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真夜蒼月、幽界の門  作者: 今
第二章 決意
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2-20 幽鬼

「ここには、今現在も、真夜が展開してる」


 真言は真一の言葉に息を呑んだ。


「せ、先輩、真夜って……」

「この部屋だけじゃない。あの関係者以外立ち入り禁止の立て看板を越えて、病室の少し手前の辺りから真夜の範囲だ」


 慌てて真言が窓の外を見るが、流石に日が落ちている時間である為、空の色では判断出来ない。次に月を探すが、病室の窓からは月が見えなかった。


「安心して、って言っていいのか分からないけど、俺たちは現世に居るよ」


 真一の言葉に真言はホッとする。


「今日は、このまま面会だけして帰ろう。眠り病が鬼の仕業で、まだ鬼が患者の近くにいる事が分かったんだ。この情報を持ち帰れば、結城先輩の対応だって変わるかもしれない」

「は、はい、そうですね」


 早く(ゆたか)を救いたいとは思っているが、特攻すれば解決すると考える程、真言も馬鹿では無い。

 真一の言葉に素直に頷き、恕の眠るベッドに目を戻す。


「え?」


 ベッドには恕が変わらずに寝ていたが、母親の姿が無い。

 さっきまで、恕の手を握り、語りかけていたはずなのに、ちょっと真一と話している隙に居なくなってしまった。


「あ、あれ?」


 そして、病室の入り口を見れば、師長さんの姿も無くなっている。

 恕の母親が居なくなり、面会の立ち合いをしていた師長さんも姿を消した。これは明確な異常だ。

 そして、真言は悟る。


「これって……」

「ああ」


 ここは真夜だ。


 前回もそうだったが、引きずり込まれる瞬間が全く分からなかった。


「兎に角、ここを出よう。幸い、真夜の範囲はさっき言った通り、広くない。やった事は無いけど、越境者は一般人を連れて真夜を出られるって御幸さんも言ってたし」

「はい、お願いします」


 真一は真言の手を取ると、急いで病室を出て、真夜の範囲を脱する為に立て看板の方へ走る。


「おっと、もうお帰りかね? 折角来たのだから、もう少しゆっくりしていったらどうだね?」


 突然かけられた声に二人は足を止め、慌てて振り返る。


 真夜の中で声をかけられる。

 それが意味する事は一つ。


「鬼、か」


 振り返った二人が見たのは、紫色のスーツに白衣という悪趣味な格好をした男性の鬼だった。

 鬼は芝居がかった仕草で胸に手を置き、お辞儀をすると、顔だけを前に向けて、二人に笑いかけてくる。


「ようこそ、我がラボへ。若き稀人(まれびと)よ」


 仕草は大仰で丁寧だが、その目は明らかに(あざけ)りの色が見て取れる。それを見れば芝居がかった仕草も、こちらを馬鹿にしているだけだと嫌でも分かる。


「我が名はザガン。幽界(ゆうかい)で長らく研究に勤しんでおったが、その成果を確かめるべく、現世にて最終試験を実施しておるところよ。よって、お主らに邪魔されるのは非常に困る」


