1-10 行方不明のクラスメイト
真一と少女が駆け込んですぐ、その背後で勢いよく金属音を響かせて門扉が閉じられる。
後ろを振り返れば門扉の格子の隙間から、屍鬼たちが手を差し入れ、逃した獲物を求めて宙を掻いているのが見えた。
タイミング的に間一髪という程では無かったが、状況的には絶体絶命に近かった。
「高坂君も無事だったんだね。良かった」
伸ばされる屍鬼の手を避けながら、門扉のロックをかけていた女生徒が真一に向かって微笑む。
「そっちこそ、無事だったんだな。委員長」
そう。真一たちを救ったのは行方不明だったクラス委員長の榊原紅子だった。
「この状況を見れば大体わかるけど、あの日、何があったんだ?」
「えっと、お互いに聞きたい事があると思うけど、取りあえず、ここ離れない? あいつら見える所に居ると、いつまでも襲って来ようとするから、ひょっとしたら門が持たないかもしれないし」
「ああ、お互い話したい事もあるだろうし、どこか安全な所があるなら、そこに行こう」
「うん。校舎に入れるから、取りあえず教室に行こうか?」
そう言うと、紅子は校舎に向かって歩き始めた。
紅子に続き、真一と少女も歩き出す。
「あの、あの人がこの状況に詳しいって人ですか?」
それまで黙って紅子と真一の会話を聞いていた少女が、小声で真一に尋ねる。。
「いや、それとは別の人で、俺のクラスメイトだよ。ただ、彼女は先週の金曜日から行方不明になってて、たぶんずっと真夜―――この変な状況で奴らから逃げてたんだと思う。それだけ長期間無事だったんだから、彼女が安全だって言う場所なら安心なんじゃないかな」
「金曜日って、一週間前じゃないですか……よく無事でしたね」
「ああ、俺も驚いてる」
少女は目的の人物ではないと聞いて落胆しかかったが、紅子がこの状況で一週間も逃げ延びていると聞いて驚き、先を行く紅子に同情するような視線を向けた。
紅子は真一と少女が昇降口を潜ると、内側から扉に鍵をかける。
下足室で真一は一瞬、靴を脱ごうとしたが、逃げる時の事を考えて止めた。少女も同じ事を思ったのか、靴を脱ぐのを躊躇っている。
紅子はと言えば、そんな二人の様子を気にもせず、その横を通り抜けると躊躇いなく、土足のまま校舎に上がり込む。一週間も自力で生き延びたのは伊達ではないようだ。
それを見て、二人も土足で校舎に上がる事にした。
無言で二人を先導する紅子は特に周囲を気にする風も無く、校舎内を教室に向かって進む。
「なあ、奴らは学校の敷地に侵入してこないのか?」
「うん。今のところ大丈夫だよ。ずっと観察してたんだけど、人の姿が見えないとウロウロしてるだけだよ。それに、校門でもそうだったけど、扉を開けたり、フェンスをよじ登るような事はしないみたい。ただ、力は強いから、フェンス越しに挑発とかしてると、その内壊しちゃいそうな感じだったから、見つからないようにはした方がいいかな?」
「委員長、そんな事してたのかよ……」
呆れる真一に紅子は「ははは」と笑って誤魔化した。
階段を上り、一年の教室が並ぶ四階に辿り着く。
「これは……」
「すごい……」
「結構苦労したんだよ。一人でいっぱい机運んだりして、大変だったんだから。ただ、まだこれが役に立ってる所は見たことないから、実際役に立つかはわからないんだけどね」
廊下には教室で使っている机や椅子が絡み合うように積み上げられ、バリケードを形成していた。
「役に立つ場面は追い詰められなきゃ見れないんだから、見れなくてもいいだろ」
「まあね。冗談だよ。―――ついて来て、通れる場所は一か所だけだから」
そう言うと、紅子はバリケードの前で四つん這いになる。
「あ、順番は私、高坂君、えっと……」
「あ、真言です。夕凪真言って言います」
「ありがと。順番は私、高坂君、真言ちゃん、でお願いね」
「何で順番の指定なんてするんだ?」
「だって、私は先導しなきゃだし、スカート丈長いから平気だけど、真言ちゃんはスカート短いから、四つん這いになったら危ないでしょ?」
「な、なるほど」
納得の理由だったが、気まずい空気が流れる。
真一は何も感じていない風を装って、視線を逸らし、真言は顔を赤らめる。
「はいはい。やってない、ちゃんとついて来てね。変なとこに詰まると出られなかったり、最悪バリケードが崩れて下敷きだよ」
弛緩した空気を凍らせる事を紅子が言うので、二人は慌てて四つん這いになり、紅子に続いてバリケードの下に潜り込んだ。
結構な厚みのあるバリケードを抜けると、そこは真一と紅子が在籍するクラスの教室前だった。廊下の先、隣の教室を越えた位置には今潜ったのと同じようなバリケードがもう一つあり、教室二つを隔離し、廊下のどちらからも侵入出来ないようにされていた。
「さ、入ろう」
紅子は二人を教室に招き入れると、教室の扉に鍵をかける。
教室の中はバリケードに使った為だろう、机と椅子は一つも無く、ガランとしていて、いつもより広く感じる。
「さ、これで教室の扉、バリケード、昇降口、校門と四重の安全策の完成だよ。学校の外からここに来ようとしたら、結構大変だよ」
紅子は満面の笑みを二人に向けた。
