2-16 母親
「取り乱しちゃって、スミマセン」
真言は体を小さく縮めて謝る。
「別にいいよ。慣れてるし」
「?」
真一の言っている意味が分からなくて、真言は思わず真一の方を見て首を傾げるが、真一と目が合うと慌てて視線を足元に向け直す。
あの後、真言は真一に手を引かれ、近くのコンビニに連れて行かれた。そして、そこで買った消毒薬や絆創膏で手当てを受けた。
真一は道に押し倒される形で泣きつかれている間も、優しく頭を撫でて慰めてくれた。そして、手を引いて歩く間は、足を怪我した真言を気遣ってか、いつも一緒に帰る時よりずっとゆっくりしたペースで歩いてくれた。
手自体を怪我していたので、上手く出来ない手当ても代わりにやってくれた。
何より、その間、気まずく思っている真言に特に何も言わずにいてくれた。
その全てが相乗効果を発揮して、真言は真一の顔を見れなくなってしまった。
さっきまで、自分が不幸のどん底に居て、世界中から見放されたような気がしていたのに、思いっきり泣かせてもらったおかげで、嘘のようにスッキリしていた。
そして、その代わりに心を温かい物が満たしている。
その事に若干の後ろめたさを感じてしまう。
真言は京子の言っていた「これからの人生、楽しい事全部諦めるつもり」というのは的を得た意見だったと知る。
どうやら、恕の事が解決しない限り、真言は楽しい事も嬉し事も純粋に受け取る事が出来ないらしい。
「先輩は、恕ちゃんの事、手伝ってくれるんですか?」
その為に、真言は恥ずかしいのを我慢して、真一に話しかける。
流石にまだ顔を見れないので、視線は地面に落としたままだった。
「うん、手伝うよ」
余計な事を言わず、迷いなく答えてくれる事を嬉しく思って、緩みそうになる口元を引き締める。
「でも、どうしましょう? 恕ちゃんの入院している病院も分からないですよ」
真一が手伝ってくれるのは嬉しいが、現状、出来る事は限られている。
「それは、やっぱりご両親に教えて貰うしかないと思う」
「ですよね。京子ちゃん―――私と恕ちゃんの幼馴染が聞いて、断られてるんですけど、何とか教えて貰うしかありませんよね」
京子が断られたのは、恕が倒れてすぐの事だ。
もしかしたら、時間を置いた今なら、少しは気持ちが落ち着いて教えてくれるかもしれない。
「うん、まずは病院の特定から始めよう」
「はい」
何にしても、やれる事が少ない以上、やれる事を全力でやるしかないのだ。
◇◇◇
翌日、放課後に待ち合わせをして、真言と真一は恕のマンションへ向かっていた。
「先輩、今日は付き合って貰って良かったんですか?」
真一には恕の件が鬼の仕業かどうか確認する事を手伝って貰うのだから、恕の入院している病院を特定するのは真言の仕事だと思っていた。
「ああ、手伝うって言った以上、俺も付き合うよ」
「結城さんには何て言ったんですか?」
「下手に隠すと碌な事にならなそうだから、真言ちゃんの様子を見に行くって言ってある。鬼に係わる事以外は言っても問題ないからね」
真一はそれを理由に今日は訓練を休むと龍二に伝えて来ている。
「でも、平日のこんな時間に行ってもよかったの?」
「はい、恕ちゃんのお母さんはフリーの家具デザイナーさんで、在宅でお仕事をしているので、大体、家に居るんですよ。それに、昨日の夜に電話でお願いしたら、会ってくれるって言ってましたから」
「そっか、でも俺も一緒でよかったの?」
真一は恕と面識が無い。
それが急に出て来たら、不審に思われないだろうか。
「でも、お見舞いの時に急に現れる方が不自然ですよ?」
「それはそうなんだけど、さ」
二人は上手い言い訳は無いか考えたが、そんな都合のいいものは思い浮かばず、すぐに目的の部屋の前まで来てしまう。
「じゃあ、押します」
「いや、結局、俺の存在を上手く説明する理由が用意出来て無いまま行くのは―――」
「押します」
躊躇う真一を無視して、真言はインターフォンのボタンを押した。
「―――はい」
「おばさん、真言です」
「ああ、待っててね、今開けるわ」
インターフォン越しでも分るほど元気の無い声で、恕の母親が応じる。
少し待つと、鍵の開く音がして、中から扉が開かれる。
「いらっしゃい。どうぞ上がって」
恕の母親はちらりと真一に視線をやっただけで、特に何も言わずに二人を迎え入れた。
上手い言い訳が思いつかなかったので、聞かれないのは都合が良かったが、それがそんな事を気にしていられる精神状態に無いのなら、全く歓迎出来ない。
真言は数日で目に見えてやつれたと思われる彼女の姿を見て「少しは気持ちが落ち着いて教えてくれるかもしれない」などと考えた、自らの浅はかさを恥じた。