 鬼の言葉に真一と真言の顔が引きつる。


「せ、先輩、この鬼って……幽界って事は」

「ああ、こいつは、考えたくないけど、幽鬼(ゆうき)だろうな」


 幽鬼、とは生粋(きっすい)の鬼だ。

 御幸(みゆき)(あずさ)から越境者(えっきょうしゃ)の基礎知識で教わった事だ。


 幽界に行けるのは幽鬼だけ、そして、幽鬼は眷属鬼(けんぞくき)を生み出して使役する。幽鬼と眷属鬼の力量差は、眷属鬼と屍鬼(しき)の差とは比べものにならない。

 つまり、目の前のザガンと名乗った鬼は、先月二人が出会った眷属鬼である紅子(べにこ)とは比べられない程、強い、という事だ。


「真言ちゃん。―――逃げるぞ!」


 紅子とは直接当たる事無く、屍鬼の物量に押しつぶされた真一は挑むなどという事は考えもしない。

 真言の手を強く握り、一目散に逃げ出した。


「させると思うかね?」


 だが、やはりそんなに甘くは無い。


「ぐあっ!」

「先輩!」


 ザガンが真一を指さしただけで、真一の右足の脹脛(ふくらはぎ)が裂け、大量の血が噴き出す。


 真一は真言を巻き込まないように、咄嗟(とっさ)に手を離すのが精いっぱいで、受け身も取れず、肩から廊下に転がった。

 真言はもんどり打って転がる真一に駆け寄り、その身を抱き起す。


「ぐッ」

「先輩! 足が」


 七分丈のカーゴパンツの裾はざっくり切れており、その下の脹脛の傷は深い。

 切り口からは骨が見えており、足の三分の一程の深さまで引き裂かれている。


 傷口から溢れだす血と、今まで生きて来て見た事も無い深い傷口に、真言は顔を青くして震える事しか出来ない。


「邪魔されては困ると言っておろうが。ここで逃がして仲間でも呼ばれては、騒がしくて研究に集中出来ないではないか」


 やれやれと肩を竦めて見せるザガンは最初に立っていた位置から一歩も動いていない。

 真一とザガンの距離は五メートル程、それだけの距離を置いて真一の足を引き裂くとは、どんな攻撃をされたのか見当もつかない。


「しかし、お主、足を切り飛ばしてやるつもりであったのに、まだ繋がっておるとは、存外、丈夫であるな」

「最近は骨を折るだの、足を切り飛ばすだの、物騒な事を言われて困るな」


 真一は冗談めかした軽口で、余裕ぶって見せるが、痛みのせいで額はびっしり脂汗(あぶらあせ)で濡れていた。


「先輩! 冗談言ってる場合じゃないですよ」

「ああ、でも、これくらいの傷ならすぐ治る。奴は俺が走れないと思って、余裕ぶってる。その隙を突いて逃げるよ」

「はい」


 真一の軽口に反応する真言に、小声で伝え、真一は傷口がザガンから見えないように体の向きを変える。


「さっきから研究、研究って言ってるけど、こんな所で、一体何やらかしてんだよ」


 真一は時間稼ぎのつもりで、ザガンに話しかける。

 

 ここは真夜の中だ。ほんの僅かな時間でも稼げれば、いくら深くとも切り傷くらいすぐに塞がる。


「ん? 気になるかね?」


 ザガンは真一が思ったより食いつきが良かった。

 自らの研究に興味を示された事が嬉しいようで、その表情は明らかに嬉しそうだ。


「よかろう。こうして一人籠って研究に打ち込んでおると、他人と語らう機会も少なくてな。折角なので、お主らに我の研究について話して聞かせよう」

「ありがとよ。でも、俺にでも解るように話してくれよ。専門用を並べられてもさっぱりだからな」

「ん? そうか。それは難しい注文であるな。ふむ」


 ザガンは顎に手を当て、小首を傾げ、少し考えてから語りだした。


「お主らは、我らが現世にやって来る理由を知っておるか?」

「飯食いに来てるんだろ? 自分たちの世界の飯がマズいから、わざわざ他の世界までやって来て、迷惑な話だ」

「先輩!」


 挑発的な発言をする真一を真言が嗜めるが、ザガンは気にした風も無く、話を続ける。


「ふむ、その通りである。では、食事の方法は知っておるかね?」

「ああ、俺を食おうとした奴は、人の事(なぶ)りまくって、絶望を食うって言ってたな。その上、最後には殺して、死ぬ瞬間を美味しくいただくとかなんとか」

「まあ、標準的な食事方法であるな」

「あれが、かよ」


 あんな事が標準的な食事方法なのかと思うと、真一は腹が立って仕方がない。

 そして、そんな事を食われかけた本人にさらりと言ってのけるザガンの神経の太さにも腹が立つ。


「しかし、それは非常に非効率的だとは思わぬか?」

「は?」

「つまり、我らはお主らの精神の働きによって生じるエネルギーを食っておるのだが、殺してしまってはそれ以上、食えんではないか」


 当たり前の話だ。

 死んでしまっては何も考えられないし、感じない。


「確かに、死に際の強烈な感情を食いたいという欲求は良く解る。それに、長く生かしても、お主らの脆弱な精神ではすぐに摩耗(まもう)して(しぼ)りカスも出なくなってしまう。それならば、新鮮な内に搾り切ってしまった方が良いと考えるのが普通だ」


 (きょう)が乗ってきたようで、ザガンは身振り手振りを交えて語り続ける。


「では、精神の摩耗を防ぎ、長く、より多く食料を確保する方法は無いか? それこそが我の研究内容よ」

「つまり、お前は俺達を殺さずに食う方法を研究してるってわけか?」


 真一の傷口は既に塞がっており、次のアクションに移る準備は既に出来ている。


 だが、この語りたがりの幽鬼は聞けば色々と勝手に語る。

 恕は真夜に引きずり込まれた様子も無いのに突然、空が暗くなったと言って眠りに落ちた。その謎もここで解けるかもしれない。

 そう思い、真一はザガンと会話を続ける事にした。


「ふむ、少し違う。お主らの精神は必ず摩耗する。精神が死んでは、肉体もそれを追って死に至る。それに、我はお主らの生死には(こだわ)らぬ。より長く、より多く、効率的に食料を生産する事が我の目的よ」


 ザガンは、はっきりと生死に興味は無いと言ってのける。

 つまり、眠り病の患者達は今は生きているが、ザガンの研究の過程で、いずれ精神が摩耗して死に至るという事だ。


「それで、被害者を眠らせて、お前は何をやってんだよ」

「別に我が意図して被験者を眠らせておるわけでは無い。我は効率的に食料を産み出す為に、お主らの肉体は不要であり、精神に直接働きかけるのが良いと考え、精神のみを抜き取る方法を開発したのである。そして、精神を抜かれた現世での肉体が結果として眠りに落ちておるだけである。我の研究は、その剥き出しの精神を操作し、こちらの意図した反応を引き出す事にあるのだ」


