2-11 欠けた親友
翌日の日曜日、真言は近所にある京子の家に向かって、住宅街を歩いていた。
土曜の夜に京子から電話を受け、恕が市内で流行している眠り病で倒れた事を知らされた真言は、すぐにでも詳しい状況を聞きたかったが、その時の京子は泣きじゃくり、とても落ち着いて話が出来る状態ではなかった。
結局、その場は京子を落ち着かせる事だけしか出来ず、翌日に京子の家を訪れる約束を取り付けた。
真言と京子、恕は幼稚園からの付き合いで、三人の家は近所にある。
何度も訪れた京子の家だが、恕の容態は気になるが、それを確認するのが怖くて、真言の足取りは重い。その所為で、大した距離では無いのに約束の時間に遅れそうになってしまった。
真言は京子の自宅である建売住宅を見上げた後、そこから見える恕の住むマンションを一度振り返る。恕は病院のベッドの上だろうが、スポーツ少女らしく飾り気のない恕の部屋で、恕がこんこんと眠り続ける姿が思い浮かび、真言は頭を振って嫌な想像を振り払う。
いつまでも突っ立っていたって仕方が無い。
既に約束の時間から五分遅れてしまっている。
真言は意を決して、インターフォンを鳴らす。
いつもなら京子が応対して、家へ迎え入れてくれるのだが、その日は京子の母親が真言を迎え入れてくれた。
眉尻を下げ真言に気づかわし気な視線を向ける京子の母親は、恕の詳しい容体は知らない様子だったが、親友が原因不明の病気で倒れ、ふさぎ込んでいる娘をひどく心配していた。
彼女は真言に対しても気遣う言葉をかけてくれた。
「真言ちゃん。恕ちゃんの事、心配ね。でも、恕ちゃんが元気になった時、貴方がそんな様子だったら恕ちゃんも悲しむと思うわ。元気を出して、とは言えないけど気にし過ぎてはダメよ」
そんな様子とはどんな様子か、真言には分からなかったが、京子の部屋に入り、ベッドに腰掛ける彼女を見て「ああ、こんな様子か」と理解した。
「……真言」
「京子ちゃん……」
パジャマのまま、ベッドに腰掛ける京子の目は眼鏡越しでも腫れている事が見て取れ、擦り過ぎた目の周辺は赤くなっている。頬にはまだ涙の跡が残り、ひょっとしたらさっきまで泣いていたのかもしれない。
いつでもキチンとした格好で、隙の無い京子のそんな姿は真言も初めて見る。
恕の状態を詳しく聞いていない真言は、あの病気一つした事の無いスポーツ少女が病に倒れた実感が持てず、そんな状態で、パジャマのままベッドに腰掛ける姿を見ていると、京子の方が病人なのではと思えて来る。
「大丈夫? おばさんも心配してたよ? 朝ごはん食べた?」
何と声をかけていいか分からず、真言は当たり障りのない内容を口にしたつもりだった。
しかし、―――
「大丈夫? 大丈夫なはず無いじゃない! 恕が倒れたのよ? あの子どうなるの? いつ目が覚めるの? このまま、眠り続けたら、筋肉が落ちちゃう。そしたら、スカウトの話だって無くなるかもしれない。あの子の頭で行ける高校なんてあるの? 目が覚めても、ちゃんと高校行けるの?」
真言の言葉に京子は激烈な反応を見せた。
「お母さんが心配してるのは私の事よ。恕の事なんて心配してない。あの人、恕が眠り病で倒れたって知って、最初に何て言ったと思う? お見舞いに行っちゃダメって言ったのよ? うつるかも知れないからって! 知りもしない他人じゃなくて、恕なのに!」
これには真言も驚いた。
さっき、自分に優しい言葉をかけてくれた京子の母親が、そんな事を言っただなんて、信じられない思いだった。
ただ、それは母親としては当然の言葉だったかもしれない。最近、流行りだした奇病。治療法も、原因も不明で、患者がこの後どうなるのか誰も知らない未知の病気。
勿論、感染するかどうかも分かっていない。
しかし、感染するかもしれない。それだけで大切な一人娘を遠ざけるには十分な理由だ。
例え、それが娘の親友だったとしても、だ。
一気に叫びきった京子は肩で息をし、怒りに吊り上がったその目の端から一筋の涙を流がす。
「真言」
ヘアバンドをしていない所為で、うつむき加減の京子の顔には乱れた髪が落ちかかっていた。
その髪の隙間から責めるような目で、真言を見て言う。
「昨日、何で、電話に出なかったのよ」
真言の胸がズキリと痛む。
