第5話:俺だけの君だから
キアラの本性を知ってからというもの、フローリスの『溺愛』は弱まるどころか、自分でも引くくらいに加速していった。
「うむ! 今日も肉が美味いな! おかわりだ!」
「はいはい、いっぱい食べて偉いねぇ。キアラちゃん、ほっぺたにソースついてるよ」
朝食の席。(もちろん、向かい合わせではなく隣の席に座り込んでいる)
以前は小鳥のようについばむだけだった食事が、今では山盛りの肉やパンに変わった。リスのように両頬をいっぱいに膨らませてもぐもぐと食べる姿は、見ていて全く飽きない。
フローリスが指でキアラの頬についたソースを拭い、そのまま自分の口に入れて舐めとると、キアラは「ひゃっ!?」と変な声を出して固まった。
「お前……っ、そういうのは行儀が悪いぞ! 使用人たちも見ているのに……っ!」
「いいじゃん、俺たちラブラブな夫婦なんだし。それに、キアラちゃんが食べるとなんでも美味しそうに見えるんだよね。ねえ、あーんして?」
「し、しない! 自分で食べろ!」
真っ赤になってプイッとそっぽを向くけれど、耳の先まで赤くなっているのが丸見えだ。
本当のキアラは、真っ直ぐで、裏表がなくて、感情が全部顔に出る。
照れる時も、怒る時も、喜ぶ時も、全力だ。だからこそ、フローリスが愛の言葉を囁くたびに、キアラから返ってくる反応が本物だとわかる。それがどうしようもなくフローリスは嬉しい。
偽りの仮面を被っていた頃のキアラは、フローリスの重い愛情を前に「どうやってやり過ごそうか」と怯えていたように思う。
でも今は違う。フローリスの愛情に真っ向からぶつかってきて、照れて、怒って、最後には呆れたように笑って受け入れてくれる。
(ああ、俺はなんて幸運なんだろう)
午後、キアラが一人で庭の木陰で剣(木の枝)の素振りをしているのを、フローリスは執務室の窓から頬杖をついて眺めていた。
「……可愛いなぁ」
風に揺れる赤茶色の髪。真剣な眼差し。力強く踏み込む足の動き。
そのすべてから目が離せない。書類の文字なんて、もう一文字も頭に入ってこなかった。
「旦那様、あの……書類の確認をお願いしたいのですが……」
「後にして。今、俺の可愛い奥さんが世界を救うための特訓中だから。あの美しい剣さばきを見逃すわけにはいかないでしょ?」
「は、はあ……」
呆れ顔の側近を適当にあしらい、フローリスは窓枠から身を乗り出す。
あんなに活発で、男勝りで、元気いっぱいの女の子。
社交界の連中は「令嬢らしくない」「お転婆すぎる」なんて陰口を叩くかもしれない。
しかし、フローリスにとってはそれが最高の魅力だ。誰に何と言われようと、彼の太陽を笑う奴は絶対に許さない。キアラのこの眩しい笑顔を守るためなら、フローリスはどんなことだってできてしまいそうだ。
「キアラちゃーん! かっこいいよー! 俺の心も真っ二つに斬られちゃったー!」
窓から大声で叫ぶと、庭のキアラがビクッと肩を揺らし、こちらを見上げて顔を真っ赤にした。
「バカフローリス! 大声で変なことを叫ぶな! 気が散るだろう!」
「えー、だって本当のことだもん! 今すぐそこに行って抱きしめてもいい!?」
「来るな! 仕事に戻れー!」
窓の向こうで真っ赤になって怒っている愛しい妻を見て、フローリスはふにゃりと頬を緩めた。
あんな風に全力で拒絶されて、大人しく仕事に戻る男がどこにいるだろうか。いや、いない。少なくとも、今のフローリスには絶対に無理だ。
「……というわけで、残りの決裁はよろしく頼むね!」
「は!? ちょっ、旦那様!? この分厚い束を全部私に丸投げするおつもりですか!?」
「ごめんね! 今、俺の妻が呼んでるから!」
「絶対に呼ばれてませんよ!! むしろ来るなって言われてましたよね!?」
側近の悲痛な叫びを華麗にスルーし、フローリスは執務室を飛び出した。
階段を軽快な足取りで駆け下り、迷うことなく庭園へと向かう。
* * *
「ふう……ったく、あのバカフローリス。あんな大声を出して……」
木陰で額の汗を手の甲で拭いながら、キアラが息をついたその時だった。
背後から、ふわりと微かに甘い香りが漂ってきたかと思うと、冷たく冷やされたタオルがそっとキアラの頬に当てられた。
「お疲れ様、俺のかっこいい騎士様。はい、冷たいお水」
「うわあっ!? お前、いつの間に! ていうか仕事はどうしたんだ!」
「そんなの、キアラちゃん成分が不足して限界だったから放り投げてきたに決まってるじゃないか」
「堂々と胸を張って言うな! 側近が泣いているぞ!」
キャンキャンと吠えるように怒るキアラの額の汗を、フローリスはタオルで優しく拭ってやる。
