第10話:2人だけのデートを
取り巻きの令嬢たちが去り、静けさを取り戻したブティック。
キアラがふぅと小さく息を吐き、買い物を終えて店を出ようとしたその時だった。
「キアラちゃーーーん!!」
王都の目抜き通りに、似つかわしくないほど大きな、しかし聞き慣れた甘い声が響き渡った。
キアラが目を丸くして振り返ると、金色の髪を揺らしながら、フローリスが猛スピードでこちらへ走ってくるではないか。
「ま、まあ……フローリス様!? あなた、本日は邸で山積みの書類を片付けていらっしゃるはずでは……っ」
(なぜここにいるのだバカフローリス! 抜け出してきたのか!?)と内心で大いに焦りながらも、キアラは周囲の目を気にして、完璧なお淑やかな微笑みを貼り付けたまま優雅に問いかけた。
フローリスは息を切らしながらも、太陽のようにパッと輝く笑顔を向ける。
「光の速度で終わらせてきたよ! だってキアラちゃんと一緒に街を歩きたかったんだもん!」
(※正確には、自分の魔法的な処理能力をフル稼働させて3割を終わらせ、残りの7割を『あとはよろしく!』と側近のデスクに投げつけて窓から飛び出してきたのだが、もちろんキアラには内緒である)
「ほら、キアラちゃんのお買い物、俺にも付き合わせて? 荷物持ちでもなんでもするからさ!」
フローリスはキアラの護衛からサッと荷物を受け取ると、嬉しそうに彼女の隣に並んだ。
* * *
それから二人は、王都の賑やかな通りを並んで歩いた。
美しいヴェイン公爵夫妻の姿は街の人々の目を惹き、すれ違う者たちがこぞって振り返る。
フローリスは『完璧な公爵夫人』として、背筋をピンと伸ばし、一歩一歩を優雅な足取りで歩いていた。ショーウィンドウを見る時も、決してはしゃぐことはなく、扇で口元を隠しながら上品な微笑みを浮かべている。
途中、武具店の前を通りかかった時、キアラの足が一瞬ピタリと止まり、飾られた見事な短剣を食い入るように見つめた。しかし、すぐに「いけませんわ」と姿勢を正し、興味のないフリをして通り過ぎる。
やがて二人は、大通りに面したお洒落なカフェのテラス席で休憩することになった。
テーブルには、色とりどりの可愛らしいケーキと香り高い紅茶が並べられる。
「キアラちゃん、あーんして?」
「……フローリス様、人目がありますわ。ご自分でお召し上がりになって」
キアラはフローリスの差し出すフォークを上品に断ると、自分のケーキをフォークの先でほんの少しだけ切り取り、小鳥のようについばんだ。
咀嚼音を立てず、静かに紅茶をすするその姿は、絵画のように美しい『淑やかな令嬢』そのものだった。
フローリスは頬杖をつき、嬉しそうにキアラを見つめていた。
しかし——しばらく彼女を観察していたフローリスの黄金色の瞳に、ふと微かな翳りが落ちた。
(……キアラちゃん、すごく窮屈そうだな)
邸での彼女を知っているフローリスには、キアラがどれほど無理をしているかが手に取るようにわかった。
本当のキアラなら、先ほどの武具店で「この短剣かっこいいな!」と目を輝かせていただろう。ケーキだって、あんな数ミリずつ削るような食べ方ではなく、大きな口を開けて幸せそうに頬張るはずだ。
周囲の目を気にしながら、常にピンと張られた背筋。
浅い呼吸。わずかに硬直した肩。
『公爵夫人としての体面』を守るため、彼女は一瞬の隙も見せずに自分を律し続けている。
(俺の可愛い奥さんは、こんなお人形さんみたいに固まってるより、思いっきり笑って走り回ってる時の方がずっと綺麗なのに)
フローリスはスッと立ち上がると、テーブルに金貨を数枚置いた。
「あら、フローリス様……?」
不思議そうに見上げるキアラに、フローリスは優しく手を差し出した。
「キアラちゃん、ちょっと行きたいところがあるんだ。一緒においで」
フローリスはキアラの手を取ると、賑やかな大通りから外れ、馬車も通らないような細い裏道へと彼女をエスコートし始めた。
* * *
フローリスに手を引かれてたどり着いたのは、王都の喧騒から少し離れた、小高い丘の上にある美しい庭園だった。
色とりどりの花が咲き乱れ、眼下には王都の街並みと、遠くの青い山々が一望できる絶景のスポットである。
貴族の私有地に近い場所なのか、周囲に人影は全くない。風が木々の葉を揺らす音と、鳥のさえずりだけが静かに響いていた。
「わあ……」
目の前に広がる美しい景色に、キアラが思わず感嘆の声を漏らす。
「ここ、俺の秘密のお気に入りスポットなんだ。誰も来ないから、すごく静かでしょ?」
フローリスが微笑みかけると、キアラはハッとして周囲を見回した。
本当に、見渡す限り誰もいない。護衛たちも、フローリスの指示で丘の下に待機している。
「ここなら、誰の目もないよ」
フローリスはキアラの前に立ち、その両肩にそっと手を置いた。
