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遊び人公爵様は、オテンバ妻を溺愛したい  作者: からねこ
第1章

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第38話:キアラとアルバ

客間を包んでいた重く張り詰めた空気を切り裂くように、フローリスは腕を深く組み、鋭く尖らせた黄金色の瞳で白髪の少女をじっと見据えた。

先ほどまでの、愛する妻を他の者に触れられたことに対する剥き出しの嫉妬心は、王国筆頭の魔法使いとしての冷徹な理性の下へと綺麗に仕舞い込まれている。


「ねぇ、アルバちゃん」


フローリスは低く、どこか底冷えのする、けれど表面上は甘い声音で問いかけた。

「キアラちゃんと契約してるって、どういうことなわけ? 精霊契約って本来、それ相応の魔力とか、膨大な魔力石を媒体に使えるだけの器がないと結べないはずだよね。キアラちゃんは生粋の武人で、魔力回路なんて一切持ってないし。そんな人間と、一体どうやって――」


「ふふっ、そんなの当たり前のことだよ。普通の方法じゃ、もちろん無理に決まってるよね」


アルバは優しく微笑みながら、柔らかく首を横に振った。その物腰はどこまでも優雅で、大いなる存在としての気品を漂わせている。言葉の端々に漂う響きは、幼い少女のようにやんわりとしていて、ひたすらに優しかった。


「私が使ったのはね、今時の便利な契約魔術なんかじゃなくて、もっと古い時代の『古式』の方式なんだよ。契約っていうか、いわば私の魔力をキアラちゃんの魂の深くに、直接植え付けたっていう表現が正しいかも。魔力回路の有無なんて関係のない、もっと根本的な魂の結びつきだからさ……普通の契約よりもよっぽど頑丈で、絶対的な絆になっているんだよね」


「魂に、直接……?」


フローリスは思わず眉をひそめた。魔力を持たない人間に精霊の魔力を直接植え付けるなど、一歩間違えば精神が崩壊しかねない禁じ手中の禁じ手だ。それを何食わぬ顔でやってのけるあたり、流石は神話の時代から存在すると言われる「精霊の女王」といったところか。


その説明を聞きながら、当事者であるキアラは腕を組み、難しい顔をして首を傾げた。

「待て。そんな大層な契約を私とした覚えなど、ついぞないのだが……。私は物心ついた頃から剣の修練ばかりで、精霊の王などと会った記憶はないぞ」


キアラのその真っ直ぐな言葉を聞いた瞬間、アルバの柔らかい微笑みが、ふっと小さく切なげなものに変わった。

彼女はトコトコとキアラの元に歩み寄り、その服の裾をそっとつまみながら、少しだけ寂しそうに赤い瞳を伏せた。


「……うん、覚えていなくても無理はないことだよ。だって、それがこの古式契約の『デメリット』なんだからね」


「デメリット、か?」


「そうだよ。私の強大な魔力を人間の魂に馴染ませるために、古い記憶の一番深いところ……キアラちゃんがまだ小さくて、すごく可愛らしかった頃の記憶に、すべて蓋をしてしまったの。私との約束も、昔交わした大切な契りも、今は綺麗な空っぽの引き出しの中に入っているんだよ」


少しだけ切なそうに肩を落とするアルバの姿に、キアラは「そうだったのか……」とわずかに申し訳なさそうな顔をした。いくら身に覚えがないとはいえ、目の前の少女が自分を深く想ってくれていることだけは痛いほど伝わってきたからだ。


だが、次の瞬間、アルバはぱっと顔を輝かせ、キアラの手をそっと両手で包み込んだ。


「でもね、そんなのどうだっていいんだよ」

「え……?」

「記憶なんて思い出せなくたって、こうしてまたキアラちゃんに会えたんだもの。今のキアラちゃんが私のことを忘れていても、私がずっとキアラちゃんを覚えているし、絶対に守るって決めたからさ……ね、それが一番大事なことだよね」


