1-11 反転
「さ、これで教室の扉、バリケード、昇降口、校門と四重の安全策の完成だよ。外からここに来ようとしたら、結構大変だよ」
紅子は満面の笑みを二人に向けた。
「それだけ備えがあれば、取りあえずは安心だな」
「そうだね。フフフッ」
真言は紅子の様子が少し変わったように思ったが、紅子の事をよく知っているわけでは無い為、少し引っかかりを感じたが、そこまで気にしなかった。
「取りあえず、これで落ち着いて話が出来るわけだ。―――緊急事態だったから、自己紹介もまだだったね。俺は高坂真一。豊ヶ原高校の一年だよ」
真一は誠に向き直り、自己紹介をした。
「私は榊原紅子。高坂君と同じで豊ヶ原高校の一年で、高坂君とはクラスメイトだよ」
「あ、私は夕凪真言です。崇化館中学校の三年です」
「真言ちゃん三年生だったんだ。ごめん、もっと下だと思ってた」
真言は背が低い訳ではないのだが、スレンダーな体形と、顔のパーツが全体的に小さいくせに目だけが大きく、幼く見られがちだった。よく言われるのだが、真言自身は気にしている事なので、小さくショックを受けた。
「それで、委員長はあの後どうしてたの?」
「あの後? ああ、公園で高坂君と別れた後は、怖い人たちに追っかけ回されて、逃げてたんだけど、怪我とかしちゃったから、なんとか振り切ってずっとここで傷が治るのを待ってたんだよ」
「怪我って大丈夫なのか?」
真一はあの日、紅子と公園の前で別れたのだが、単なる言い間違いだと思い、深く気にせず会話を続る。
「うん。もう平気だよ」
「そうなんだ。実は俺もあの後、外に居るような連中に襲われてたんだ」
「へぇー。それにしては平気そうだね」
「ああ、助けてくれたヤツがいて、なんとかなったんだ。で、これから話すのはその助けてくれた連中から聞いた話なんだけど、この状況についての話だから、夕凪さんもそのつもりで聞いて。……すぐには信じられないかもしれないけど―――」
真一は御幸から聞いた話を二人にかいつまんで説明した。
「―――って事なんだ。信じられないかもしれないけど、急に夜になったり、街から人が居なくなって、異常な連中が襲い掛かって来るなんて普通じゃない。今はこの話を信じて行動した方がいいと思う」
「わ、私は信じます。それだけ今の状況に合った説明が出来るなら、全くの嘘だとは思えません」
「うんうん。で、高坂君はこれからどうするつもりなの?」
真言は両手で拳を握り、胸の前で上下させながら興奮した様子で言う。こんな状況なのに、なぜか目がキラキラしてるように見える。
一方、紅子の反応は随分軽い。
真一は、まるで既に知っている事を聞いたような、興味の薄い紅子の反応に違和感を覚える。そう言えば、こんな状況で一週間も一人で耐えていたにしては、初めから紅子には追い詰められた様子がまるでない。
違和感はあるが、それだけだ。真一は内心首を傾げつつ、今後の予定を話し始める。
「実は、その俺を助けてくれた連中の拠点がこのすぐ近くにあるんだ。だから、フェンスを越えるなりして、そこに行ってみようと思ってる。……ただ、これは俺一人で行く。ここならすぐにどうこうなる事は無いと思うから、二人にはここで立て籠もって、俺が助けを呼んでくるのを待っていて欲しい」
「う~ん。真夜の中には引きずり込んだ人しか居ないんじゃないかな?」
「その連中は、少なくとも俺を助けてくれたヤツは、真夜に自力で出入り出来るって言ってたから、たぶん大丈夫だと思う。もし居なかったら、一旦、俺が真夜の範囲を出て、現世に戻ってから助けを呼びに行くよ」
「う~ん、そっかー」
真一の決意に対しても紅子の反応は鈍い。
やはり少し様子がおかしい、と真一は改めて思い、眉を顰める。
そんな真一の袖を控えめに真言が引いた。
「ん? どうしたの?」
「あの、ちょっと」
真言は袖から肩へと手を移し、屈むよう、引っ張る。
真一が疑問符を浮かべつつ、素直に屈むと、真言は真一の耳に口を寄せる。
「あ、何々? 内緒話?」
紅子がお道化たように言うのを無視して、真言は声を潜めて囁く。
「高坂さん。さっきから榊原さんの様子に違和感を感じてたんですけど、さっき真夜に引きずり込んだ人って言いましたよ。ただの言い間違いかもしれませんけど……」
