1-12 絶望と暴走
真言がバリケードを抜けた為、バリケードを崩す事を心配しなくて良くなった真一は戦い方を変えた。手に持った椅子で殴りつけるのではなく、バリケードを形成する椅子や机を片っ端から投げつけだしたのだ。
バリケードは徐々に崩れ、真一の逃走経路が徐々に出来上がって行く。反対に投げつけた椅子や机は、ただダメージを与えるだけでは無く、屍鬼にぶつかった後は前進を阻む障害物になり、積み重なれば最終的に新たなバリケードが出来上がるはずだ。
「まあ、考えたわね」
しかし、紅子は感心したようにするだけで、その笑みは変わらず、新たな手を打ってくる事も無い。
「あの子が逃げて、少し希望が見えたのかしら? 自分が死んでも、あの子が逃げる時間を稼いだのだから意味があった、なんて考えているのかしら? もしかして、本当にあの子が助けを呼んでくる、なんて事まで考えてたりはしないわよね?」
「そこまで楽観主義じゃねぇよ」
「そう? でも、私は意地悪だから、元気になったあなたの希望を打ち砕きたくてうずうずしてしまうの。希望は大きい方がいいわ。それが破れた時の落差が大きくて、より絶望が深くなるもの。だから、もっと楽観してちょうだい」
うっとりとする紅子に真一はうんざりする。だが、このまま紅子が何もしなければ、この窮地だけは抜けられそうだ。そうすると、紅子のこの余裕の理由が気になってくる。二度も襲うほど執着した獲物が目の前から逃げようとしているのに、どうしてこれほどの余裕を見せる?
「気になっているみたいだから、少~し絶望を上げようかしら。少しだけ。こういう事はゆっくり、徐々に、真綿で首を絞める様に、追い詰めていく事が重要なのだから」
紅子は本当に楽しそうに、ゾッとする程の笑顔を浮かべる。
「校門の前で、突然大量の駒が現れたのは何故かしら?」
駒とは屍鬼のことだろうか。
だとしたら、人の姿をしていても、眷属鬼である紅子にとって、屍鬼はただの駒、という事だろう。
「知るかよ! 俺達をすんなり学校に引き込みたかったからだろ!」
「ええ。それもあるわ。でも、それだけじゃないの。あの先に何があるのだったかしら? ―――確か、あなたの頼りにしている連中の拠点があるのではなかったかしら?」
つまり、あの時現れた屍鬼たちはホームを狙っている?
「あいつらが、あの程度にやられるかよ。公園でやられたのを忘れたのかよ」
確信も自信も全くない、はったりだ。真一は御幸達の戦力がどの程度なのかを知らない。カレンは紅子を追い詰めたそうだが、その戦いの状況も内容も、その時と今とではどちらがマシなのかも知らないので、無理も無い。
「そうね。あの程度で殺せるほど甘い連中では無い事は、私が一番分かっているわ。でも、足止めにはなるでしょ? それに、その拠点には今、誰が向かっているのだったかしら?」
「お前!」
「彼女はどうするかしら? 諦めるかしら? でも、それでは面白くないわね。―――そうだ。道を空けてあげましょう。そして、ある程度進んだところで、一気に包囲してしまいましょう。ああ、好みでは無かったけど、その場面は見てみたかったわ」
「くそっ!」
やはり、真言を行かせた事は失敗だった。勿論、普通に逃げたからといって助かったかは分からない。ただ、こうして相手の手の中で確実な死を告げられる事は無かったはずだ。
真一には罵る事しかできない。
「次は、あなたの事なのだけれど、この場を切り抜けたら助かると思っているかしら? でも、今教えてあげた通り、あの子は奴らの所にはたどり着けないから、何時ここの異変に気付くかしら? もし気づいても、私が大量に放った配下を退けてここに辿り着くのは何時? それまで無事でいられる自信はあるかしら?」
新たなバリケードは順調に出来上がっており、既に真一に直接、屍鬼が接触できる隙間は無く、間もなく元のバリケードを抜ける事が出来るところまで来ている。
だが、その作業が無事に終わったとしても、真一が真言に追いついて、助けてやる事は出来ないだろう。それでも、真一は懸命に作業を続ける。少しでも早く済ませれば、それだけ様々な可能性が高まるはずだ。
そう信じて折れそうな心に活を入れる。
「ああ、まだ諦めていないのね。あなた、最高だわ」
真一からは姿は見えないが、紅子の恍惚とした声がバリケードの向こうから聞こえて来た。
そして、遂に真一はバリケードを抜けた。
目の前に広がる、遮るもののない廊下を真一が駆けだそうとしたその時―――
「そんなあなたに、私から最後のプレゼントよ」
―――バリケードから階段までの間に並ぶ、全ての教室の扉が開き、大量の屍鬼が廊下を埋め尽くす勢いで現れた。
「ああ……」
今度こそ、真一は地面に膝をついた。
絶望に打ちひしがれ、膝を折った真一、すぐ横に何の障害でもない、とでも言うようにバリケードを飛び越え、紅子が現れる。
「お疲れ様。必死に抗うあなたは最高だったわ。でも、ここまでね。後は、嬲って絶望を深めて、美味しくいただくわ」
紅子はバリケードから椅子を一脚取ると、それに腰掛ける。
公立高校の規格品である椅子に、ドレスで着飾った紅子が座ると違和感が物凄いが、そんな事を気にする人間はここには一人もいない。
紅子が見物する前で、膝をついた真一の元へ屍鬼がゆっくりと近寄って来る。
奴らに捕まった時が、真一の最後だ。
真一は膝をついたまま、自らの命を脅かす連中を、ぼんやりと眺め、考える。
真言を助けるつもりで助けられず、自ら鬼の用意した舞台に上り、いいようにされて、最後に嬲り殺されるのか。
これでは、あの夜の結末と変わらないではないか。
そもそも、真言については助けるどころか、こんな敵の用意した舞台に連れて来て、余計な事をしたものだ。声などかけずに放っておいた方が良かった。
なぜ、真言に声をかけたのだろう?