一人娘が原因不明で治療法も見つかっていない奇病に罹ったのだ。そう簡単に落ち着くわけが無い。
しかし、ここに来た理由は果たさなければならない。
「どうぞ、座ってちょうだい」
真言と真一をリビングに通し、椅子を勧めた後、自らもへたり込むように椅子に腰かける。
「それで、今日はどうしたの?」
「はい、恕ちゃんのお見舞いに行きたいので、入院している病院を教えて貰えないかと思って来ました」
疲れた様子の相手に、下手な前置きは煩わしいだけだと思い、真言は単刀直入に本題に入る。
「そう、恕の事を気にかけてくれて、ありがとうね。でも、お見舞いは出来ないの。京子ちゃんにも言ったんだけど、家族しか面会出来ないの。行っても仕方ないのよ」
額に手を当てて頭を支えながら、ため息を吐きようにして言う。
辛そうに語る彼女の姿に、真言は一瞬、躊躇いを見せるが、恕の事を思えばそこで止める事は出来なかった。
「手を握る事が出来なくても、せめて姿を見て、遠くからでも声をかけてあげたいんです」
「無駄よ。あの子は眠り続けたまま、こちらの声が届く事は無いわ」
「それでも―――」
「無駄なのよ! 反応しないの! 眠り病の患者は、誰も、手を握っても、声をかけても、脳が反応しないの! 科学的に証明されてるの! 無駄なのよ!」
真言は、我が子を襲った理不尽な不幸を嘆く母親の悲痛な叫びに声を失う。
そこには気休めの言葉も、慰めも拒絶する頑なさの中に、今にも折れそうな心の悲鳴が込められていた。
「うっ、うっ、うっ、何で、何であの子が……」
額に当てていた手で目を隠すが、その影から小さな水滴がぽつぽつとテーブルに落ちる。
これ以上は、と思い、真言の肩に置こうと上げられた真一の手が空を切る。
「お願いします!」
真言は椅子を立ち、深々と頭を下げる。
「お願いします。恕ちゃんの近くに行きたいんです! 分からなくても、聞こえなくても、それでも、行きたいんです! お願いします! 病院を教えてください! お願いします!」
反応を示さない恕の母親に向けて頭を下げながら、お願いを続ける。
真言の声もいつしか涙で揺れていたが、お願いを続けた。
それでも、母親は何も言わず、自らの目元を覆い、真言の姿を見る事は無かった。
「真言ちゃん。もう……」
どれくらいそうしていただろう。
真一は遂に真言に声をかけた。
真言の事もそうだが、真言に頭を下げられ続ける母親の姿を見ていられなかったのだ。
命を失ったわけではないが、目が覚める保証がないのでは、何の慰めにもならない。
真一は突然、家族を失った気持ちを知っている。同じでは無いが、目の前で自らの殻に閉じこもった女性の気持ちがわかった。
「でも!」
「これ以上は、お母さんに辛い思いをさせるだけだよ」
真言は最初と同じ姿勢で、何かに耐えるように肩を震わせる恕の母親の姿を見て、顔をくしゃりと歪めた。
「もう、お暇しよう」
「……はい」
恕の母親から目を逸らし、答えた真言は下唇を強く噛んだ。
「おばさん、ごめんなさい」
目を逸らしたままではあるが、真言は呟くように謝罪の言葉を口にする。
辛そうな真言の肩に手を置き、真一は最後に一言だけ、余計な事だとは思いつつ、言わずにはおれなかった。
「お騒がせして、すみませんでした。でも、真言ちゃんも友達が心配だっただけで、悪気はないんです。許してあげてください、とは言いません。理解だけはしてあげて欲しいです」
今の彼女には世の中の何もかもが、自分でさえ、自らを責めるものにしか感じられないのだと思う。
だから、気持ちは分かるが、真言がした事は彼女を追い詰めるだけの行為にしかならなかった。
真一はこんな状態の母親の元に来た事を悔いた。
家族を失う辛さは知っていたはずなのに、命があるというだけで、楽観していた。
ただ、真言の思いだけは、今は受け止められなくても、理解だけはして欲しかった。
「じゃあ、これで失礼します」
真一は最後に頭を下げると、真言の肩を抱いて、テーブルを離れた。
リビングを出て、無言で靴を履くと、玄関の扉に手をかける。
「待って」
その時、恕の母親がリビングから出て来て、二人を呼び止めた。
「真言ちゃん、恕は……起きると、思う?」
恕の母親は昨日、路上で大泣きした真言と同じ目をしていた。
だから、真言はその気持ちはよく分かった。
「恕ちゃんは、何時までもじっとしてられる性格じゃないですから」
真言は明言しない。
しかし、その目は真っすぐ恕の母親を捉え、逸らされる事は無かった。
真言の言葉に何を思ったのか、恕の母親は力無くではあったが、小さく笑う。
「そう、ね」




