第7話:フローリスの得意なこと
「バカフローリス! なぜここは計算が合わないんだ! 指を使って数え直せ!」
「え〜、だってキアラちゃんに見つめられてるとドキドキして数字がゲシュタルト崩壊するんだもん。ねえ、ご褒美にキスしてくれたら計算合うかも……痛っ! ごめんなさい真面目にやります!」
執務室のデスクで、キアラの厳しい監視のもと、半ベソをかきながら(しかしどこか嬉しそうに)書類の書き直しに追われるフローリス。
その様子を少し離れた場所から見ていたキアラは、ふと疑問に思い、控えていた側近のそばへと歩み寄った。
「あの……側近殿。単刀直入に聞くが」
「はい、何でしょうか、奥様」
「フローリスは、その……元々、絶望的に仕事ができないのか? いくらなんでも、ヴェイン公爵家の末っ子にしては教養が偏りすぎているというか、公文書の扱いを知らなすぎるというか……」
いくら自分が好きだからといって、公的な予算案に「キアラへ贈る新作ドレス代」を計上するなど、正気の沙汰ではない。以前は側近に仕事を丸投げしていたとはいえ、あまりにも基礎が欠落しているのではないか。
キアラが呆れ半分で尋ねると、側近は深くため息をつき、静かに首を横に振った。
「奥様。誤解なきよう申し上げますが、フローリス様は決して無能ではございません。むしろ、ある一分野においては王国内でも比肩する者のいない天才なのです」
「天才……? あの男が?」
「はい。フローリス様の本来の得意分野は、領地経営の書類仕事ではなく『魔法』なのです」
側近の口から出た意外な言葉に、キアラは目を丸くした。
「魔法……? フローリスが魔法使いだなんて、初耳だぞ」
「ご存知ないのも無理はありません。フローリス様はご自身の才能をひけらかすことを好まれませんから。ですが、あの方は学生時代から王宮の魔法研究所に特別客員として招かれ、国の防衛結界の強化や、新しい治癒魔法の術式構築において、歴史に残るほどの多大な貢献をしておられます」
「王宮の研究所で……!? それは、相当な実力者ではないか」
「ええ。その圧倒的な実績と天才的な才能があるからこそ、大旦那様(フローリスの父)も、そして私ども側近も、彼が領地の書類仕事を『面倒くさい』と私に押し付けて昼間から遊び歩くのを、ある程度は目を瞑っていたのです」
側近は遠い目をして語った。
フローリスは「俺は堅苦しい机仕事より、女の子とお茶してる方が魔力が湧くんだよね〜」などと言って仕事をサボっていたが、いざ王宮から魔法関連の厄介な依頼が来れば、一晩で完璧な術式を組み上げてみせるほどの天才肌だったのだ。
「なるほど……だからあんなに自由に生きてこれたのか」
キアラは、デスクで「キアラちゃ〜ん、インク壺開けて〜」と甘ったれた声を出す夫を見つめた。
あんなフニャフニャした男が、実は国を支えるほどの魔法の天才。そのギャップに、キアラの胸の奥でほんの少しだけ「かっこいいかもしれない」という感情が芽生えかけた。
「……ですが」
側近が、冷ややかな声で言葉を継いだ。
「いくら魔法の天才であろうと、今書いているのはヴェイン領の重要な農業支援の決裁書です。そこに奥様の似顔絵を描き込むことの免罪符にはなりません」
「……全くだ!!」
キアラの芽生えかけた尊敬の念は、一瞬にして塵と消えた。
彼女はズンズンとフローリスのデスクへ戻ると、今まさに書類の余白にハートマークを書き込もうとしていたフローリスのペンを奪い取った。
「ああっ! キアラちゃん、今いいところだったのに!」
「言い訳無用! お前が魔法の天才だろうが何だろうが、公的な書類にハートを描くな! ヴェイン家の威厳が地に落ちるぞ!」
「えっ、キアラちゃん俺が魔法得意なこと知ったの!? かっこいい!? 惚れ直した!?」
フローリスは目を輝かせ、椅子から立ち上がってキアラの手を握った。
「よーし! じゃあキアラちゃんのために、今ここですっごい魔法を見せてあげる! 部屋中を君の好きな赤い薔薇でいっぱいにする、愛の魔法を——」
「バカモノ! 書類が濡れるだろうが! 魔法を使う暇があるなら手を動かせ!」
「ひえっ! すみません!」
キアラの雷が落ち、フローリスは再びシュンとして椅子に座り直した。
「……キアラちゃんが厳しすぎて、俺の魔力が枯渇しそう……」
「文句を言うな! 終わるまで夕食の肉はおあずけだからな!」
「そんな殺生なー!!」
魔法の天才であろうとも、愛する妻の前ではただのデレデレな男でしかない。
今日もヴェイン公爵邸の執務室には、キアラの張りのある説教と、フローリスの情けない悲鳴が響き渡るのだった。
* * *
それから数時間後。
