1-16 決戦の幕開け
「でも、これで終わりね。流石に首をもがれて生きている人間は居ないわ」
紅子は首を引き抜くため、真一の頭に両手をかけた。
思えば今回の獲物に関わってからは散々だった。
こんなに一匹の獲物に手こずるのは初めての経験だ。真一に始めた会った時、表面を無気力で曇らせていたが、その目の奥に絶望を抱えながら、それに染まり切らない輝きを見て、次の獲物は絶対に真一にすると決めた。
紅子がクラス委員長の立場を利用して担任から事情を聴くと、ほんの二月程前に家族を全員一度に失い、父方の叔父が住むこの街に越して来て一人暮らし中だと言う。
絶望の理由はありきたりだったが、そんなものは紅子にとってはどうだっていい事だ。
宝石の原石を磨くように、まずは表面を汚す無気力を剥がし、その後、ゆっくりと絶望一色に染め上げる過程を美味しくいただくつもりだった。
だから、紅子はクラス委員長として世話を焼く時、なるべく新しい生活の基盤を豊かに出来る様に心掛けた。なかなかクラスには馴染まなかったが、紅子と話す度に靄のような無気力が剥がれていくのを感じた。
そして、行事の準備をしている間、中々馴染まなかったクラスメイトと笑いあっているのを見て、紅子はその日、真一の絶望を美味しくいただく事に決めた。
しかし、襲撃のタイミングは完璧でほとんど絶望に染まり切り、それでも抗う光が命と共に消えようとするその時、邪魔が入った。
最高の食事を邪魔された怒りは大きかった。手間暇掛けて準備した食事の最中、メインディッシュを口に入れる直線に取り上げられたようなものだ。許せるものではなかった。
だが、相手は紅子と同じように手駒を使う手合いで、手駒の質で及ばず、引かざるを得なかった。
あの傷では助かるはずがない。おそらく、誰にも看取られる事無く、深い絶望を抱え、一人で逝ったはずだ。最高に美味しそうな絶望を逃し、紅子は怒り狂った。
必ず復讐してやろうと思ったが、正面からやり合っても勝てるとは思えない。
紅子は怒りと屈辱に耐え、ひっそりと息を潜めて傷を癒しつつ、復讐の準備を進めた。
それは復讐の準備が整い始め、相手の拠点を探っていた時の事だ。
学校の中で、復讐相手と話している真一を見つけた。
その時、紅子は運命を感じて狂喜した。
逃がしたと思った獲物は元気に学校に通っていたのだ。
あの傷で何故助かったのかは分からなかったが、そんな事は些細な話だ。
傷も無く、絶望に浸食された輝きも力強さを取り戻していたし、紅子が身を隠している所為で真一に疑いが掛かったようで、絶望に複雑な色が混じったのは嬉しい誤算だった。
紅子は復讐の為に用意した舞台をアレンジし、真一をいただくために使う事に決めた。
真一さえ美味しくいただければ、傷を負わされ、追いかけ回された恨み位、簡単に忘れられる。
そして、遂に真一を舞台に引きずり込み、舞台装置として同年代の少女まで用意して、何重にも絶望を与え、最後の最後にゆっくり死の絶望をプレゼントしようとしたのに、狂ったように暴れだし、絶望を見せるどころか理性があるかもわからない様を見せて、紅子を驚かせた。
本当に最後の最後まで波乱に満ちた食事だった。
時が過ぎればこれもいい思い出になるのだろうか?