アルバの透き通るような赤い瞳が、キアラへの深い慈愛で揺れている。


「は、はあ……よく分からんが、私を護してくれるというのは悪くない話だな。また会えたと喜んでくれるのなら、私も嬉しいぞ」

キアラは少し気圧されつつも、不器用な手つきでアルバの白い髪をよしよしと優しく撫でてやった。

アルバは猫のように目を細め、幸せそうに微笑んでいる。


(――なにこの子、ちゃっかりキアラちゃんに甘えちゃってさ……っ)

フローリスは再び湧き上がりそうになる嫉妬を、深く息を吐き出して無理やり喉の奥へと押し込んだ。

キアラの記憶が封じられているとはいえ、精霊の女王という規格外の存在が妻の背中を守る盾になるのなら、悪い話じゃない。だが、今はそれよりも確認すべき重要な懸念事項があった。


アルバは「また会えた」と言った。そして、アルバの弟であるアニスもまた、姉を助けるために教団を利用し、この屋敷に潜入していたのだ。


(……待てよ。そもそも、この大精霊であるアルバが、なんであんな下っ端の黒魔術師軍団ごときに捕まって、魔力を搾取されていたわけ?)


カルト教団の連中がどれほど狡猾で禁術に長けていようと、この世の全ての精霊を統べる「女王」を正面から束縛するなど、本来であれば不可能なはずだ。何か決定的な理由、あるいは大きな裏があるはずだった。


「ねぇ、キアラちゃん」

フローリスは低い声で、場を切り替えるように言った。

「悪いんだけど、キアラちゃんはちょっと部屋を出ててくれないかな? この子と二人で、もう少し突っ込んだ話がしたいんだよね」


「む……私を締め出すつもりか?」

「違う違う、ちょっと大事な話があるだけだよ。ね、キアラちゃん、少しだけあっちの部屋で待っててくれない?」

フローリスに甘く優しく促され、キアラは「うむ、分かった。アルバ、また後でな」と少しだけ首を傾げながらも、素直に部屋を出て行った。


パタン、と重厚な扉が閉まり、客間にはフローリスとアルバの二人だけが残された。

先ほどまでの和やかな空気が一変し、静寂が部屋を包み込む。


「……で? 何を訊きたいのかな、フローリス様?」

アルバはキアラに向けていた甘い態度を少しだけ引き締め、静かにフローリスを見据えた。口調はやんわりとしているが、その奥には大精霊としての底知れぬ威厳が潜んでいる。


「単刀直入に聞くけどさ」

フローリスは腕を組み、冷徹な目を向けた。

「君ほどの力を持つ高位の精霊が、どうしてあの黒魔術師軍団ごときに捕まって、あんなボロ小屋の地下で魔力を吸い尽くされてたわけ? 不自然すぎるでしょ。君の力があれば、あんな雑魚どもを一網打尽にするなんて簡単なはずだよね」


アルバはふぅと小さく息を吐き、ベッドの端に腰掛けた。その表情には、ほんの少しだけ苦渋の色と、当時の悔しさが混じっていた。


「……私が捕まったのはね、キアラちゃんと契約したあと、次々に失踪する精霊たちの行方を、アニスと一緒に調べていたからなんだよ」

「消えた仲間たち?」


「うん。ここ最近、人間の世界に隠れて暮らしていた精霊たちが、次々に姿を消す事件が起きていてね……。弟のアニスと一緒にその行方を追っていたら、ある『人間の上級魔術師の男』の影に行き着いたの。そいつの隠れ家を突き止められて、私が単独で潜入したのだけれど……そこでそいつに捕らえられちゃったんだよ」


「君ほどの精霊が、人間の魔術師一人に負けたってこと?」

「そいつの使った呪術がね、とても厄介なものだったの。精霊の核を直接縛るような、おぞましい禁呪だったんだよ。でもね、その後がもっと最悪だったかも。その上級魔術師の男のところにいた『黒魔術師の連中』が、私を横取りする形で連れ去ってしまったの。気がついたら、あの地下室の魔法陣で縛られていて……本当に、不覚だったよね」


