1-17 決着
「今度こそ、あなた自身の戦闘能力を確かめさせてもらうわよ!」
屍鬼を操り、戦闘は全てそちらに任せていた紅子だったが、バリケードを軽々と飛び越えられる、鬼の身体能力は人のそれとは比べものにならない。
廊下を埋め尽くす屍鬼を飛び越え、屍鬼の波に耐えていたロボの反応速度も越え、カレンへと打ちかかる。
跳躍する勢いに、落下の加速度を上乗せして、振るわれる紅子の拳がカレンに迫る。
カレンは飛びかかって来る紅子に対し、左半身に構え、迎撃の姿勢を見せる。
「貰ったわ!」
紅子の視線と、カレンの視線が拳よりも先に衝突する。
「舐めんじゃないわよ!」
紅子の拳がカレンを捕らえるか、と思われたその瞬間、カレンは左手の甲で紅子の拳を横から叩くようにして逸らし、前に出していた左足を後ろに引く。そのまま、返した左手で紅子の手首を掴み、体全体で巻き込むようにして、紅子を地面に叩きつけた。
「か、はっ!」
紅子は自らの攻撃の勢いをそのままに、カレンに巻き込まれた時に生じた回転力と、自らの体重を上乗せした力で、受け身も取れず背中からまともに叩きつけられた。
紅子が叩きつけられた床は衝撃で新たなヒビが広がり、蜘蛛の巣のように広がるそれの中心に紅子が大の字に伸びる。
「アンタ、直接戦闘はダメなタイプでしょ? それなのに、自分で殴りに来るなんて、気合入ってんじゃない」
カレンには珍しく、相手を褒めるような事を言う。
「ただ、やらかした事の償いはきっちりして貰うわよ」
周囲に溢れる屍鬼を、先ほどまで耐えるしかなかったロボが、鬱憤を晴らす様な勢いで駆逐していく中、カレンは静かに告げた。
それを受けて、紅子は悔し気に歪めた口の端から垂れる血を拳で拭い、よろよろと身を起こす。ふらつく足で、なんとか立とうとするが、足に力が入らず、なかなか立ち上がれない。
焦りで顔が歪み、眉尻が下がった顔には、真一に見せていた余裕は欠片も残っていない。
なかなか立ち上がれない紅子に追撃を仕掛けるでも無く、カレンは手に嵌めたグローブの具合を確かめるように、拳を何度も開閉している。
その周囲にはいつの間に大穴を這いあがったのか、黒狼が六匹全て戻って来ていた。
それを見て、紅子が大穴へ視線を落とす。
そこには手駒であった屍鬼が無残な姿を晒していた。
「はっ、私は、もう、ここで、終わりと、いうわけね……」
紅子は苦痛に呻きながら、絞り出すように言う。
「そうよ。アンタはここで終わり」
膝を震わせながらもなんとか立ち上がった紅子に、カレンは無情に宣告する。
「さんざんやらかしてくれたアンタには、一発キツイのを食らわせてやんなきゃ我慢なんないのよ。そしたら楽にしてやるわ」
「いいの? 私に、近付いて、一発逆転の手が、あるかも、しれないわよ」
紅子は口の端を無理矢理持ち上げ、ニヤリと笑って見せる。
だが、そんなハッタリはカレンには通用しない。
「関係ないわ。アンタが何をしても、アタシがそれごとぶん殴ってやるわ」
カレンは両手を強く握り込み、紅子に向けて左半身に構えると、腰を落とし、全身の回転を乗せた右突きを放つ。
「怖い、女ね。高坂君も、苦労する、わね」
最後に紅子が囁くように言うが、突きに全身全霊を込めるカレンの意識には、何の影響も与えない。
「ぐっ、ふ―――」
カレンの突きは紅子の胸の中心に決まり、衝撃で体と一緒に紅子の意識を吹き飛ばす。
壁にぶち当たり、跳ね返った紅子に、六匹の黒狼が殺到し、既にボロボロになっていた壁と一緒くたにして、ズタボロに引き裂き、止めを刺す。
残心の姿勢でそれを見たカレンは構えを解き、周囲を確認した。
教室棟四階の廊下は、大穴が開いている他、全体の半分以上にわたり、外壁側も教室側も壁が失われ、柱しか残っていない。床は大穴以外は残っているが、全体的にヒビが入っており、今にも崩れそうだ。そして、その床は屍鬼の残骸で溢れ、その隙間も血で染め上げられている。
風通しの良くなった廊下は、まさに地獄絵図の様相で、そこで動く事が出来るものはカレンとロボ、六匹の黒狼だけだった。
カレンは戦闘を終え、すり寄って来るロボと黒狼を労うと、横たわる真一の前に立つ。
「アンタ、随分と面倒かけてくれたじゃない。覚えておきなさいよ」
聞こえないとわかっているが、カレンは一言、真一に投げかけた。
そして、ロボは真一の頬を労うように一舐めし、体を優しく咥え上げると、黒狼の背中に乗せた。
「さあ、真夜が明けるわ。さっさと帰りるわよ」
カレンはそう言うと、振り返る事無く、戦場を後にした。
◇◇◇
カレンが教室棟四階に突入した後、真言と梓はそのまま校庭に残っていた。
教室棟四階部分を破壊した巨獣状態のロボが忽然と消え、校舎から激しい戦闘音が聞こえてくる。
中で何か起こっているのか、爆発したように外壁が吹き飛ぶ様を、真言は怯えた様子で見ている。
梓はそんな真言にホームへ避難するように勧めたが、真言はそれを断り、この場に残る事を望んだ。
その理由の一つは、カレンが屍鬼を駆逐し、安全圏となったグラウンドを離れ、屍鬼が徘徊する敷地外に出るのが怖かった事だ。
しかし、それ以上に、大きな理由は自分を逃がした真一の安否が気になっていたからである。
大穴から大量の屍鬼が溢れ出て来た時には、梓の勧めを断った事を後悔しそうになったが、共に流れ出て来た大型肉食獣並みに成長した黒狼が、あっという間に駆逐してしまうのを見て、ほっと胸を撫で下ろした。
ただ、黒狼の暴れっぷりを見て、吹き飛ぶ外壁を思い出してしまった。戦闘の中心地が一体どういった事になっているのか想像するのも恐ろしい。
そんな所で、人が生きていられるだろうか?