「キアラちゃん、ずっと肩に力が入ってたでしょ? 街にいる間、ずっと『完璧な奥様』を頑張ってくれてたもんね」
「えっ……」
「俺の前では、無理しなくていいって言ったじゃない。誰も見てないんだから、ここではいつものキアラちゃんでいてよ」
フローリスの言葉に、キアラはしばらく瞬きを繰り返していた。
やがて、ピンと張り詰めていた彼女の背中から、ふっと力が抜ける。
「…………ああもう、本当に疲れた!」
キアラは扇をパタンと閉じ、上品な令嬢のトーンを捨てて、地声で大きく息を吐き出した。
「フリフリのドレスは重いし、コルセットは苦しいし、ケーキは一口が小さすぎて食べた気がしない! まったく、肩がガチガチだぞ!」
両腕をぐーっと上に伸ばし、遠慮なく背伸びをするキアラ。
その豪快で飾らない姿を見て、フローリスは心の底から安堵したように、ふにゃりと相好を崩した。
「あははっ! お疲れ様、キアラちゃん。肩、揉んであげようか?」
「お前に揉ませたらどうせ変なところまで触るだろう! 自分で回すからいい!」
「え〜、信用ないなぁ。俺はただ、キアラちゃんを労ってあげたいだけなのに」
文句を言いながらも、キアラの表情は街にいた時の作り笑いとは違い、生き生きとした本来の明るさを取り戻している。
心地よい風が吹き抜ける丘の上。
キアラは大きく深呼吸をして、眼下に広がる王都の景色を満喫していた。
「はぁ〜、やっぱり外の空気は最高だな! さっきまでの息苦しさが嘘みたいだ!」
「ふふっ、良かった。キアラちゃん、さっきはガチガチに緊張してたもんね」
手すりに寄りかかり、足をブラブラと揺らすキアラ。その隣で、フローリスは彼女の弾けるような笑顔を愛おしそうに見つめていた。
「うん。やっぱりキアラちゃんは、そうやって笑ってる顔が世界で一番可愛いし、綺麗だよ」
「……フローリス。誰も見ていないのだから、その甘ったるい社交辞令はやめろ。お前も肩が凝るだろう」
「えー、本心なのに。誰も見てないからこそ、素直な気持ちを伝えてるんじゃないか」
キアラはジロリと呆れたようにフローリスを睨むと、ふいっとそっぽを向いた。
そんなキアラに対し、フローリスは「あ、そうだ」と何かを思い出したように手を打った。
「キアラちゃんに、プレゼントがあるんだ」
「プレゼント? また動きにくいドレスか、重たい宝石か? 悪いが、私はもう十分すぎるほど持っているぞ」
「ううん、今日は違うよ。絶対キアラちゃんが喜ぶやつ」
フローリスは丘の下に待機させていた護衛から細長い革張りの箱を受け取ると、恭々しい手つきでキアラに差し出した。
キアラが怪訝な顔をしながらその箱を開けると、中には艶やかな布に包まれた一本の短剣が入っていた。柄には見事な彫金が施され、実用性と芸術性を兼ね備えた逸品である。
「なっ……! こ、これは!」
キアラは目を丸くした。
それは間違いなく、先ほど大通りを歩いていた際、彼女が武具店のショーウィンドウの前で足を止めて見つめていた短剣だった。
「キアラちゃん、すっごく欲しそうな顔して見てたでしょ? だから、俺が追いつく前にこっそり側近に買わせておいたんだ。はい、俺からのプレゼント」
「お前、私が見ていたことに気付いていたのか……!?」
「当たり前だよ。俺はいつだって、キアラちゃんのことだけを見てるんだから」
キアラは短剣の柄をそっと握りしめた。重心のバランスも良く、刃の煌めきも素晴らしい。
彼女は短剣を見つめたまま、ふっと真面目な顔つきになった。
「……フローリス、お前」
「ん? どうしたの? 気に入らなかった? もっと長剣の方が良かったかな」
不安そうに覗き込んでくるフローリスに対し、キアラは短剣を大事そうに胸に抱き、真剣な表情で力強く頷いた。
「いや、とても素晴らしい品だ。……お前の『気遣い』、確かに受け取ったぞ。これからも、私は妻としての『役割』を完璧に果たすと約束しよう!」
「えっ? 役割……? うん、よくわかんないけど、キアラちゃんが喜んでくれたなら俺も最高にハッピーだよ!」
フローリスは「愛する妻が自分のプレゼントを満面の笑みで喜んでくれた」という事実だけで有頂天になり、そのまま勢いよく彼女を抱きしめた。
「うわっ、こら! くっつくな!」
「えー、いいじゃん! 短剣のお礼のハグしてよー!」
「危ないだろう! 刃物を持ってるんだぞ!」
「キアラちゃんなら俺を刺してもいいよ〜!」
「バカなことを言うな!!」
丘の上で繰り広げられる、騒がしくも微笑ましい二人の攻防。
どこまでも平行線をたどる二人の想いは、決して交わらないからこそ、今日もヴェイン公爵家を平和で賑やかなものにしているのだった。
今日はここまでです。閲覧ありがとうございました!
次は明日の20時に更新予定です!
次はキアラの本音が分かります!