窓の外がすっかり茜色に染まる頃、ついに最後の一枚に承認のサインが書き込まれた。
「……よし! 計算も合っているし、変な落書きもない! よくやったぞフローリス!」
「あ〜……死ぬかと思った……。キアラちゃん、俺もう指一本動かせない……」
デスクに突っ伏し、魂が抜けたようにぐったりしているフローリス。
そんな夫の金色の髪を、キアラは「仕方ないな」と笑いながら、わしゃわしゃと少し乱暴に撫でてやった。
「約束通り、今日の夕食は特大の肉料理にしてやろう。ほら、顔を上げろ」
「本当!? やったぁ! キアラちゃんに撫でられたから魔力も全回復した!」
一瞬でパアッと顔を輝かせて起き上がったフローリスを見て、キアラは呆れつつも、ほんの少しだけ視線を泳がせた。
「……その、なんだ」
「ん?」
「さっきの話だが。お前が、魔法の天才だという話」
キアラがもじもじと指先を弄りながら言うと、フローリスは不思議そうに小首を傾げた。
「部屋の中を水浸しにされたら困るから止めたが……外でなら、少し見てやってもいいぞ」
「え?」
「誤解するなよ! 領地を治める者として、夫の能力を正確に把握しておくのは義務だからな! 決して、魔法というものに興味津々だとか、かっこいい必殺技を見てみたいとか、そういうわけではないぞ!」
腕を組んでツンとそっぽを向くキアラだったが、その背中からは「見たい!見たい!」という特大のオーラが隠しきれずに溢れ出していた。
(……ああもう、本当にうちの奥さんは……っ!)
フローリスは必死に顔の筋肉を引き締め、吹き出しそうになるのを堪えた。
「そっか。それなら、妻の義務としてしっかり見届けてもらわないとね」
フローリスはキアラの手を取り、執務室に隣接する広いバルコニーへと彼女を連れ出した。
夕闇が迫り、空には一番星が瞬き始めている。
「それじゃあ、俺の凛々しい愛しの奥様へ。とっておきの魔法をプレゼント」
フローリスがパチンと指を鳴らした瞬間だった。
ふわりと、どこからともなく温かい風がキアラの頬を撫でたかと思うと——頭上の夜空に、無数の光の粒がふわりと浮かび上がった。
それは黄金や深紅の光を帯びており、まるで本物の流星群のように、二人の頭上をキラキラと尾を引いて飛び交い始めた。
「おおおっ……!!」
キアラは身を乗り出し、バルコニーの手すりを強く握りしめた。
その黄金色の瞳は、空を舞う光のシャワーを映してキラキラと少年のような輝きを放っている。
「すごい! すごいぞフローリス! まるで星が降っているみたいだ! なんだこのかっこいい技は! お前、本当に魔法が使えるんだな!」
「あはは、驚いた? これは光と風の属性を少し混ぜて——」
「これを応用すれば、空から光の雨を降らせて悪党を一網打尽にすることもできるのではないか!? お前、正義の魔法使いになれるぞ!」
「えっ、そっち!?」
ロマンチックなムードになるかと思いきや、キアラの感想は完全に『ヒーローの必殺技を見た子供』のそれだった。
しかし、興奮して頬を上気させ、「すごいすごい!」と無邪気にはしゃぐ彼女の横顔は、どんなに取り繕った淑女の微笑みよりも、ずっと美しくて、愛おしかった。
「……どう? 俺、少しくらいはかっこいい正義のヒーローに見えた?」
フローリスが優しく尋ねると、キアラは満面の笑みで振り返り、力強く頷いた。
「ああ! 頼りないヤツだと思っていたが、少しだけ見直したぞ!」
「——っ!!」
ドカン、と。フローリスの中で何かが爆発した。
いつもは「暑苦しい」「バカ」と邪険に扱われている愛しい妻からの、混じり気のない100点の笑顔と特大の褒め言葉。
「っあーーーーもう!! キアラちゃん!! 好き!!」
「わあっ!? 何をする、急に抱きつくな!」
フローリスはキアラをギュウッと強く抱きしめ、その首筋に顔をグリグリと押し付けた。
「キアラちゃんが俺の魔法でこんなに喜んでくれるなんて! もう一生、毎日星でも花でも降らせてあげる! だからもっと俺のことかっこいいって言って! 惚れ直して!」
「バカモノ! 魔力が枯渇すると言っていたばかりだろうが! 離れろ変態天才魔法使い!」
「キアラちゃぁぁぁん!!」
バルコニーの上に美しい魔法の流星群が降り注ぐ中、ジタバタと暴れるキアラと、全身でしがみつくフローリスのドタバタ劇はしばらく続いた。
結局その日の夕食では、「頑張ったご褒美」としてキアラから特大の肉を取り分けてもらい、フローリスが感動のあまりむせ返るという騒がしい夜になるのだった。
フローリスの意外な特技が判明しました!
次回は明日の20時投稿予定です!
よろしくお願いいたします!




