立華カレン(2) スタジオ入り
「カレンさん、ありがとうございます。ありがとうございます」
スタジオの片隅。
アタシの前で涙を流し、土下座しそうな勢いで頭を下げ続けるスーツを着た狸顔の女は時任薫。アタシの元担当。
二十八歳なのに、低い身長と童顔な所為でアタシとそう変わらないように見える。
困り眉と垂れ目が特徴的で、狸にそっくりな幼顔は普通にしていても泣きそうに見えるし、実際、よく泣く。
鬱陶しい。
結局、アタシはチーム全員から説得されて面倒な仕事を引き受ける事になった。
アタシが尻拭いする義務なんてこれっぽっちも無いけど、三十路を目前にして結婚の予定も彼氏も無く、職も無くすかもしれないと言われたら、流石のアタシも面倒だからという理由だけでは見捨てられなかった。
ただ、相手の都合でこっちが面倒を引き受けるのだから、それ以外はこっちの都合に合わせる事を約束させた。
だから、撮影は豊野市内のスタジオを使うし、拘束時間も放課後の三時間だけだ。
「うっさいわね! 感謝の言葉なら散々聞いたわよ。アタシはこんな面倒な事、速攻で終わらせたいのよ。解ったら、さっさと案内しなさいよ」
「は、はいぃぃっ!」
時任は発条仕掛けのおもちゃみたいにお辞儀の姿勢から勢いよく跳ね起き、アタシたちを控室へと案内する。
そう。
アタシたち、だ。
「へぇー、撮影ってこんなとこでするんだ」
「思ったよりごちゃごちゃしてて狭いんですね。先輩」
「私はカレンの付き添いで何度か別のスタジオを見学させて貰ったけど、ここはかなり小さいわよ。でも、広い所はその分スタッフの人もいっぱいいたから、体感としてはそんなに違わないわね」
「すごい照明の数だな。撮影時は相当な熱量になるんじゃないのか?」
「給湯室はどこですか? お茶の用意をしたいのですが……」
何のつもりか、チーム全員が撮影の見学を希望してついて来た。
別に面白い事なんて何一つ無いのに、物好きなものね。
控室に元々用意されていたテーブルには椅子が四脚据えられているだけだった。二脚を別の部屋から持ち込み、時任は立ったまま。
椅子の数から考えると本来は二人用の控室だろうから、七人も人が入れば息苦しさを感じる狭さね。
まあ、御幸達が勝手に付いて来たせいで人が増えたのだから、控室の狭さに文句を言うのは筋違いね。
「でも、今回は本当に助かりました。カレンさんに来て貰えなかったら、神代さんは降りるっていうし、編集長にはそうなったらクビだって言われるし……」
時任以外が席に着き、梓さんが淹れてくれたお茶を啜っていると、時任がまた涙混じりに礼を言い始めた。
それはいいって言ってるのに、しつこいのよ。
「ほ、本当にクビがかかってたのか……」
「カレンさんを説得に回ってよかってですね……」
「神代さんって言うのが問題のカメラマンなんですね」
真一と真言がひそひそやっている横で、御幸が時任に話しかける。
「はい、神代さんは人物を撮るのに定評があるカメラマンさんで、神代さんに写真集を撮って貰ってタレントや女優への転向を成功させたモデルも多いんですよ。だから、ウチのモデルたちもすごく気合が入ってて、今回の企画がポシャッたら、私はどれだけの子たちの将来を変えてたかと思うと、もう……」
ふぅん、時任は自分の事よりそっちが気になってたみたいね。
それでも、アタシにクビがかかってる事やモデル連中の事を言って同情を買おうとしなかったのね。
アタシの中で時任の株が上がった。
「でも、契約はカレンが居なくても有効だったんじゃないんですか?」
「そうなんですけど、神代さんからしたら違約金なんてはした金でしょうから」
「でも、信用とかも失うんじゃないんですか?」
「それでも神代さんに撮って貰いたいモデルは幾らでも居るんで、気にしないでしょうね」
「そんなに力があるんですか……」
「はい、ウチが神代さんと揉めたとなると、ウチを離れるモデルやスタッフも居たでしょうし、今回の問題は本当にマズかったんですよ。何とかなりましたけど、私も責任を取らないといけないでしょうね」
時任は困り眉を更に困らせて、情けない顔で空笑いしている。
「ああ、でも、クビとかじゃないですよ。たぶん部署移動で、ファッションに関係ない所に回されるだけですから」
アタシが引き受けても時任が責任を取らされると知って、アタシ以外の全員が絶句していると、時任が慌ててフォローを入れた。
「ああ」
「何だ」
「よかった」
全員がほっと息をついた。
アタシだって、やりたくもない事をやっても、時任がクビになるならさっさと帰ってるところよ。
「でも、好きなファッションに関わる仕事から外されるのは辛いですね。はははははっ……」
時任が余計な一言を言った所為で、部屋の空気がまた沈み込んだ。
本音はそうかもしれないけど、フォローしたんなら、そこは言うんじゃないわよ!