◇◇◇
時は少し溯り、放課後になってすぐ。
カレンはホームがあるマンションの五階、彼女が貸し与えられている部屋の一室に居た。豊ヶ原高校の飾り気のない紺のブレザーを上から順番に全て脱ぐと、手早くハンガーに掛けていく。
下着姿のまま、ウォークインクローゼットに向かい、お気に入りのパニエを手に取るが、少し考えて黒のショートパンツに変更。そこからはショートパンツに合わせて、ノースリーブのブラウス、サマーニットのロングカーディガンを手早く身に纏う。
「よしっ!」
姿見で出来栄えを確認し、気合を入れると自室を出て、マンションの階段を駆け上がる。
「御幸。今どんな感じ?」
カレンはホームのリビングに入ると、オペレータよろしく携帯に繋がったヘッドセットを装着して、PCの前に座る御幸に声をかけた。
「梓さんが張り付いてるけど、まだ反応は無いみたい」
御幸が座る席に設置されているPC画面には、所々にバツ印と日付が付いた市内の地図が表示されている。
「今回の鬼は周期的に獲物を狙うタイプだと思ったんだけど、この間の件で街を離れたのか、私たちの予想が違ったのかもしれないわね」
地図に表示された日付はいずれも金曜日のもので、その内の一つは先週、場所は真一が襲われた公園だった。つまり、これは鬼が人を襲った日と場所で、地図上に表示された無数の印の数だけ人が襲われたという事だ。
「まだ日が高い。今日、現れなかったら、それはその時に考えればいいのよ」
「そうね。彼が人気の少ない所を過ぎて、駅に続く大通りに出たから、万全の体制を整えたのに予想を外したかもって弱気になってたわ」
そう言いながら、最初から御幸はそれほど残念そうに見えなかった。
「御幸。アンタ、本当は予想が外れててくれた方が良い、なんて思ってんじゃないの?」
「……そうは言わないけど、ね」
自嘲するように笑う御幸に対し、カレンは眉根を寄せる。
「アンタ―――」
「違うわよ。―――事前にここまで準備を整えて鬼を迎え撃てる機会なんてそうそう無いんだから、上手くいけばこれ以上被害を出さずに事が収まる。成功を望みこそすれ、失敗なんて冗談じゃないわ」
そう言いながら、やはり御幸の表情は晴れない。
「ただ、こんな風に彼に黙って、囮に使うような真似は気が引けるだけよ。それに、本家のやり方に反発してた私がこんな事するなんて、これじゃあ本家のやり方の有効性を認めてるみたいじゃない」
思った以上にナーバスになっている御幸に対して、カレンは慰めるでもなく、いつもの調子で鼻を鳴らす。
「だったら何よ。アイツに全部伝えるの? 鬼にも好みがあるから、一度狙った獲物はそうそう変えないって。アンタは狙われている可能性が高いから、覚悟を決めろって言う? アタシは別にいいわよ。アイツだって自分の命がかかってるんだから、協力するしか無いって思うだろうし、アタシたちはコソコソする必要も無くなるんだもの」
「それだと彼が日常に戻れなくなるわよ」
「そんなの御幸がそう思ってるだけよ。真夜なんてものがあって、鬼が人を襲ってるって知ろうが、越境者としての力が増そうが、関係ない。戦いを選ぶ奴は戦うし、日常に帰りたい奴は勝手に帰るわよ」
「でも、私たちは帰れなかった」
「帰らなかったのよ。少なくともアタシはそうよ。きっと龍二も」
二人の間に沈黙が下りる。
こんな話をするのは初めてではない。元から鬼の討伐を生業とする者ではない、一般人が関わると御幸は変に情報制限をしたりして、秘密裏に事を治めようとする。カレンから見ればそれは徒に事態を複雑にするだけで、何の意味も無い事だ。
変に隠すから話しても信じて貰えないし、ガードするにしてもコソコソやらなくてはならず、面倒臭い事この上ない。
だから、知りたい奴には面倒でない範囲で教えてやればいい。変に隠す必要が無くなれば、こちらもやり易く、その方が守られる方だって生存率が上がるはずだ。
御幸は認めないだろうが、結局、これは御幸の個人的な感傷に過ぎず、自己満足でしかないのだ。
カレンは不毛な会話に見切りを付け、今やるべき事に気持ちを切り替える。
「まあ、いいわ。アタシも現場に向かうから」
「……今はここのドラッグストアに居るわ」
「結構遠いわね」
カレンは地図を見て、御幸の差すドラッグストアの位置を確認すると、踵を返す。
「あ、そうだ。御幸」
部屋を出て行こうとしたカレンが立ち止まり、顔だけ振り返った。
「アンタ、今回の鬼が誰だったかアイツに言ってないわよね?」
「……ええ。確実な話じゃないもの」
「ふーん。それって本当にアイツの為になってると思う?」
御幸は答えられない。
「アイツは狙われてるのよ? ほぼ確実に鬼に遇う。その時に知るのと、事前に知っとくのと、どっちがマシだと思う? ―――秘密主義もいいけど、そこら辺も含めて、一度よく考えた方がいいんじゃない?」
沈黙を続ける御幸を残し、カレンは今度こそ部屋を出て行った。
一人残された御幸はヘッドセットと眼鏡を外し、髪を掻き上げる様に目元を覆うと、天井を仰いだ。
「言える訳ないじゃない。―――君を襲ったのは、行方不明のクラスメイトよ、なんて」




