2-21 エピローグ
次話から3〜4話ほど間章として番外編が続きます。
本編には全く関係のない、日常の一コマとなります。
消毒液や薬品の匂いが混じった、独特の匂いが病院にはある。
その匂いの満ちた廊下を、真言は手土産のケーキを持って、ゆっくり歩く。
ここは豊野市の隣、三美市にある三美厚生病院。
真言はエレベーターに乗ると、二階に上がる。
一階層上がるだけなので、すぐに扉が開き、長椅子の並んだエントランスが目の前に現れた。
エントランスを抜け、スタッフステーションの前を通る際に少し中を覗くが、真言がお世話になった師長さんは居なかった。見覚えのある看護師さんに会釈をして、そのまま通り過ぎる。
案内看板に従い、直進すると入院患者の病室区画にぶち当たる。
病室からは入院患者の見るテレビの音や、お見舞いに来た人と話す声が響き、割と賑やかな雰囲気がしている。
そこの丁字路を右に曲がってすぐに目的の病室がある。
病室の扉の横に、病室番号と使っている患者の名札が懸かっており、真言はそれを見て目的の部屋に間違いない事を確認すると、ノックをして、ゆっくり扉を引き開ける。
「失礼します」
小さく断って、入室すると、窓際のベッドを使っている患者が音を絞っているテレビから視線を外し、真言の方を見る。
「あ、真言ちゃん。お見舞いに来てくれたんだ」
「はい、先輩」
真言は躊躇いがちに小さく微笑み、真一のベッドに歩み寄る。
病室にはベッドが六つ並んでいたが、使われているのは真一のベッド一つだけだった。
「どうせ、明日には退院するんだし、よかったのに」
「いいえ、私の所為で怪我したんですから、当たり前ですよ」
真一は明日の土曜日には退院の予定だ。
今週の火曜日、幽鬼ザガンの攻撃を全身に受けながらもどうにか真夜を抜け、現世に戻った真一は病院の廊下に血溜まりを作り、そこに倒れ伏した。
傷が治るより早く現世に戻った為、治癒の力が真夜程威力が出ず、血を流し続ける真一だったが、幸いすぐに治療に回された為、大事には至らなかった。
しかし、病院での治療には問題がある事に真言はすぐに気が付いた。
真夜程の威力はなくとも、治癒の力は働いている。
縫う端から傷が治って行けば大騒ぎになってしまう。
そう思って慌てた真言だったが、これは杞憂に終わった。
どの面下げて、と思わなくも無かったが、頼れるのは龍二しか居なかった。
慌ててホームに電話をかけて龍二に助けを求めた所、三美厚生病院に限らず、全国の基幹病院は国によって越境者を医療的にサポートする体制が作られているので、問題無いとの事だった。
勿論、末端のスタッフまで秘密が共有されているわけでは無いので、龍二から病院側に連絡が必要だったが、取りあえず、大騒ぎになる事は避けられた。
ただ、真一を担当した医師が言うには、表面的な傷はすぐに治ったそうだが、内臓を含む体の内側が一度、ズタズタになっており、そちらは万全とは程遠い状態にあるそうで、そちらの回復が確認されるまで、入院をする事になってしまったのだ。
「でも、俺だけが助かって、眠り病の患者達は……」
真言が龍二に連絡した事によって、二人が勝手に眠り病患者の入院する病院に乗り込み、幽鬼から這う這うの体で逃げ出したのがバレてしまった。
カレンや梓から脅され、二人より先に眠り病患者の行方を掴み、先回りするつもりだった龍二はすぐに病院にやって来て、眠り病患者の病室周辺に展開していた真夜へと向かった。
しかし、龍二が現場に向かうと、そこには痕跡はあるものの、真夜自体は消えており、ザガンは逃走した後だった。
ザガンを取り逃がしてしまった上、眠り病患者達は未だに眠り続けている。
肉体から切り離された患者たちの精神が、現在どのような状況にあるのか、そのままどれだけ生き続けられるのかは全くわからない。
ちょうど点けっ放しのテレビから、豊野市以外で眠り病と見られる患者が病院に搬送されたニュースが流れ、真一はテレビに視線を向ける。
「俺に力が無かったから……」
ザガンが逃走しても、眠り病患者は発症範囲を広げ、増え続けている。
つまり、実験は未だ継続されているという事だ。
今の真一の力で幽鬼と渡り合う事は不可能だ。
それは解っている。
だが、先月のように真言を先に逃がし、真一が足止めしている間に応援を呼ぶ事が出来たなら、眠り病患者達を救い、新たな犠牲者を出す事も無かった。
力があっても、まだ足りない。
真一は悔しさに拳を握る。
「私の所為です……」
「真言ちゃん?」
自分の気持ちに没入していた真一は、下を向いて、絞り出すように出された真言の言葉を聞き逃した。
「いえ、何でもありません」
聞き返す真一に、真言は笑顔で誤魔化した。
真一はその笑顔に違和感を感じて首を傾げる。
「先輩の所為じゃないですよ」
そんな真一に構わず、真言は真一の握りしめた拳を両手で包み、静かに告げる。
「先輩は精一杯やったじゃないですか。確かに、ザガンを倒す事は出来ませんでしたし、眠り病の患者もそのままです。でも、こんな大怪我までして、私を助けてくれました。……何も出来なかったのは私の方です。前回も、今回も、私は現場に居たのに、何の役にも立ってません」
「いや、病院の場所を教えて貰えたのも、面会出来たのも、真言ちゃんのおかげなんだから、何もしてないなんて事は無いよ」
慌てる真一に真言は首を振る。
「いいえ、私は役に立ってません。本当は、龍二先輩はちゃんと櫻澤本家に応援を依頼してて、万全の態勢で挑む予定だったんです。そうすれば、ザガンも倒せてて、先輩も怪我をしてなかったはずなんです」
確かに、真言が言うような結末もあったかもしれない。
しかし、龍二の準備が整うまで、眠り病患者が無事だったかどうかは分からない。
「私、今回の件で思い知りました。このままじゃ、いつまで経っても足手まといのままだって」
「真言ちゃん……」
真一は真言が泣いていると思って、慰めの言葉を探す。
「すみません。変な雰囲気にしちゃって」
しかし、顔を上げた真言の目に涙は無かった。
「私、頑張りますから。力を付けて、恕ちゃんを助けてみせます。……だから、それまで待っててくださいね」
「え、ああ、うん」
笑顔の真言に真一は戸惑い、待つとはどういう事か分からず、変な返事をしてしまう。
「じゃあ、あんまり長居してもいけないんで、私はもう帰りますね」
「あ、そう? お見舞いありがとうね。退院したら、また一緒に頑張ろうね」
「はい!」
さっきの妙な雰囲気が気になったが、真言が笑顔だったので、真一は追及する事無く病室を去る真言を見送った。
真一の病室を出た真言は足早に廊下を進み、エレベーターではなく、階段を使って一階に降りると、正面玄関へと向かう。
病院から出ると、真言は一度振り返り、建物を見上げた。
視線の先は二階にある、恕の病室だ。
真言は病室に向けていた視線を切ると、スマホを取り出して電話をかけ始めた。
「由紀さんですか? ……はい、夕凪です。……はい、先日のお話、受けようと思います」
通話をしながらも、真言は速足で歩き出す。
「私、櫻澤本家に行きます」
その目にはまっすぐに定まった決意に満ちていた。




