3-2 出迎え
梓の運転するセダンは高速を降り、街中を突っ切るとどんどん山の方へ突き進んでいく。
対向車とは全くすれ違う事は無く、前後にも車の影は見えない。
そんな通りの少ない道であるにも関わらず、荒れた箇所は一つとして無く道の舗装は綺麗に整備されており、車に乗っていて不快な振動は全く感じられない。
やがて、道を完全に塞ぐゲートが見えてきた。
一般家庭の車庫に取り付けている物より大型で、学校の校門を思わせるゲートには『この先私有地。関係者以外立ち入り禁止』の看板が付いているだけで無人だった。
梓がスーツの懐から取り出したリモコンに反応して、ゲートは大きな音を立てて開かれる。
道といい、電動式のゲートといい、緑深い山奥にあるには不釣り合いな物だが、この先は遥か昔から鬼を討伐し、国の中枢とも深い関係にある櫻澤家の本拠地だと知っていれば納得するしか無いだろう。
ゲートを潜り、更に五分ほど車を走らせて、ようやく建造物が見えてきた。
最初に現れたのは大きな丹塗りの鳥居だった。そこから伸びる参道を辿れば、春日造の小ぶりな本殿が木々の向こうから覗いている。
立派な神社ではあるが、目的地はそこでは無い。
車は鳥居の前を素通りし、更に奥へ進む。
ぐるりと神社を回り込むと大きな建物が見えてきた。
まず目につくのは横に広いRC造四階建てのビルで、学校の校舎を小ぶりにしたような雰囲気がある。その建物の三階部分からは渡り廊下が伸びており、土地の傾斜を利用して、奥にある和風建築の大きな平屋へと続いていた。
奇妙な造りの建物だが、それには理由がある。
四階建ての建物は『本部』と呼ばれており、フロアを幾つかに割って、櫻澤一族各家、各部署のオフィスや会議室等として使用されていて、本拠地に居る一族の仕事場となっている。そして、平屋の方が本家の屋敷なのだが、櫻澤家は旧家と言っても鬼の討伐を生業としており、そのトップはお飾りでは無い。各家へ指示を飛ばし、全体の指揮を円滑に取る為に、本部とアクセスを良くした結果がこれだ。
梓はカレンと御幸を乗せたまま、本部の正面玄関前に車を横付けする。
カレンは自ら助手席のドアを開けて降り、御幸は梓によって後部座席のドアが開かれるのを待ち、降車した。
カレンはシンプルな白いブラウスに黒のリボンタイ、膝下まである黒のタックフレアスカート、アッシュブロンドの髪を纏めるシュシュも黒とシルバーで、全体的に普段より大人しいファッションで揃えている。
隣に立つ御幸も、紺色のロングスカートに白のブラウスとシンプルな装いだ。
一歩下がってパンツスーツの梓が控えているのと合わせて、二人はいいとこのお嬢様にしか見えない。
三人は車をそのままにして、自動ドアが設置されている正面玄関から本部に入る。
エントランスには、受付こそないが、ロビースペースよろしく隅にはソファーやコーヒーサーバーが置かれており、奥には二基のエレベーターが設置されていた。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
エントランスに入ってすぐ、御幸達は五十がらみのスーツ姿の男性に迎えられた。
「出迎えなんていいのに。でも、ありがとう、正孝さん。ここに来て、最初に合わせる顔が貴方でよかったわ」
「勿体無いお言葉です」
正孝は御幸に深々と頭を下げる。
「カレンさん、この度は査問会に呼ばれたとの事ですが、誰よりもお役目に励まれているカレンさんですので、滅多な事にはならないでしょう。どうか、お気を落とさず」
「アタシが査問会程度で気を落とすはずないでしょ? 心配は無用よ」
「流石でございます」
正孝はいつもと変わらないカレンの様子に目を細める。
そして、最後に梓へと視線を向けた。
「梓、遠方でのお役目御苦労だったな。しっかりとお仕えしているか?」
「はい、お父様」
「そうか」
正孝の性は守沢。
梓の父親だ。
