2-17 潜入失敗
豊野市の隣にある三美市は約十七万世帯、四十万人規模で、県庁所在地に次いで県内で二番目に人口の多い市だ。
この三美市には基幹病院である三美厚生病院がある。
一昨年、市の中心部から郊外に移転する際、以前の数倍になる広大な敷地と、最新の機能的な建築様式を取り入れたと建設当初は話題になった病院だ。
帰り際に真言と真一を呼び止めた恕の母親から聞いた話では、現在、豊野市で流行っている眠り病の患者は全て、この病院で治療を受けているらしい。
二人は恕のマンションを出た後、その足で電車とバスを乗り継いで、この病院にまで来ていた。
今日中に急いで来たのは、ただでさえ新米越境者である真一が気配を探るのに、日を追うと鬼の気配が薄れてしまい、より判断がつき難くなってしまうと判断したからだ。
二人はきれいに整備された正面玄関前のロータリーで停まったバスから降り、清潔感を強く感じさせる巨大な建物を見上げた。
「ここに恕ちゃんが居るんですね」
「ああ、でも、家族しか会えないんだ。正面から行っても会わせては貰えないだろうな」
「忍び込むんですか?」
真言が躊躇いを見せる。
病院では盗難事件等のトラブルが起こりやすく、防犯意識はそれなりに高いはずだ。忍び込んで、間違えましたで済むかは分からない。
「最悪、それも考えなきゃならないかもしれないけど、鬼の気配を探るのにどれくらい距離が必要か分からないから、今悩むのはよそう」
真言が不安そうにするので、言わなかったが、真一は頭の中で、もし、それで捕まったとしても、結果がはっきりするなら安いものだと考えていた。
二人は正面玄関から病院の中に入ると、入ってすぐの案内看板を確認する。
「え~っと、おばさんの話だと、二階のICUとかHCUの手前にある病室の並びだって言ってましたけど…」
「あ、あった、ここの事だろ? エレベーターを使うと、スタッフステーションの真ん前に出ちゃうな。階段でいった方が良さそうだな」
大きな病院なので、行先を確認するだけで一苦労である。
二人は目的の場所を確認すると、病院の端にある階段に向かって歩き出す。
階段がスタッフステーションから離れていたのもありがたいが、二階だったのはもっとありがたい。この病院は病室が並ぶ部分は五階まであり、これが五階だったら着く前にもう一苦労しなければならないところだった。
二階に上がり、細い通路を抜けると天井から吊り下がる案内表示があった。
左手に曲がればエントランスで、その手前にスタッフステーションがある。そして、右手に曲がればICUやHCU、病室が並ぶ区画になっていた。
二人は迷わず右に曲がり、進んだ先は丁字路になっていて、また案内表示がある。
今度は左がICU、HUC区画、直進が病室区画だ。
真っすぐ進むとまた丁字路にぶつかる。今度は案内表示を見ても意味が無い。そこには病室番号の表示があるだけで、当然だが『眠り病患者病室』とは表示されていないからだ。
ただ、そんな表示は無かったが、左右を見渡した二人が目的地に迷う事は無かった。
「あっちみたいだな」
なぜなら、右手の通路の先に『関係者以外立ち入り禁止』の立て看板があったからだ。
真一と真言は顔を見合わせ、一つ頷くと右手の通路を進む。
真一は神経を尖らせ、周囲の気配を探る。
龍二は昨日の時点で鬼の気配が残っているか微妙だと言っていた。
そんなかすかな気配に、新米越境者である真一が気づけるかどうか……
段々と立て看板に近づいて行く。
看板まであと少し、という所。
「ちょっと、貴方たち、そこで何してるの!」
静かな院内に鋭い誰何の声が響く。
振り返ると、厳しい表情をした年配の看護師が二人に向かってツカツカと歩いて来るところだった。
「あ、えっと、俺たちは……」
「ここから先は関係者以外立ち入り禁止ですよ? 何してたんですか?」
「あー、友達のお見舞いに来てまして」
「お見舞い?」
「はい、そうなんですよ。ね?」
「は、はい、そうですそうです」
真一の嘘、とも言えないが、言い訳に、真言が同意するのを見て、看護師さんは胡乱気な表情で二人を見る。
「何号室?」
「えーっと……」
「211号室です!」
真一は言いよどむが、真言が機転を利かせ、すぐ近くにある病室の部屋番号を答えた。
「211号室? ふーん」
「そ、そう、そう」
「でしたよねー」
看護師さんは二人を交互に見て、目を吊り上げて怒鳴る。
「嘘おっしゃい! こちらの区画の病室は全室空けてあるのよ!」
「きゃっ」
「げっ」
真言の機転が裏目に出てしまった。
「ちょっと、貴方たち、こちらに来なさい! 守衛さんに話を聞いてもらいますからね!」
看護師さんは真言の手を取り、スタッフステーションへ連行しようとする。
「ま、待ってください! この先に眠り病の患者さんが居るんですよね? 彼女は友達に一目会いたくて、来ただけなんです」
「え?」
真一が正直に事情を話し、看護師さんを引き留める。
真一の言葉に足を止めた看護師さんは、手を引いている真言を見る。
「あなた、今の話は本当?」
「はい。彼女のお母さんに聞いて来ました」
「そう……」
看護師さんの目に宿る険が和らいだ。
「でもね、ご家族以外の面会はお断りしてるのよ」
「はい、聞いてます」
「だったら、解るわよね?」
「でも……」