 ザガンは、自らが語っている相手がその被害者側の人間である事を全く気にしていない。

 それは、ザガンにとっては語って聞かせる事が目的であって、相手の反応など何でもいいからだった。ザガンに限らず鬼にとって人間とは食料以外の何物でも無く、人間で言えば家畜と変わらない。

 つまり、現在、ザガンは家畜に自らの研究を語って聞かせているだけであって、その最中に家畜が何と鳴き声をあげても気にしたりはしないのだ。


「お主らは夢、というものを見るのであろう? これを操り、こちらの意図した状況を作ってやるのよ。さすれば、お主らはこちらの思うままの感情を、時には現実で体験するより多く生み出したのだ! そして、肉体的苦痛を伴わぬそれは、極端に精神の摩耗を遅らせるという事もわかったのだ!」

「お前は、患者達に悪夢を見せて、その感情を搾り取っているってのか!」


 それは普通に襲われるより(むご)いのではないだろうか。確かに、すぐに命が尽きる事は無いが、夢の中で延々と殺されたり、苦痛を味わわせられるのは地獄の責め苦だろう。


 そんな目に親友が遇っていると知った真言は怒りで震えた。


 ザガンは怒りに燃える真一を不思議そうに見る。


「お主らは命が大事なのであろう? 死ぬまでの時間を延ばしてやっておるのだ。良い事ではないか」

「ざけんな! てめえのクソッタレの研究なんぞ、絶対ぶち壊してやるからな!」


 真一は既に治っている足に力を込め、真言の手を引いて合図する。

 二人は同時に身を翻し、脱出を図る。


 威勢のいい事を言いつつ、やってる事は敵前逃亡とは情けない限りだが、今得た情報を幽鬼相手に持ち帰れれば、真一たちにとっては大金星だ。


「何と!」


 ザガンは深手を負った真一が、普通に立ち上がり、更には走れる事に驚いた。


「逃さんと、言っておるだろうが!」


 再びの攻撃。

 真一は背中に衝撃を受けたが、前ほどの痛みを感じなかった。


「ええい、どうなっておるのだ」


 胴を二つにするつもりで放った攻撃だったが、足を切り裂いた時以上に効果が薄くなっており、ザガンは困惑する。


 真一は真言を先に走らせ、その盾になるように後ろを走る。


「先輩!」

「いいから走って、ちゃんとついて行ってるから!」

「はい!」


 また自分を犠牲にして逃がそうとしているのかと思った真言が振り返ろうとするのを大声で止め、真一は次々と襲い来る衝撃に耐える。


「逃がすか!」


 自分の攻撃に耐え、走り続ける真一に対して、ザガンは両手を突き出し、力を込める。

 それまで以上に力を込めて発せられた攻撃は、真一の全身を容赦なく切り刻む。


「がっ」


 まるで爆発したかのように真一の体中から血を吹き出す。

 

 これまでにない衝撃を受け、真一の体が突き飛ばされたように宙を泳ぐ。


「しまった!」


 ザガンは己の失策に気付き、歯噛みする。


「きゃっ」


 足が地から離れた真一はそれでも必死で手を伸ばし、前を走る真言に飛びつくようにして、その腕の中に抱え込み、勢いよく転がった。


 背後からの衝撃と、その後に廊下をごろごろと転がった事で息を詰まらせた真言だったが、急いで身を起こす。

 真言を抱えていた真一の腕が力無く床を打つが、真言はそれに気づかず、背後を確認する。


 そこには二人に体当たりをされて倒れた立て看板があるだけで、ザガンの姿は無くなっていた。


 二人を追い詰めた状況で、ザガンが姿を消す理由は無い。

 つまり、二人は真夜を脱する事に成功したのだ。


「で、出れた……」


 幽鬼は現世に出てくる事は出来ない。

 逃げ切ったのだ。


「先輩! 出れました! 逃げ切ったんですよ! ……先輩? っ―――!」


 真言は反応を返さない真一を不審に思い、すぐ横に転がる真一へと視線を向け、絶句する。


 リノリウムの床にうつ伏せに倒れる真一の背中は真っ赤に染まり、手足のような末端部分は辛うじて骨で繋がっているような箇所すらある。

 ボロ雑巾のような真一の様を見て、真言は頭が真っ白になる。


「え? 嘘? 先輩?」


 地面に横たわる真一を中心に、血の海が広がって行く。


「先輩! 先輩! 先輩!」

「あ、貴方たち、いつの間にそんな所に、って、どうしたのよ!」


 立て看板が倒れた音か、真言の悲鳴かは解らないが、恕の病室から師長さんが顔を出し、尋常でない真言の様子に駆け寄って来る。


「ちょ、何よこれ! 誰か、誰か来て! 早く!」


 師長さんが大声で応援を呼ぶ声が響く廊下で、倒れ伏した真一に(すが)りつき、真言は泣く事しか出来なかった。

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