梓は御幸について二年前に本家を出て以来、一度も里帰りをしていない。二年振りの親子の会話としては味気なさ過ぎるが、当の二人はそれで十分だったようで、会話を終えた。
一通り挨拶が済むと、御幸達は正孝の案内でエレベーターへ乗り込む。
これから一族のトップに君臨する御幸の祖母へ到着の挨拶をする為に、本家の屋敷へと向かうのだ。
三階でエレベーターを降り、正孝に続いてタイルカーペットの敷き詰められた廊下を歩く。
程なく、前方に屋敷へ続く渡り廊下の扉が見えたが、その前には四人の若者が屯していた。
「あれは……」
その一団の中に見知った顔を見つけた御幸が小さく呟く。
「これはこれは、遅いお着きで。待ちくたびれて一息入れておりまして、出迎えが遅れ、申し訳ありませんでした」
一団の中から慇懃ぶった二十代前半の男性が進み出て、大げさな仕草で御幸に頭を下げる。
御幸以外眼中に無いとでも言いたいのか、他の面子には目線もやらない。
早々の洗礼がコレか。
安すぎる挑発に御幸は思わずため息を吐いてしまった。
「しかし、本家を本家とも思っておられない方なので、査問会すら欠席なさるおつもりかと気を揉んでおりましたが、いやはや、安心致しました。今後は本家のお嬢様といえど、援助無しには何の力も無い一学生であると分を弁えて、あまり勝手な振る舞いはなさらないようして頂きたいものですな」
ぺらぺらと得意げに口上を述べる男に、周囲の取り巻き連中も「そうだそうだ」と追従する。
御幸達が黙ったままなのをどのように解釈したのか、男は小鼻を膨らませて満足げだ。
「さて、それではこれよりの案内は我らがいたしましょう。守沢家の方はここまでで結構ですので、通常の業務に戻られるがいい」
男は櫻澤本家の側仕えに任じられている守沢家にも敬意を示すつもりはないようだ。初めて御幸以外に声をかけたかと思えば、そんな事を言ってのける。
「守沢家とは私の事も含めて仰っているのですか?」
梓の発言に男は不快気に眉を顰める。
「当然であろう?」
「それは出来ません」
「何だと!」
お前如きがでしゃばるな、とでも言いたげな様子で言い捨てる男に、梓ははっきりと断る。
まさか拒絶されるとは思っていなかったのか、梓の返事に男は目を吊り上げて怒鳴った。
「私は御幸様付きですので、御幸様の傍を離れる事はあり得ません」
男の剣幕に動じること無く、梓は静かに拒絶の理由を説明した。
そして、娘の言葉に満足気に頷いた正孝も、男に対して拒絶の意思を示す。
「私に関しましても、御館様よりお嬢様の案内を申し付けられておりますので、お役目を途中で放棄する訳には参りませんな」
「くっ!」
本家当主を出されては男に反論は許されない。
それでも諦めきれないのか、男は歯を食いしばり、反論の言葉を探す。
予想外の展開なのか、取り巻きの三人はオロオロとするだけで、何の役にも立っていない。
御幸はそんな三人を見て、一族の若手も現場を知らない者はこの程度か、と自分に敵対する連中の程度の低さに呆れてしまった。
「御幸」
完全に手詰まりになっているのに扉の前から退こうとしない男達と、その出方を待つ正孝の間に緊張感が高まる中、それまで黙ったままだったカレンが口を開いた。
「……何?」
御幸はカレンが何を言うつもりなのか予想出来たが、無視するわけにもいかず、返事をした。
「さっきから五月蠅いけど、こいつ誰なの?」
「……」
「!」
予想通りの言葉に、御幸は額を押さえ、初対面でもないのに存在を忘れ去られていた男は明らかにショックを受けた表情で、カレンを見つめる。
「カレン」
「ん?」
「彼は御剣裕也さん。御剣家の三男よ」
「御剣? 五分家の?」
五分家とは正式に櫻澤家の分家を名乗る事を許された五つの家の事で、一族の意思決定に関わる権利を持つ名家だ。カレンの立華家、龍二の結城家も五分家の一つであり、残りの二家は九重家と武部家となっている。
「そうよ」
「ふーん、見た事無いわね」