アルバの言葉を聞きながら、フローリスの脳裏でアニスの証言と綺麗にピースが噛み合っていた。


(なるほどね。アニスは、上位魔術師に姉が消されたことを知り、必死で探していた。その過程で黒魔術師軍団に捕まってしまって、「姉を助けたければ生贄に相応しい者を連れてこい」って利用された……ってわけか。全部の辻褄が合うな)


「その『上級魔術師の男』ってやつ、名前や顔は分かったの?」

「ううん、そいつはいつも分厚いローブを纏っていて、顔も声も魔法でしっかりと隠されていたから分からなかったの。でも、すごく嫌な感じの魔力だったのは覚えているよ」


「……そっか」

フローリスは顎に手を当て、深く思考の海へと潜った。

王国内で、フローリスすらも一筋縄ではいかないような、高位の精霊を拘束できるほどの「上位魔術師」。しかも、カルト教団の残党や黒魔術を裏で操っている黒幕の可能性がある人物。


「ふぁ……なんだか、急に眠くなってきたかも……」

突如として、アルバが小さく上品なあくびをもらした。

「私、まだ魔力回路が完全に回復しきっていないみたい。少し、寝るね……おやすみなさい」


言うや否や、アルバはふわりとベッドに横たわり、あっという間に穏やかな寝息を立て始めた。流石は大精霊とはいえ、限界まで魔力を搾取されていたダメージはまだ完全に抜け切っていなかったらしい。


「あ、ちょっと……もう寝ちゃうわけ?」

呆れながらも、フローリスは彼女に優しく毛布をかけ直してやった。


アルバが眠りについた静かな部屋の中で、フローリスは腕を組み、もう一度先ほどの情報を頭の中で反芻した。


「人間の、上位魔術師の男……ねぇ」


フローリスは本気で首を傾げた。

王宮や貴族社会には数多の魔術師が存在する。しかし、高位精霊を封じ込めるほどの上位魔術師となれば、かなり限られてくるはずだ。


「上位魔術師……思い当たるやつなんて、俺以外にいないんだけどなぁ……」


フローリスはうんうんと唸りながら考えたが、見事に誰の顔も思い浮かばなかった。

無理もない。彼には日頃から「キアラちゃん以外」の人間に対する興味が完全に欠落しているという、致命的な悪癖があった。仕事仲間の宮廷魔法局の面々や、高位貴族の顔ぶれなど、彼の記憶のゴミ箱に直行しているのだ。

彼にとって他人は「キアラちゃんに害をなすか否か」の二択でしかなく、それ以外の有象無象の能力や名前、ましてや顔つきなど、いちいち覚えているはずもなかったのである。


「まぁ、俺が興味ないレベルの奴らの誰かなんだろうね。考えても分からないし、いっか」


五秒ほど悩んだ結果、フローリスはすっぱりと自力での思考を放棄した。


「とりあえず、今回の件はエーリヒくんに丸投げして、様子を見ることにしようかな」

厄介な面倒事は、全て王太子であるエーリヒに押し付けるに限る。あの食えない腹黒王太子なら、上級魔術師の心当たりくらいすぐに見つけ出すだろう。それに、王国の治安維持に関わる以上、形だけでも公式のルートに乗せておく方が後々面倒が少ない。


フローリスは客間を出て自分の執務室に戻ると、引き出しから通信用の魔導具を取り出し、エーリヒへざっくりとした報告を済ませた。

『精霊の失踪事件と、それを裏で操っているらしい上位魔術師の存在。あとは適当に調べておいてくれない?』という、丸投げ感満載の報告である。


「これでよし、と」

魔導具を机の引き出しに放り込むと、フローリスの顔に、いつもの蕩けるような甘い笑みが戻った。

得体の知れない上位魔術師がいようと、カルト教団の残党が動いていようと、関係ない。自分はただ、完璧な夫としてキアラの隣に立ち、彼女の笑顔を守り抜くだけだ。


「さてと。可愛いキアラちゃんのところに戻るとするかな♪」

フローリスは軽やかに鼻歌を歌いながら、愛しの妻が待つリビングへと、足取り軽く向かっていくのだった。

シリアス回長くなってしまいましたがこれにて一旦終わりです!

続きは明日の20時投稿予定です!

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