そんな風に考えながら、紅子は最後の仕上げに入る。
さっきから校内が騒がしい。校門を開放して増援を招き入れたが、グラウンドでも戦闘が起こっているようだ。ここらで本当に終わらせて、この場を去らねば先週の二の舞になりかねない。
「高坂君。君は最高に予想外で、美味しいご飯だったよ。最後まで美味しくいただくから、光栄に思ってね」
最後の言葉を真一に馴染みのあるクラス委員長の口調でかけ、紅子は真一の首にかけた手に力を込めようとした。
その瞬間、轟音と衝撃を伴って、前方の廊下が崩壊した。
「な、何?」
衝撃で吹き飛ばされた紅子は身を起こし、もうもうと立ち込める粉塵の先を見通そうとする。
紅子が粉塵のカーテンの中に黒い影を見た次の瞬間、それは目隠しを切り裂き、狭い廊下を疾走する。
黒い風の正体はカレンの黒狼達だ。
黒狼達は半分ほどの高さになった屍鬼の山を避け、そこから零れ落ち、立ち上がろうとしている屍鬼を行きがけの駄賃とばかりに吹き飛ばして進む。
黒い颶風はその数六。廊下を壁や天井も利用するアクロバティックな動きで駆け、紅子を完全に包囲する。
「こ、この忌々しい狼どもは……」
見覚えのあり過ぎる黒狼の登場に、紅子の頬に冷や汗が伝う。
粉塵が晴れた先、崩れ去った廊下の際に、サイドテールに纏めたアッシュブロンドの髪とロングカーディガンの裾をはためかせ、腕を組んで昂然と胸を逸らすのは、立華カレン。その横には大型犬サイズに縮んだロボが身を低く構え、鋭い目つきで紅子を睨む。
「ずいぶんと派手にやってくれたじゃない! 先週の件と合わせて、きっちり償わせてやるから、覚悟しなさい!」
クライマックスを告げるカレンの啖呵がさく裂した。
「こんな登場の仕方をするあなたには、派手だなんて言われたくないわね」
「フン! 今回はちょっと頭に来たから、加減を忘れてただけよ」
「つまり、前回は手加減してたと?」
「当たり前じゃない。私たちは日常を守るのが生業よ。無闇矢鱈と破壊してたら本末転倒よ」
「舐めた事を!」
無事だった屍鬼が数体、カレンに向かうが、ロボの爪を受け、ボロ雑巾のようになって廊下の大穴に落ちていく。
「ロボ! アイツを連れて来て!」
「させるもんですか!」
ロボがひび割れた廊下を疾走し、随分低くなった屍鬼の山を体当たりで吹き飛ばす。
山と一緒に下敷きになっていた真一が地面をゴロゴロと転がるのを見て、紅子が確保しようと立ち上がるが、紅子を包囲している黒狼がフォーメーションを変化させ、行く手を阻む。
黒狼達が紅子をけん制している隙に、ロボは真一の元に辿り着き、その腕を噛むと軽々とカレンの足元へ放り投げた。
ロボ達に紅子を警戒させ、カレンは怪我の加減を確認する。ついさっきまで大量の屍鬼に押し潰されていた上、乱暴な運搬をされたにも関わらず、命に別状は無かった。
それどころか、制服はボロボロで、全身血まみれになっているのに、傷が一切見当たらない。
ロボが噛みついた傷さえ、カレンが見ている前でみるみる治っていった。
「便利な身体よね」
化け物じみた回復力を見せる真一に対して、カレンのコメントはこれだけだった。
「さぁ、面倒な仕事も片付いたし、そろそろ終わりにするわよ」
カレンは改めて紅子に向き直る。
黒狼は紅子をその場に留める事にのみ集中していて、隙が出来ない代わりに自ら仕掛ける事は出来なかった。そして、紅子は隙の無い黒狼の包囲に阻まれ、大胆な行動を取れば手痛いしっぺ返しを受ける事が分かっていたため、下手に動けなかった。
膠着状態のそこに、カレンとロボが参戦するという事は、事態が動くという事を意味していた。
「ロボ! 片づけなさい!」
ロボは黒狼達に紅子を包囲させたまま、自ら紅子に躍りかかった。
「舐めないでちょうだい」
しかし、そう簡単に片が付くくらいなら、先週の夜に終わっている。
先ほど、ロボに吹き飛ばされ、そこら中に散らばった屍鬼が、動き出す。
真一の上に乗っていた屍鬼達は、横になってはいたが、別に倒れていたわけでは無い。真一を押し潰す為に積み重なっていただけだ。流石に下の方居たものについては、重さで潰されており、使い物にならないが、その数は一割にも満たない。
突然、足元に倒れ伏していた敵が襲い掛かって来たのだ。虚を突かれ、ロボも黒狼も組み付かれてしまう。
それぞれ何体もの屍鬼に纏わりつかれ、動きが鈍った所を更に別の屍鬼が伸し掛かる。
真一にやった事の焼き直しだが、数を頼みに格上を封じるならいい手だ。
「そのまま押し潰してしまいなさい!」
紅子は動けなくなった黒狼の間を通り、包囲網から脱出する。