そんな事は無い。
櫻澤家と五分家は血が薄まり過ぎるのを防ぐため、定期的に婚姻関係を結ぶ。その為、それぞれの家の子供たちは幼少の頃から顔を合わせる機会を多く設けられている。
「ふ、ふざけるな! 俺の事を忘れたとは言わせないぞ! お前に受けた屈辱を、俺は一刻も忘れた事などないというのに……それを、それを」
一人でエキサイトする裕也をカレンはつまらなそうに見て、残酷な言葉を投げつける。
「アンタの事なんて覚えて無いわよ。たとえ昔会った事があっても、今と同じでアタシが覚えてる価値も無いつまらない事しか言わなかったんでしょ。今の事だって、明日になったら忘れてるわよ。アタシに覚えてて欲しかったら、もっとマシな事やんなさいよ」
「こ、この……」
裕也は怒りで顔を真っ赤にするが、カレンは既に興味の欠片も無いようで、裕也の方など見ていない。
「俺を御剣家の者と知りながら、その態度……。既に実体を失った立華の娘如きが……」
御幸は裕也の言葉に顔色を変える。
一族の者の多くが立華の家をどう思っているかを御幸は知っている。そして、それがカレンの逆鱗に触れるものである事も、だ。
それは裕也も知っているはずなのに、ここでそれを口にしようとするとは、怒りに我を忘れているのだろうが、自殺願望でもあるのかと疑いたくなる。
こんな所でカレンにブチ切れられたら堪らない。
御幸は慌てて裕也にそれ以上喋らせないように止めに入ろうとするが、御幸より早く事態に対応した者が居た。
「裕也さま」
静かな声で裕也の名を呼んだのは正孝だった。
「何だ!」
「これ以上、お嬢様たちの道を塞ぎ、私の役目を妨げるようでしたら、守沢より正式に御剣家に抗議させていただく事になりますが、よろしいですか?」
それは正孝からの最後通牒だ。
守沢家は五分家に数えられない家だが、それは格が足りないという事では無い。
一族の意思に関わる権利を放棄する代わりに、櫻澤家のみに忠誠を誓い、仕える主人の命以外の何物にも束縛されない立場を得たのが守沢家だ。
その家からの抗議は仕える主人の意思を妨げた場合にのみされる。
そして、正孝が仕えているのは櫻澤家の当主であり、一族のトップだ。
つまり、御剣家の者が櫻澤家の当主に逆らった事を一族全体に知らしめるぞ、と言っているのだ。
「そ、それは……」
裕也の赤く染まっていた顔が一瞬で青に変わる。
五分家の一角を担う御剣家の一員であっても、裕也は所詮三男だ。
そんな事になったら簡単に家から切り捨てられてしまうだろう。
「ゆ、裕也さん、ここは引いた方が……」
「くっ……」
取り巻きの一人が裕也の腕を引くと、悔し気に顔を歪めつつも裕也はあっさりと道を空けた。
「それでは、失礼します」
正孝は裕也に一礼すると渡り廊下の扉を開き、御幸達を促した。
御幸達が裕也達の前を通り、渡り廊下へと歩を進める。
「立華、カレン!」
裕也は目の前を通り過ぎたカレンを呼び止め、血走った目で睨みつける。
「何よ」
「お前、覚えていろよ。必ず後悔させてやるからな」
登場した時の慇懃ぶった態度も、芝居がかった口調も失った裕也が呪うように言う。
「フン、アンタの事なんか明日には忘れてるって言ったでしょ。こんなつまんない事、いつまでも覚えてらんないわよ」
肩にかかった髪を後ろに流しながらのセリフに裕也は顔を俯かせ、肩を震わせる。
「カレンさん」
「フン」
扉の横で控えていた梓に促され、カレンも扉を潜る。
「では、失礼します」
最後に梓が頭を下げ、丁寧に扉を閉めた。
「……くそっ!」
御幸達が去り、廊下に取り残された裕也が苛立ちに任せて扉を蹴りつける。
重厚な扉は裕也の八つ当たりに大きな音を立てるが、その表面には傷一つ残らない。
「絶対、絶対に後悔させてやるからな。立華カレン……」
裕也は口元を醜く歪めてカレンを呪う言葉を吐くと、その先に居るカレンが見えているかのように、渡り廊下の扉を睨み続けた。