優しく諭す看護師さんの目には憐憫の色が浮かんでいる。
きっと、真言のような相手は初めてではないんだろう。
「あの、何で面会がダメなんですか? まさか、噂みたいにうつると思われてるんですか?」
「いいえ、私達もお世話してるけど眠り病にかかったスタッフは居ないわ」
「じゃあ、なんでなんですか?」
「患者さんの免疫力が低下しているのよ。白血病のように劇的なものではないけれど、そんな状態では無闇に面会を許可出来ないの」
「そう、だったんですか……」
真一はこの時点で、忍び込む事を諦めた。
面会できないのはまっとうな理由であって、不確かな噂を元にしたものでも、何も分かっていないからでもなかった。
これでは仕方が無い。
だが、真言は諦めなかった。
「中から会えないなら、外から会えませんか?」
「え?」
「ほら、ここ二階じゃないですか? 長い梯子とか使えば、外の窓から会えませんか? 窓越しなら病気をうつす心配もありませんよね? ダメですか?」
「ダ、ダメに決まってるでしょ! そんな事!」
真言のとんでもない言葉に看護師さんは狼狽える。
「お願いします! お願いします!」
「ちょ、ちょっと、貴方何やってるの!」
遂に真言は廊下に膝を突き、土下座した。
「あ、あなたも、見てないで止めなさい」
困った看護師さんは真一に助けを求める。
「お願いします!」
しかし、真一も真言に並んで土下座を始めてしまった。
「ちょ、ちょっと、貴方たち、本当に止めて! 止めてったら! あー! もう!」
看護師さんは頭を抱えて嘆く。
「わかった、わかったわよ」
「「え?」」
「会わせてあげるわよ。ったく、本当にもう!」
「い、良いんですか?」
「ええ、会わせてあげる。さっきも言ったでしょ? 白血病程じゃないって」
諦めが付いたのか、看護師さんは苦笑いする。
「ご家族で無くても事情のある方とかには対応してるのよ。ただし、ご家族から許可が出たら、よ。これは譲れないわよ?」
「は、はい! ありがとうございます」
真言はそう言って、もう一度、両手を突いて頭を下げる。
「もう、本当にそれ止めて!」
看護師さんの悲鳴を聞いて、真言と真一は立ち上がった。
「お願いしておいて言うのもなんですが、本当にいいんですか?」
「まったくよ。でも、しょうがないじゃない。だって、この子、私が断ったら本当に梯子かけて会いに行きそうなんだもの」
「はい! その覚悟でした」
看護師さんは冗談で言ったのだろう。真言の言葉に目を丸くし、次の瞬間、大笑いをした。
「アハハハハッ、本当に、貴方の友達は幸せ者ね」
それから二人はスタッフステーションに連れて行かれ、看護師さんが恕の母親に許可を取るのを待つ事となった。
「先輩、一緒にお願いしてくれて、ありがとうございます」
「いや、あの時、俺は看護師さんの説明に納得しちゃってたよ。真言ちゃんがやらなかったら、そのまま諦めてた。だから、別にお礼なんていいよ」
「いいえ、そんな事関係ありません。私、本当に嬉しかったんですから」
「そんな恰好良いもんでもないけどね。土下座しただけだし」
「変にプライド持って、あの場で出来ない人より素敵です」
「ははっ、ありがと。―――ん?」
スタッフステーションの前にある長椅子に並んで座り、二人が小声で話していると、ステーション内で恕の母親に電話をしていた看護師さんが二人を手招きしていた。
「貴方たち、今日はまだ時間大丈夫?」
「え? はい、大丈夫ですけど」
「私も」
「そう、よかった。お待たせしました。はい、大丈夫です。―――ええ、はい、お待ちしてます」
「「?」」
真言と真一は疑問符を浮かべて、看護師さんを見る。
「お待たせ。許可していただけたわよ」
「やった」
「ただし、親御さんもご一緒したいそうだから、来られるまで待っててね。三、四十分で着くそうよ」
「あ、そういう事でしたか」
さっきの確認はこの為だったようだ。
二人共、いつも訓練がある日は夜九時までかかっているから、それくらいなら全く問題無い。
二人はスタッフステーションを離れ、再び長椅子へと戻る。
二人が腰を降ろすと、スタッフステーションから親切な看護師さんと別の看護師さんが話している声が聞こえてくる。本人は声を潜めているつもりだろうが、静かな院内では丸聞こえだ。
「師長! いいんですか?」
「何が?」
「面会許可ですよ!」
「ああ、その事。だって、しょうがないじゃない。貴方、断って、本当に梯子でもかけられて責任取れるの?」
「やるわけないじゃないですか! そんな事」
「やるわよ、あの子。そんな無茶しそうな目をしてたもの。それに、梯子はやらないにしても、毎日ここに来て、スタッフステーションの前で土下座され続けたらどうするのよ」
「土下座って」
「それくらいなら現実味あるでしょ?」
「でも……」
「いいのよ! 私が許可したんだから、私が責任を持ちます!」
看護師さんは師長さんだったらしい。
それにしても、すごい男気のある師長さんだ。
真言と真一が目を丸くして見ていると、それに気づいた師長さんは笑って手を振り、もう一人の看護師さんは気まずそうな顔をして奥に引っ込んでしまった。
「かっこいい人ですね」
「ああ、本当に、ね」
横車を押す形になってしまって申し訳ない事をしたと思うと同時に、二人は師長さんに心から感謝した。