「さあ、頼みの獣は封じてやったわよ。護衛の獣を前線に投入したのは失敗だったわね。あなた自身に戦闘力はあるのかしら?」
ロボ達の動きを封じている屍鬼とは別に、カレンを襲う為に新たな屍鬼が身を起こす。
「背後に自ら開けた大穴を背負って、逃げ場はないわね。こういった場合も墓穴を掘るっていうのかしら?」
紅子は勝ち誇ってカレンを煽るが、カレンは鼻を鳴らしただけで、それには返事をしない。
「負け惜しみも言えないのかしら? それとも最後の矜持? 私、そういうの好きよ。あなたの絶望も美味しくいただこうかしら」
反撃も反応も無いカレンに、紅子は勝ちを確信したようで、獲物を前にした時のような嗜虐趣味が顔を出す。
しかし、それは負けフラグというものだ。
「……これだけ壊れてるんだから、もう少し壊れても同じ事よね」
「は?」
カレンはヒビの入った床や壁を見回し、不穏なセリフを発した。
「アンタ、さっきから燥いでるけど、ウッサイのよ。黙らせてあげるわ。―――ロボ!」
カレンは不敵な笑みを浮かべ、ロボに命じる。
カレンと紅子の間に七つある屍鬼の山が内部から爆発したように吹き飛んだ。
そして、狭い廊下に七つの暴風が吹き荒れる。
屍鬼の山を吹き飛ばしたロボと六匹の黒狼は、その体を全長三メートル程に成長させていた。虎やライオンのような大型の肉食獣をも超える体躯で、風のように素早く動き、立っているものも、倒れ伏しているものも区別なく、周囲に存在する屍鬼を全てその爪にかけ、踏みつぶし、蹂躙していく。
狭い廊下でそんな大きさの、尋常でない力を持った獣が暴れれば周囲が無事であるはずも無く、教室側だけでなく、外壁側の壁も屍鬼と共に吹き飛ばされる。
「なっ―――」
圧倒的な力に紅子は言葉を失う。
「この大穴をどうやって開けたと思ってんのよ。物量と質量攻撃でアタシに挑むなんて、アンタ、バッカじゃないの?」
前回、全力を出していなかったというのは、強がりでは無く、事実だった事を紅子はようやく実感した。
やがて、全ての屍鬼を片づけ、随分の風通しの良くなった廊下にロボを中心に、六匹の黒狼が整列する。
「安心しなさい。柱は抜けない程度の力に抑えておいてあげたから、天井が崩れる心配は無いわよ」
「くっ」
余裕の発言に紅子は呻く事しかできない。
「舐めんじゃないわよ……」
しかし、紅子もこのまま終わるわけにはいかない。
カレンは最初に立っていた位置から一歩も動いていないのだ。そんな圧倒的な差を認める事など到底出来る筈がない。
紅子の中に、真一の生存を確認した時に消えたカレンへの怒りが沸々と蘇って来た。
「私だって、この一週間ただ隠れていたわけじゃないのよ!」
紅子が床に両手を突くと、紅子を中心に黒い渦が現れる。
「ここで全部出し切ってやるわ! 後の事なんて知った事か!」
紅子の啖呵に反応して、黒い渦から屍鬼が現れる。
今更、屍鬼を呼び出した所で先ほどと同じように蹂躙されて終わるはずだが、紅子は屍鬼の召喚を止めない。黒い渦からは次々と屍鬼が現れる。そして、その量はすぐ飽和状態を迎えた。
廊下いっぱいに溢れる屍鬼は、一部壁の無くなった箇所から教室や外へ押し出され始める。
それでも止まない召喚に、押されるように進む屍鬼は普通に歩くのとは段違いのスピードで進み、カレンに迫る。
「あなた、さっき物量で挑むなんて馬鹿だって言ったわね? 確かにあなたの獣は段違いに格上だわ。でも、私の物量で押し切ってやるわ!」
紅子の気合に応えるように、屍鬼の召喚スピードが上がり、結果として先頭が押し出されるスピードも上がる。
「悪あがきしてるんじゃないわよ!」
ロボはカレンの前で構え、黒狼が津波のように迫る屍鬼を迎撃する。
最初は先ほどと同じように黒狼が屍鬼を吹き飛ばして圧倒していたが、廊下内の屍鬼の密度が高まるにつれ、前進スピードも、その圧力も上がり、徐々に圧され始める。
そして、拮抗が崩れた後は一瞬だった。
一匹の黒狼がバランスを崩す様に押し流されると、それに連鎖するように次々、黒狼が屍鬼の波に呑まれ、押し出されるように大穴へと落ちていく。
カレンの前でロボは四肢を踏ん張り、圧力に耐え、カレンが屍鬼の波に巻き込まれないように守っているが、それ以上の事は出来ない。
全ての黒狼が大穴に落ちたのと同時に、屍鬼の召喚が止む。
「これで、打ち止めよ!」
屍鬼を召喚していた紅子本人は、その瞬間に誰よりも早く行動をする事が可能だった。
廊下を埋め尽くす屍鬼と、カレンの前で波に耐えているロボを人外の脚力で飛び越え、カレンに打ちかかる。
「今度こそ、あなた自身の戦闘能力を確かめさせてもらうわよ!」




