開く。
櫻澤の当主としての振舞いが身に染みついている明乃が、ここまで大きく感情の揺れを表に出す事は稀だ。
「歴代随一の越境者たる貴方がそこまで言うとは……」
カレンは良い事も悪い事も、思った事を素直に口にする。
だから、越境者の中でも飛び抜けた戦闘力を誇るカレンが、新米の越境者の将来性を認めるという事が明乃に大きな衝撃を与えたのだ。
「でも、今はまだまだひよっこよ。実戦で使い物になる程じゃないわ」
「そうですか」
カレンは真一の将来性は認めるが、現状では使い物にならないと思っている。
だが、鍛え方次第で面白い事になるはずだ。
だから、ホームに残してきた真一には多少無茶な訓練メニューを用意してきた。
「御幸」
明乃はカレンから御幸に視線を移し、名を呼ぶ。
「はい」
「貴方の元にカレンが居るという事で、大人しくしていた者達が、新たな戦力を手に入れた貴方にどういった反応をするのか、よく考えておきなさい」
御幸に反発しながらも、御幸の立場、そして一族最強の越境者たるカレンを警戒して大人しくしていた者達が、今動き出している。
そこに、カレンが将来性を認めた新人が加われば、どうなるか。
明乃はその危険性を御幸に忠告した。
一族のやり方に反発している御幸に対して、櫻澤の当主がアドバイスを送る。
敵に塩を送るような事に、御幸は驚きつつ、頭を下げた。
「はい。肝に命じておきます」
「よろしい。では、移動で疲れもあるでしょう。部屋は以前のままにしてあります。ゆっくり疲れを癒しなさい」
明乃の言葉で、櫻澤家当主への挨拶は終わりを告げた。
◇◇◇
櫻澤家の所有する広大な土地の中には、本家の屋敷以外に、五分家の邸宅も存在する。
その内、結城家の屋敷の一角、当主代行である結城一虎の書斎に、複数の男女が集まっていた。
室内に一虎の姿もあるが、重厚な造りで、高級そうな執務机に着くのは本来の主である一虎ではなく、十代の少女だった。
「それで、黙って見送って来た、というの?」
不機嫌そうな表情で、冷たく言い放つ少女の前には渡り廊下で御幸達を引き留めた四人が項垂れていた。
「由紀様、正孝さんが相手では、下手に逆らう訳にはいきません。この者達を責めるのはお止めください」
少女―――櫻澤由紀は目の前で項垂れる四人から視線を外し、自らの斜め後ろに控える一虎振り返る。
「一虎さん。私はお祖母様に逆らうつもりはありません。だから、この方達が正孝さんに反抗しなかった事を責めるつもりはありません」
「でしたら」
「しかし、私はこの方達にお姉様達をここへ案内するように命じました。一虎さん、貴方ならこの命令、どのようにして遂行しますか?」
一虎は由紀の質問に、少し考える。
「まず、里の入り口にあるゲートに人と車を配置します。もしもの場合に備えて車で道を塞ぎ、みゆき様方が来られたら、事情を話し、配置した車で車両を囲み、ここまで先導します」
「抵抗されたら?」
「御幸様なら、査問会を前に荒事は避けるでしょう。妹である由紀様の誘いを断る為だけに武力を振るえば、誰もが良い印象は持ちませんから」
「そうでしょうね」
由紀は初めからその可能性がほぼゼロであると解った上でそう言ったのだ。
由紀は一虎の答えに満足したようで、主張を認めた。
「私が誘えばまず間違いなく、お姉様は従ったでしょう。では、なぜ、お姉様を案内できなかったのでしょう?」
「それは……」
ここにきて、一虎は由紀の言いたい事を理解した。
「それは、由紀様より先に明乃様より呼び出しがあったからです」
由紀は満足そうに微笑んだ。
「その通りです。つまり、この方達が横着して、渡り廊下なんかで待ち伏せしたせいです。本家の娘が帰ってくるのです。初めに当主へ帰参の挨拶をするのは当たり前。そして、その案内に正孝さんが出向くのも当然の事。この方達はそんな事も理解していなかったのです」
由紀の説明に叱責を受けている四人はより一層項垂れ、一虎も庇う言葉を失った。
「裕也さん」
「はい……」
「貴方は私に能力を示す機会を求め、私は今回の事を任せました」
「はい……」
「しかし、これではいけません。私は長子だからといって、能力の無いものが家を継ぐ事には反対です。ですが、それは長子がダメと言う事ではなく、能力の無い者がダメなのです」
由紀は裕也に噛んで含めるように己の考えを教える。
「貴方は御剣の家を継ぎたいと望んでいるようですが、これではそれは叶いません」
由紀の言葉に裕也は顔を青くする。
「役目を望むのであれば、それに見合った能力を示しなさい」
厳しい言葉に四人は顔を上げることが出来なかった。
任務に失敗した四人を下がらせた後、書斎には由紀と一虎だけが残った。
「明日から、査問会の事前聞き取りが始まりますが、いかがしましょう」
一虎は御幸と顔を合わせる事が出来なかった事により、計画の変更が無いか、由紀に確認する。
「当初の予定通り、聞き取り中は小細工のみで結構です。査問会で提案を出すタイミングさえ間違えなければ大勢に影響はありません」
由紀は椅子に座ったまま、一虎へと鋭い視線を向ける。
「お姉様との面会は、これからする小細工の効果を上げる為、私の存在を強く印象付けるだけの、謂わばスパイスのようなもの。だから裕也さんのような方に能力を示すチャンスとして任せました。しかし、貴方の役目は違います。失敗すれば今回の計画そのものが失敗となります」
由紀の視線に込められた強すぎる意思に、一虎は思わず生唾を飲み込んだ。
「私を失望させないでくださいね」