やがて、一瞬の静寂の後、一際大きな破壊音が響き渡ると、その後は何の音も聞こえて来なくなった。
どれくらいその状態で待っただろう。真言は恐る恐る梓に聞く。
「終わった……んでしょうか?」
「恐らくそうでしょう」
梓は答えつつ、校舎の方を向いた。
「ほら、カレンさんが出て来ましたよ」
梓の視線を辿り、真言は昇降口へと視線を向ける。
そこには、ロボと三匹の黒狼を従え、悠々とこちらに向かって歩いて来るカレンが居た。
「梓さん。まだここに居たの?」
「ええ、夕凪さんが高坂さんを心配されて、残りたいとおっしゃったので」
「ふーん」
「な、なんですか……?」
カレンはただ興味の無い理由だったので、聞き流したに過ぎない。
しかし、その反応を深読みした真言はたじろいだ。
「そ、それで、高坂さんは無事なんですか?」
「無事よ。ほら」
カレンが黒狼の背に乗せられ、左右を別の黒狼に支えられる真一を指し示すと、その有様を見た真言が悲鳴を上げた。
「な、な、何ですか? どうなっちゃってるんですか? 全然無事じゃないですか!」
「ウッサイわね。アンタ」
「だって、これ、生きてるんですか?」
触れて確かめる事すら躊躇われる。
あまりに凄惨な姿に、真言は恐る恐るカレンに尋ねた。
「無事だって言ってんでしょ! アンタ、人の話聞いてんの?」
「だって、どう見たって無事じゃないじゃないですか!」
「派手に汚れてるだけで、傷なんて、一つも無いわよ!」
「え?」
カレンの言葉に真言は、視線を真一とカレンの間で何度も往復させる。
派手に汚れていると言うが、制服姿だったはずなのに、上半身はそれが元々服だったかも怪しいような布片が引っかかっているだけで、ほとんど裸だ。
そして、全身を赤黒く汚すのは血で間違いない。
だったらこれは返り血だろうか?
これほどボロボロになりながら、傷一つなく、全身を汚すのは相手の返り血、そんな事有り得るのだろうか?
真言は不信感丸出しの表情で、真一の体を見て考える。
「そんなに気になるなら、ほら、そこに水道があるから、水ぶっかけてみればいいじゃない。コイツも目が覚めるでしょうし、ちょうどいいわ」
「何て事言うんですか! そんな事しません! させませんよ!」
「気にしてたのはアンタでしょうが!」
あんまりなカレンの提案に真言が怒り出し、二人の言い合いが始まった。
「お二人とも、その辺りでお止め下さい。もう真夜が明けてしまいます。血まみれの高坂さんを見られては誤魔化しが困難ですので、一旦、ホームに引き上げましょう」
状況が状況である為、すぐに梓が仲裁に入り、二人に状況を思い出させる。
「フン! ソイツはアタシが黒狼に乗せて行くわ」
「私も行きます」
さっさとその場を去ろうとするカレンに、真言は同行を申し出た。
「何で?」
心底不思議そうなカレンを見て、真言は虚を突かれ、言葉に詰まる。
「な、何でって……。えっと、高坂さんは私を逃がす為に、こんなになっちゃったんですから、私には高坂さんの無事を確認する義務があると言うか……」
真言は狼狽え、頬を赤くしながらも懸命に理由を説明する。
しかし、カレンには通用しなかった。
「無いわよ、そんな義務。コイツがこんな風になったのは、コイツが自分の能力を正しく認識出来て無くて、状況判断を間違ったから。それで、その結果に責任を取ったからよ。アンタが原因ってわけじゃないわ」
一見、真言を庇う発言に聞こえるが、真言には関わるなと突き放されたように感じた。そして、爆発的に、反発する感情が沸き上がる。
「あるんです! 絶対、ついて来ますから!」
理屈では無く、感情で反論する真言を見て、カレンは呆れたように鼻を鳴らすと背を向けた。
「あっそ。勝手にすれば?」
「あ、ちょっと―――」
カレンは真言の制止を無視してロボに跨ると、真一を乗せた黒狼を従え、あっと言う間に去って行ってしまった。
その背を見送る事しか出来なかった真言は、宙に伸ばした手を虚しく降ろす。
「あ、ああ、行っちゃった」
肩を落とす真言の横で、梓はいつの間にか無線機を取り出し、誰かと交信していた。
通信が終わり、真言に向き直る。
「夕凪さんは私がお連れしますので、大丈夫ですよ」
「ほ、本当ですか?」
肩を落としていた真言は梓の言葉で復活する。
「はい。元々、お連れする予定でしたし、こういった事態ですから、夕凪さんにもお聞きになりたい事があるでしょう? 私達からもお伝えしたい事がありますし、ご一緒しましょう」
「ぜひっ! お願いします」
真言は元気に頷くと、梓と一緒に校門へ向かってと歩き出した。




