張り込みの流儀
久我理事官。キャリアの出世コースを外れた五十五歳。二年前から生安の管理部門にいて、風俗と人身売買関連の摘発情報が、すべて通る椅子に座っている。
摘発される店と、されない店。消える捜査資料。潰れた二度の内偵。全部の絵が、一本の線で繋がった。
問題は、俺が今、その絵をポケットに入れたまま、絵の中に監禁されていることだった。
持ち込んだ発信機は搬入時に服ごと没収された。小田切との連絡は、パーティ会場を出た時点で途切れている。応援は来ない。位置情報もない。あるのは、俺の頭の中の道路の記憶と、ひかりのくれた「カメラが二分止まる時間」だけだ。
焦るな。俺は自分に言い聞かせた。張り込みの極意は、動くことではない。動くべき一瞬まで、動かないことだ。
二日、俺は完璧な「商品」を演じた。従順に、無気力に、規格通りに。その裏で、配膳の足音で人員配置を数え、換気扇の風で外の天気を読み、厨房から漏れる発注の電話で「明後日の朝、車が来る」ことを掴んだ。
出荷は明後日。俺と、ひかりを含む四人が積まれる。
決行は前夜しかない。手段は──厨房だ。ひかりの言う通り、厨房口の錠は古いシリンダー錠。そして厨房には、業務用の電話回線が生きている。発注の電話が外にかかる以上、あれは外線だ。
深夜二時。カメラが止まる二分間。
俺は部屋を抜け、厨房に走った。廊下の間取りは頭に入っている。三十四年、現場の見取り図を描き続けた手が、暗闇の中で正確に距離を測る。厨房口、錠、開いた。外の空気。だが逃げない。逃げるのは俺の仕事ではない。
受話器を上げ、番号を押す。小田切の携帯。ワンコールで出た。
『──真壁さんですか』
「よく出たな」
『三日間、この電話の前から動いてません』
俺は住所の見当、施設の間取り、人員、収容者六名、出荷が明後日の朝であること、そして久我の名前を、九十秒で伝えた。三十四年書き続けた報告書の要領だ。無駄な言葉は一つもいらない。
『久我理事官……本当に、間違いないんですね』
「顔は三十四年、間違えたことがない。──小田切。久我に気取られたら全部が飛ぶ。報告の経路は」
『大丈夫です。参事官と直通の"訓練回線"が残してあります。こんな時のために』
受話器を置き、俺は何食わぬ顔で部屋に戻った。残り二十秒でカメラが復活し、施設は何も知らずに眠り続けた。
張り込みは、これでいい。網は、外が張る。俺は明後日の朝まで、ただの商品でいればいい。
──ただし、朝が来るまでに網が間に合わなければ、俺とひかりたちは、空港コードの先に消える。
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