文句を言いながらも、キアラは素直にされるがままだ。時折「冷たくて気持ちいい……」と目を細める無防備な顔がたまらなく可愛い。
「ねえ、キアラちゃん。木の枝を振る姿も勇ましくて最高だけど、やっぱり俺の妻には最高のものを持ってほしいな」
「最高のもの?」
「うん。王都で一番腕のいい鍛冶屋を呼んで、キアラちゃん専用の剣を打たせよう! 君の瞳と同じ、黄金と赤の宝石をたくさん散りばめた特注品! ついでにこの庭の西側を全部潰して、専用の訓練場も作っちゃおうか! あ、そうだ、王国の騎士団から凄腕の指南役を大金で引き抜いて……」
「ま、待て待て待て待て!!!」
キアラが慌ててフローリスの口を両手で塞いだ。
目を白黒させながら、全力で首を横に振っている。
「お前は極端すぎるんだ! 私はこの辺に落ちている木の枝で十分だと言っているだろう!」
「むー?(えー?)」
フローリスは口を塞がれたまま、キアラの手のひらにすりすりと頬ずりをした。
「だって、俺の有り余る財力と愛を、全部キアラちゃんのために使いたいんだもん。今までドレスとか宝石ばっかり贈ってたけど、これからはキアラちゃんが一番好きなものを貢がせてよ」
キアラの手をそっと外し、フローリスはその指先にちゅっとキスを落とした。
見つめ上げてくる黄金の瞳は、とろけるように甘く、そしてどこまでも真剣だった。
「キアラちゃんが笑顔でいられるなら、俺はなんだってする。世界中の名剣でも、山でも森でも、全部君の足元に差し出すよ」
ドキン、と。
キアラの心臓が、またしても大きく跳ねた。
相変わらず愛が重い。重すぎる。国庫を傾けかねないほどの溺愛っぷりだ。
以前のキアラなら「そんな恐ろしいこと言わないでくださいませ!」と青ざめていただろう。けれど今は——。
「……バカ。そんなもの、いらない」
キアラはぷいっと顔を逸らし、照れ隠しのようにフローリスの胸元をポカッと軽く叩いた。
「世界中の名剣より、お前がそばで、そうやって笑っていてくれれば……それで十分だ」
ボソリと呟いたキアラの横顔は、熟れたトマトのように真っ赤に染まっていた。
数秒の静寂。
風が木々の葉を揺らす音だけが響く中、フローリスは目を見開き、そして——。
「……っっっ!! あーーーーもうダメ!!」
「ひゃあっ!?」
フローリスはキアラを力いっぱい抱きしめ、そのまま芝生の上へと押し倒した(もちろん、彼女が怪我をしないよう、自分の腕をクッションにして)。
「キアラちゃん可愛すぎる!! 無理!! 好き!! 好きすぎて死ぬ!!」
「ばっ、バカ! 何をしている、くっつくな暑苦しい!!」
「離さない! もう一生離さない! 俺、今世界で一番幸せな男だ!!」
「うるさーい! 離れろ変態公爵ーっ!」
ジタバタと暴れて抜け出そうとするキアラと、全身でしがみついて歓喜の叫びを上げるフローリス。
結局、その日の午後はフローリスがキアラから物理的に離れようとせず、呆れ果てた使用人たちが見守る中、庭の芝生の上で延々と騒がしい追いかけっこ(という名の極甘なスキンシップ)が繰り広げられることとなった。
* * *
夜、疲れ果ててベッドに潜り込んだキアラを、俺は腕の中にすっぽりと閉じ込めた。
「んん……暑いぞ、フローリス……」
寝ぼけ眼で抗議しながらも、キアラはフローリスの胸元に無防備に頭をすり寄せてくる。
この無防備な信頼感が、たまらなく彼の心をくすぐるのだ。
「暑くないよ。もう少しだけ、こうさせて」
背中を優しくトントンと叩きながら、フローリスは彼女の丸い頭に頬をすり寄せた。
大人しい令嬢を演じていた頃のキアラも綺麗で好きだった。でも、泥だらけになって笑い、俺の名前を大声で呼んでくれる今のキアラは、フローリスの命そのものだ。
彼女が自分を偽らずに、心からの笑顔でいられる場所。
それをフローリスは、一生かけて作ってあげたい。
いや、作らせてほしいと願っている。
「……大好きだよ、キアラちゃん。君が呆れるくらい、ずっとずっと愛してるからね」
「ん……うるさい、おやすみ……」
寝言のように呟いた彼女の唇に、そっと優しいキスを落とす。
フローリスの愛おしいじゃじゃ馬なお姫様。キアラが本当の姿を見せてくれたあの日から、フローリスのキアラへの溺愛は、きっと死ぬまで天井知らずで加速し続けるんだろうな。
(……覚悟しててね、俺の可愛い奥さん)
規則正しい彼女の寝息を聞きながら、フローリスは満ち足りた幸福感に包まれて、そっと目を閉じた。
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