真言に言われて真一も気づく。確かに引きずり込んだ人と言っていた。そして、それまでも態度、言葉の端々に違和感があった。それがどういった理由かは分からなかったが、真夜に人を引きずり込むのは鬼側の話だ。
真一の顔色が目に見えて青くなる。
「あら、バレてしまったかしら?」
紅子は誤魔化す気も無いのか、顔からお道化たような笑みが消え、人を見下すような冷酷な笑みに変わる。それに伴って、口調も傲慢なものに変化した。
「まあ、全く隠す気などありませんでしたから、当たり前ですけど。むしろ、ようやく、と言うべきかしら?」
雰囲気をがらりと変えた紅子を見て、呆気に取られる二人に対して、芝居がかった仕草でスカートを軽く持ち上げ、略式のカテーシ―をして見せる。
「改めまして、ごきげんよう」
紅子が腕を一振りすると、飾り気のない豊ヶ原高校の制服は、胸元が大胆に開かれた真っ赤なドレスに変わり、黒く艶やかなストレートロングヘアは、頭頂から血をかぶったように赤く染まっていく。顔立ち自体は変化していないにも関わらず、その姿で傲慢に笑うと元の気さくな委員長の面影は一切無くなってしまう。
「この姿で会うのは、あの夜以来ね」
血で濡らしたような、白い肌に映える鮮やかな赤い唇を歪めて、紅子は真一に笑いかける。
真っ赤に染まるその姿を見て、真一は理解した。
最初に違和感をはっきり感じた原因である、言葉は言い間違い等では無く、正しかったのだ。
確かに、彼女とあの日別れたのは、公園の前で、ではなく、公園で、だった。
真一は自分を一度死の淵まで追い込んだ『赤い女』と再会してしまった。
「ずっと、俺を騙してたのか?」
「騙していたとは人聞きが悪いわね。私はちゃんと委員長としてあなたをサポートしていたつもりよ。演技で獲物を誘い込む様なはしたない真似なんてしないわ」
「俺達を助けるふりをしてここまで誘い込んだじゃないか」
「ああ、それを言われると弱いのだけど、あなたの周りにずっとブンブン五月蠅いハエが集っていたから、少し切り離したかったのよ。美学に反するのはこの際、仕方のない事。私も我慢するから、あなたも我慢しなさいな」
真一には紅子の言うブンブン五月蠅いハエというのが誰の事だか分からなかったが、鬼である紅子が警戒する相手だ。御幸の仲間の越境者―――もしかするとカレンかもしれない。
「それはともかく、そろそろ始めさせて頂こうかしら」
紅子は何かの合図のように、肩の高さで掌を打ち合わせる。
乾いた拍手が二度鳴ると、教室前方の引き戸が外から開かれ、足取りの覚束ない屍鬼がわらわらと入って来た。
「なっ!」
「あら、何を驚いているの? この場所は私が用意したのだから、配下を用意しているなんて当たり前の事。驚く必要はないでしょう」
確かに紅子の言う通りだ。急展開で考えが上手く纏まらないが、相手の用意した舞台で相手に有利な物が用意されているのは当然の事だ。
真一は冷静さをある程度取り戻すと、取りあえず、この状況から脱出する為の行動に移る。
「夕凪さん! 逃げるよ!」
「は、はい!」
紅子の変貌に思考停止していた真言は、真一の言葉ではっとして、頷く。
二人は教室が鬼でいっぱいになる前に、鬼が入って来るのとは別の、教室後方の戸に向かう。
「あ、クソ! 鍵がかかってる」
「フフフッ、さっき目の前でかけていたじゃない」
「緊急事態だ!」
「キャッ!」
嘲る紅子に構わず、真一は引き戸を蹴り飛ばす。引き戸は二枚とも鍵が掛かったまま、レールから外れ、廊下側に倒れた。引き戸に嵌ったガラスが割れる甲高い音が響き、真言が身を竦めて小さく悲鳴を上げる。
真一は真言の手を取ると、急いで廊下に飛び出た。
「何て数だ!」
廊下に出て真一が見たものは、隣の教室から次々と現れ、廊下いっぱいに溢れる屍鬼の群れだった。その全員が最短距離である教室前方の戸に殺到しており、まだ距離があったのは幸いだったが、引き戸を蹴破った音で二人が廊下に出て来た事に気づき、まっすぐ廊下を進んでくる。
真一たちのすぐ後ろのはバリケードがある。紅子が正体を現すまでは安心の材料だったそれは、現在、二人の逃走を阻む壁となって立ちはだかる。