真一は自らに問いかける。
突然の異常事態にオロオロと狼狽える真言を見ていられなかったからだ。
同情心だろうか?
ただあの時、目の前で泣きそうになっている少女を見ていると、心がざわつき、放っておけないという思いが沸き立ったのを覚えている。
そして、そんな気持ちを真一はよく知っていた。それは、もう失ってしまい、二度と手に入らないので、忘れようとしていた気持ちだった。
二月程前まで真一には妹が居た。
妹と真言は特別似ているという事は無いが、中学三年生という点と、目ばかりが大きい所は少し似ている。
小さい頃、泣き虫だった妹を慰めるのは真一の役目だった。流石に中学生になってからはそうそう泣く事は無くなっていたが、悲しい事や辛い事があると真一を頼って来て、耐えられずに涙が零れた時には、やはり泣き止むまで慰めていた。
だからだろうか。真一は女性の、特に年下の涙が苦手だ。目の前で泣かれると、なんとかして泣き止まそうとしてしまう。
そして、真一をそんな性格にした妹は両親と共に帰らぬ人となった。
真一は真言に妹を重ねていたのだろうか?
そうかもしれない。
突然、失われた大事な物を、自分の行動で救えるとしたら、行動しない理由があるだろうか?
勿論、真言と妹は違う。しかし、そんな理由で一度は助けようとした相手を、この程度の絶望で諦めていいのか?
「……いいわけが無い」
真一が小さく呟く。
「あら? 気力が戻ってきているわね。まだ諦めないの? もう一度心を折ってあげてもいいのだけれど、これ以上、時間をかけると流石に危ないから、さっさと済ませて貰おうかしら」
真一の変化に気が付いた紅子が椅子から立ち上がろうとするより早く、跪いた真一は顔を上げ、跳ね上がるようにして屍鬼の群れに飛び込んだ。
「ああ、驚いた。何をするかと思えば、苦し紛れの特攻とはがっかりね」
紅子は浮かしかけた腰を再び椅子に下ろし、真一の最後のあがきを観戦する構えだ。
「せいぜい抗ってちょうだい。その最後の抵抗が終わるまで、あなたの気力が尽きるさまを、美味しくいただかせて貰う事にするわ」
余裕の笑みを見せる紅子だったが、真一の尋常でない様子に、徐々に表情が驚きに変わって行く。
屍鬼たちの群れに突っ込んだ真一は、理性と言うものが無くなったかのように暴れまわっていた。
動きが緩慢といっても、屍鬼たちの力はかなりのものだ。そんな屍鬼たちに捕まれたまま、腕を振り回し、前進を続けるのだから、肉は抉れ、体中の筋が過負荷に悲鳴を上げる。掴まれた髪や服が引きちぎられるのも構わず、前だけを目指す。
そんな事をしているのだ。服は破れ去り、真一の全身が血に染まるのに時間はかからなかった。
しかし、体中に刻まれる傷は徐々に治っていく。
そして、治る端から新たな傷が刻まれる。ただ、その傷の治癒速度はその前に刻まれた傷が治る速度よりも早い。
やがて、治癒速度が傷を刻む速さを上回り、真一の体から一切の傷が消えた。目で見てわかるものではないが、おそらく、痛めた筋さえも治っており、真一の体は完調な状態になっている事だろう。
そして、負傷を恐れず前進を続けていた真一は、あと少しで屍鬼たちの包囲を抜け、階段に到達出来そうな位置まで来ていた。
「……はっ! な、何をしているの。引きずり倒せないなら、数に任せて押しつぶしなさい。動きさえ封じたら何も出来はしないわ。そうしたら、私が直々に首をねじ切ってあげるから」
壮絶な真一の暴走に呆気に取られていた紅子は、包囲が突破されかかっている状況に気が付くと、新たに指示をだす。
紅子の指示を受けた屍鬼たちは、手で摑まえるのを諦め、次々と真一に抱き着くようにしてのしかかって来る。真一だけでなく、仲間の屍鬼の上にも構わずよじ登り、瞬く間に真一を中心とした屍鬼の山が出来上がる。
最終的に、屍鬼の山はバリケードと同じくらいの高さになり、その成長を止めた。
一番下になっている真一には一体どれほどの重量がかかっているのだろうか。
「まったく、驚かせてくれるわね」
紅子は屍鬼の山の下敷きになり、かろうじて顔だけが見えている状態の真一の前でほっと息を吐く。
真一は力のおかげか、圧死こそしていなかったが、白目をむいて気絶していた。そして、屍鬼の山の中から、ボキボキと骨の折れる不気味な音がずっと聞こえてくるので、骨折と再生を繰り返しているのだろう。意識があったら発狂していてもおかしくない状況だ。
「本当に人間かしら……」
そんな真一に、流石の紅子も気味悪げに顔を顰める。
「でも、これで終わりね。流石に首をもがれて生きている人間は居ないわ」
紅子は首を引き抜くため、真一の頭に両手をかけた。




