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TS囮捜査官 ―定年まで92日、俺は「失踪者候補」になった―  作者: らび


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身辺調査

週明け、セーフハウスの周りに、見慣れない営業車が停まるようになった。


 尾行も付いた。素人ではないが、プロでもない。半グレの調査屋あたりだろう。オフィス・グレースが、金曜の「商品」の下調べを始めたのだ。健全な会社は、コンパニオンの身辺調査などしない。攫っても騒がれない女かどうかを、確認しているのだ。


「予定通りです」小田切は言った。「氷見アヤの経歴は三年分作り込んであります。家賃滞納の記録まで。調べれば調べるほど、"攫いやすい女"に見える設計です」


 とはいえ、演じる側は気が抜けない。買い物も、ゴミ出しも、銭湯も、すべて氷見アヤとして行動する必要があった。


 銭湯が、一番の難関だった。


 女湯の暖簾をくぐる行為には、五十八年分の禁忌が染みついている。初回は脱衣所の入口で三分固まり、常連のばあさんに「詰まってるよ」と背中を叩かれた。二回目からは無になった。無になるしかなかった。誰も俺のことなど見ていない、というのは頭では分かるのだが、分かることと平気になることは別の問題だった。湯船では隅で膝を抱え、視線を一切上げず、記録的な速さで上がった。


 その帰り道、髪を乾かしきれないまま歩いていると、隣を歩く小田切がぽつりと言った。


「……真壁さん、女湯、ちゃんと入ってるんですね。てっきり拒否すると思ってました」

「装備の扱いを知らない捜査官は死ぬんだろう」

「訓練の台詞、覚えてたんですか」


 小田切は少し笑って、それから、笑いを消した。


「消えた十四人の中に、私の警察学校の同期がいます。三年前、退職した後に。……この件、私にとっても他人事じゃないんです」


 だから彼女は連絡役に志願したのか。俺は夜空を見た。美原ひかりの顔が浮かんだ。誰にとっても、他人事ではないのだ。


 金曜の朝、蛭田からメッセージが来た。


『身元確認OKでした! 今夜21時、迎えの車出します。ドレスコードは"白"で。VIPの皆さん、アヤさんに会えるの楽しみにしてます』


 白。指定までしてくるか。俺は支給品のクローゼットから、白のドレスを取り出した。肩と背中の出る、防御力に不安しかない一着だった。

お読みいただきありがとうございます。本作は全10話・毎日21時更新で完結まで走ります。


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