真一は覚悟を決め、一番近くに積んである椅子を手に取って構えた。
「夕凪さん。俺がここで時間を稼ぐから、何とか逃げて」
「え? 高坂さんはどうするんですか?」
「さあ? 何とかなるなら、なんとかしたいんだけど、無理かな? まあ、こんな状況になったのは俺が連れてきちゃったのが原因だし、責任は取らないとね」
「そんな……!」
真言の表情が悲痛に歪むのを見て、逆に真一は笑う。
「最後まで面倒を見てあげられないのは申し訳ないけど、ここだけは何とかするから、行って」
真言は真一の腕を取り、プルプルと首を振る。
「迷ってる時間は無いんだ。―――早く行って!」
真一はわざと乱暴に腕を振りほどき、真言をバリケードの方に押しやると、近くまで寄って来ていた屍鬼を椅子で殴り飛ばす。
「さっさと行け!」
まだ躊躇っている真言を怒鳴りつけ、次々と標的を変えて殴り飛ばす。
真一の鬼気迫る様子に、真言は遂に決心したようで、四つん這いになって、バリケードの下に潜り込んだ。
「あらあら、一人逃げ出しちゃったわね。でもいいわ。あんな子は好みじゃないもの」
紅子は自分で直接、真一を襲う気は無いようで、引き戸の無くなった教室の出入り口から二、三歩離れた場所から、真一の奮闘を観戦している。
「私の狙いはあなた。家族を一度に失い絶望しても尚、最後の最後で折れも歪みもしない心。自身の死に際でも私を睨みつけるその精神。嬲って嬲って追い詰めて、ギリギリ繋ぎ止めるそれが、死と共に消える瞬間。それを見るのが私の望み。―――ああ、堪らないわ」
「こ、の、ド変態がっ!」
「なんとでも言ってちょうだい。私はそれが無いと生きていけないのだから仕方がないでしょう?」
「生粋かよ!」
真一は紅子の様子に注意を払いながらも、包囲網の密度を上げていく屍鬼を殴り続ける。
「勘違いしているようだから、訂正しておくわ。私達が人を襲って得るのは、精神的な充足感。でも、それは遊びでは無く、人間でいう所の食事にあたる行為なのよ」
「だから、大人しくやられろって?」
「いいえ? 私は目一杯、抵抗された方が燃えるもの」
「この、ドSがっ!」
紅子を罵る言葉と共に、手に持った椅子を屍鬼の一団に投げつける。
公園で襲われた時は全方位から襲い来る屍鬼になす術も無く、やられてしまった。しかし、今はバリケードを背にすれば背後を気にしなくても良い。又、廊下である為、相手は左右に広く展開する事も出来ない。窮地ではあるものの、前回よりは大分マシな状況と言えなくも無い。
しかし、そうそう楽な状況は続かず、すぐに鬼たちは廊下だけでなく、引き戸が無くなり、全開状態になっている後方の出入り口からも迫って来るようになる。ただ、後方の出入り口については紅子の視界を妨げないようにしているようで、廊下から来る奴らより密度が薄く、なんとかまだ押し切られずにいられた。
「高坂さん! バリケード抜けました! 私、何とか助けを探してみます。何処に行けばいいですか?」
バリケードから新しい椅子を抜き、真一が応戦していると、ようやくバリケードを抜けた真言が大声で問いかけて来た。
「そんなこと気にせず、自分の事だけ考えて、逃げろ!」
「ダメです! それじゃあ、私、逃げません! もう一度、バリケード潜ってそっちに戻りますよ?」
バリケードを抜け、取りあえずの危機を脱して気が大きくなったのか、真言が変な正義感を出して、真一を困らせる。
「ああ、クソっ!」
「高坂さん!」
「近くに運動公園があるだろ? そこの北側に建ってるレンガ色した六階建てのマンション、そのペントハウスだよ!」
「わかりました! 待ってて下さい。絶対に呼んで来ますから!」
真言はそう言うと全力で走り去った。
こうなったら、無事を祈る他ない。希望的観測を述べれば、ホームの目と鼻の先で真夜が現れたのだ、御幸達が気づき、既に対応に出ているかもしれない。そして、その拠点であるホームに向かうのであれば、真言を追う屍鬼の動きに気づいた御幸達が彼女を救ってくれるかもしれない。
そう自分に言い聞かせると、それ以上、真言の事を考えるのを止めた。