コイツ、わざとやってるんじゃないでしょうね……
◇◇◇
アタシは早々に撮影の準備に呼ばれて控え室を後にする。
ぎこちない空気が控え室に漂っていたけど、アタシのせいじゃないし、知った事じゃないわよ。
時任は自分のせいだし、御幸達だって来なくていいのに勝手について来たんだから、自己責任でしょ?
メイクや衣装の担当者は馴染みのスタッフばかりで、お互いに慣れた作業なので撮影の準備はすぐに整った。
滑り出しは順調。
このまま何事もなければさっさと終わらして帰れるわね。
アタシがスタジオに入ると、御幸達は先に時任が案内したようで、スタジオの隅で一塊になっていた。
時任とスタッフの一人が何か話していて、御幸達はそれを不安そうに見ている。
何かあったのかしら?
「やぁ、カレンちゃーん。初めまして、今回撮影を担当する神代でっす。いやー、カレンちゃんが被写体のリストになかった時はどうしようかと思ったけど、来てくれて嬉しいよ」
アタシが御幸達の方を見ていると、やけに馴れ馴れしい男が声をかけて来た。
脱色した長めの髪に、モード系の服装。歳は三十半ばってとかかしら? 歳の割に派手な服装と喋り方で軽薄な印象しか浮かばない男ね。
「まったく、時任ちゃんも使えないよね。僕に撮って貰えるチャンスからカレンちゃんを外すなんてさ。でも、大丈夫。僕がバッチリ言っといたから」
「はぁ?」
こっちはアンタの所為でやりたくも無いモデルの仕事を引き受ける羽目になって、迷惑してるってのに、何言ってんの? コイツ。
下手なウィンクをしてみせる馬鹿をひと睨みしてから、アタシは御幸達の方に視線を戻す。
「ああ、アレ? ごめんねー。僕って繊細だから、勝手を知らないヤツが近くにいると仕事に集中できないもんで、撮影の間は出てってもらう事にしたんだ」
御幸達は大人しくスタジオを出たが、時任までスタジオから追い出されている。
「時任も?」
「時任ちゃんも素人みたいなもんでしょ? 撮影は僕の用意したスタッフだけでするから」
時任は抵抗していたけど、結局敵わなかったようで、こっちに向かって頭を下げると心配そうな表情でスタジオを出て行った。
「さあ、邪魔者は居なくなったし、撮影を始めようか?」
神代の視線は無遠慮にアタシの胸や腰に注がれていて、不快感しか無い。
ああ、コレの事だったの。
アタシはついさっき、馴染のメイクスタッフから聞いた話を思い出す。
「カレンちゃん、辞めたって聞いてたけど、復帰するの?」
馴染みのメイクスタッフが仕事の手を止める事無く、話を振って来る。
「今回だけよ」
「えー、そうなのー? カレンちゃん、人気あったし勿体なーい」
「アタシが来ないと時任がクビになるかもしれないって、うるさい連中が居るか、仕方なくやるだけよ」
「そっかー、残念。でも、気をつけた方がいいよ」
「何によ」
「神代さん。業界じゃーあんまりいい噂聞かないからー」
神代? ああ、ごねたっていうカメラマンがそんな名前だったわね。
「時任さんも大分虐められてたよね」
「そうそう。それに、ここだけの話、素人の子にデビューの世話してやるーとか言って手ー出してるとかも聞くよね」
「あるある」
「ほら、あの写真集出して女優に転向した子いたじゃない? あの子、神代さんに―――」
「えぇー、うっそー!」
周りのスタッフと一緒にゴシップネタに盛り上がっているとこ悪いけど、アタシはそんな話聞いてないんだけど?
「時任はそんな事、言ってなかったわよ」
「あー、時任さんはねー」
「そういうの疎いからー」
確かに、時任は空気を読むとか、暗黙の了解とかが苦手だし、噂なんかもそうなんでしょうね。
アタシは困り眉でオロオロする時任を思い浮かべて顔を顰めた。
つまり、アタシが来なくてゴネたっていうのはそういう事だったわけ。
それでも、一応撮影はスムーズに進んだ。
衣装チェンジまでは、ね。