昨夜、京子からの電話を切った真言は、スマホの画面に映る着信数がカウンターストップしているのを見て驚いた。
着信履歴を見てみれば、その全てが京子からのもので埋め尽くされていた。
六時頃に最初の着信履歴があり、四十分程、間を空けた後、連続した大量の不在着信と数件の留守録データがあった。。
きっと京子は恕が眠り病で倒れたと知ってから、ずっともう一人の親友である真言に電話をかけ続けたに違いない。
「貴方、その時間、例の先輩と一緒に居たんでしょ? 恕が倒れて、私が不安で潰れそうだった時、貴方は先輩と楽しくお料理してたって訳よね」
昨日は真一とのデートの邪魔をされたくなくて、スマホをマナーモードにしたままバッグに入れていて、ホームに着いてからはバッグから取り出す事も無く、着信に気づく事が出来なかった。
ホームからの帰り道で着信に気付けたのは、バッグが手元にあって、バイブ音が聞こえたからだ。
そんな事はよくある話で、そこまで責められることでは無い。
だが、昨日の真言はデートの成功や真一の為に料理を作ったり、ホームでのやり取りに浮かれていた。その時間に親友の一人は原因不明の病に倒れ、もう一人は受け止めきれない現実に涙していたのだ。それを思うと真言の心は罪悪感で一杯になってしまう。
タイミングが悪かったとしか言いようがないが、そんな言い訳は今の京子には通用しないだろう。
「ごめん。京子ちゃん」
真言には謝る事しか出来なかった。
その日、真言はチームに入って初めて、ホームに顔を出さず、訓練を休んだ。
京子の家は昼過ぎには出たので、別に休む必要は無かったのだが、今日ばっかりは真一と顔を合わせるのが躊躇われた。
昨日の喜びはすっかり色あせ、むしろ罪悪感の種になってしまった。
正直、チームを辞める事も考えた。
京子の電話に気づかなかったのがチームの所為だとは思っていなかったが、親友が大変な時に自分だけ恋愛に現を抜かすのは不謹慎に思えたし、京子にそんな自分を見せたく無かったからだ。
ただ、自分から頭を下げて入れて貰ったチームを、こんな短期間で抜けるのは気が引けた。
それは、これまで可愛がってくれた梓を裏切るようで嫌だ。
どちらを選んでも嫌な自分を大切な誰かに見せる事になり、八方上手く収まる方法が無い。
だから、どちらも選べず、その日の夜に真言は龍二に事情を話して、しばらく訓練を休む事にした。
真言の気持ちはひどく落ち込んだ。
恕が眠り病で倒れ、京子からの着信に気づけず、それを京子から責められ、チームは辞めるかもしれず、そうなれば折角縮まったと思っていた真一との距離も離れてしまうかもしれない。
もう心がパンクしてしまいそうだった。
あの後、取り乱して真言を責める京子に謝り、宥めた続けた結果、京子はしばらくして落ち着きを取り戻し、恕が眠り病で倒れた知った経緯を教えてくれた。
恕が眠り病で倒れたと京子が知ったのは昨日の午後六時半過ぎ、恕の部活仲間から教えて貰ったそうだ。
初め、いつもなら部活後、五時半までには帰って来ている恕が六時になっても帰って来ないので、心配した母親が真言と京子の家に電話をしてきたそうだ。その時、京子は「どうせ部活仲間と盛り上がっているだけだろう」と心配していなかったが、一応、恕と同じバレー部の友達に確認の電話をした所、「帰宅途中のコンビニで恕が倒れて救急車で運ばれた、どうも眠り病らしい」と教えて貰った。
慌てて恕の家に電話をしたが、恕の母親も連絡を受けて病院に行っていたようで、繋がらなかった。
夜になって、恕の母親から再び京子の家に電話があり「恕は見つかったが、眠り病で倒れて入院している」と連絡が入った。京子は病院の場所を聞いたが、原因不明の病気で、家族以外の面会は出来ない状況だと断られてしまったそうだ。
そこまで話した後、京子は再び泣き出してしまった。
それは真言も同じで、二人で抱き合ってしばらく泣いた。
思い切り泣いた後、京子は少しだけ、いつもの京子を取り戻したようで、髪を手櫛で整えながら、真言に謝った。
勿論、真言はそれを受け入れ、真言も京子を一人にしてしまった事を謝った。
お互いに謝って、胸の痞えが取れたからか、気持ちを同じくする親友が戻って来たからか、少し笑う事が出来た。
そして、月曜日になったら、恕が倒れた時に一緒に居た部活仲間から話を聞こうと二人で決めた。




