第1.3章:痛い。
背骨が、張り詰めたバネみたいに跳ね上がった。
僕の身体は、まっすぐ起き上がる。
溺れた人間みたいに、息を求めて大きく喘いだ。
ほんの一瞬だけ奪われていた呼吸を、必死に取り戻すように、僕は大きく、大きく息を吸い込んだ。
そして、また。
僕はベッドの上に戻っていた。
両手は白いシーツを乱暴に握りしめている。
心電図の音が、耳の奥でやけに大きく鳴っていた。
ピッ……ピッ……ピッ……。
そして、すぐ隣。
椅子に座っていたのは、あの時とまったく同じ看護師だった。
「患者さん! 目が覚めたんですね! まだ起き上がらないでください、あなたはまだ――」
彼女は安心したように見えた。
けれど同時に、ひどく取り乱してもいた。
僕は動こうとした。
でも、何かが僕を内側から引き裂いていた。
身体の平穏を、何かが無理やり乱しているような感覚。
僕は混乱したまま、周囲を見回した。
看護師。
モニター。
扉の小窓。
視界の中には赤があった。
けれど、実際には赤なんてどこにもなかった。
そして、もう一度看護師を見た瞬間。
僕は……僕は――
「あ……あ……あああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」
僕は激しくベッドの端から転がり落ちた。
心電図のコードが、安物の糸みたいに外れる。
「おえええええええええええええええええええええッ!」
胃の中身が乱暴に裏返った。
僕は床へ吐き散らした。
身体は歯がぶつかり合うほど震えていた。
熱い血が鼻から流れ、白いタイルへぽたぽたと落ちる。
何も理解できなかった。
痛み以外の何も。
今は叫ぶ。
叫ぶしかない。
僕は叫ぶ。
僕は叫ばなければならない。
痛い。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
苦しい。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
止めて。
止めて。
止めて。
止めてくれ。
止めてくれ。
もう止めてくれ。
頼むから。
本当に。
本当に頼むから。
止めてくれ。
止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めてくれ。
もうやめてくれ。
本当にやめてくれ。
お願いだから。
止めてくれ。
「お母さあああああああああああああああああああああんッ!!!!」
僕は死にかけているのか?
母さんは……僕を見捨てたのか?
いや。
そんなはずはない。
そんなこと、あるはずがない。
たぶん。
いや、そうであってほしい。
たとえそうであったとしても、そうであるはずがないという、僕の救いようもなく絶望的で、けれどまだ捨て切れない妄信の上では。
看護師は緊急アラームを叩くように押し、僕のもとへ駆け寄ってきた。
彼女は、自分の知る限りの医療魔法を総動員して、僕を必死に救おうとしていた。
なぜか彼女は、本気で僕を助けようとしているように見えた。
いや、本当に必死だった。
誰なんだ、この人は。
やがて医師たちが部屋へ駆け込んできた。
看護師のそれをはるかに超える、異常なほど高度な治癒魔法を次々と展開する。
僕は暴れる狂犬みたいに、彼らに抵抗した。
「動かないで!」
「落ち着いてください! 助けようとしているんです!」
看護師も医師たちも、みんな僕を安心させようとした。
一人は僕を押さえつけ、もう一人は子どもをなだめるみたいに、優しい言葉で僕を静めようとしてくる。
けれど、そんなものは効かなかった。
僕はなおも、激しく抵抗し続けた。
身体の内側で、自然現象そのものが跳ね返っているみたいだった。
その衝撃が、さらに強烈な反応を生み、僕の中をかき乱していく。
僕は叫んだ。
罵った。
喚いた。
何とかして彼らの手から逃れようとした。
けれど痛みだけは、どこへ逃げても僕の中に残り続けた。
まるで天上から落とされた、残酷な罰のように。
いや。
そもそも天なんて存在するのか?
世界が崩れていく。
いや、文字通りではない。
視点の問題だ。
もし君が僕だったなら、それは本当に、世界が崩壊していくように感じられただろう。
宇宙そのものが、たった一つの小さな身体へ巻きついて、感じられるものすべてを壊していくような感覚。
僕の身体の構造も。
僕の意識も。
僕が持っているものの中で、唯一、ただ一つだけ尊いはずのそれさえも。
崩れ始めていた。
すべてが崩れ落ちるとき、それでも残るものは何だろう。
宇宙。
世界。
自分自身という存在。
そして意識。
それらが全部なくなったとして、本当に何も残らないのだろうか。
完全な無。
本当に、そうなのか?
意識とは別に、生きていたころ頭の中にあった思考だけが、残り香みたいに残ることはないのだろうか。
人は眠っている間、完全に意識が離れていると言う。
でも、それでも夢を見る。
なぜだと思う?
意識は遠くに行っていても、記憶に寄りかかっていたものは残るからだ。
夢は、僕たちが見たもの、感じたもの、聞いたもの、経験したものの寄せ集めだ。
たとえば、ゾンビだらけの世界の夢なんて、実際に経験したことはないかもしれない。
でも、僕たちはそれを見たことがある。
映画館で。
テレビ画面で。
スマホの中で。
夢は過去の断片を拾い集め、脳が眠っている間にもう一度、頭の中で再生する。
僕たちはそれが夢だと気づかないことが多い。
気づいたとしても、それは明晰夢だなんて名前で呼ばれる。
なら、死もそういうものだったら?
死とは、今までの人生で経験したすべてを繰り返すだけのものだったら?
今この人生そのものが、実はすでに一度終わった人生を、高画質版で思い返しているだけだったら?
もし今が明晰夢で、僕たちがそれを認めたら、きっと狂人扱いされるだろう。
精神の病だと診断されるかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
死。
生。
夢。
そしてループ。
それらは結局、目的と理由へ行き着く。
人類が問い続け、いまだ答えを残せていない、たった二つのものへ。
だが、理論や仮説やその他もろもろはさておき。
このすべてが完全に落ち着いてしまう前に。
まずは、僕がどうしてそもそも死体になったのかを、最初から説明しておこう。
すべては一つのことから始まった。
いや、正しく言えば、僕の一つの過ちから始まった。
言いたくはない。
けれどそれは、僕が誰よりもよく知っている一つのものの上に成り立っていた。
人類の醜い絶望的渇望。
それを、僕は愚かにも利用した。
母が死に、父が哀れなる小さな僕を置いて出ていったあと、僕は完全な引きこもりになった。
まあ、完全ではない。
食料や生活用品を買いに外へ出ることくらいはあった。
けれど、だいたいはそれでよかった。
母の残した貯金で暮らしながら、暗いアパートに閉じこもり、モニター越しに世界の仕組みを眺めた。
ついでに窓からも眺めた!
そして気づいた。
誰もが、届くはずのない奇跡に祈っている。
だから僕は、彼らに奇跡を与えることにした。
僕は、分散型暗号資産と連鎖販売の仕組みを組み合わせた詐欺を作った。
名前は――
『完全オリジナル詐欺』。
保証年利五千パーセントを謳う仕組みを作った。
だが天才的だったのは、そこに連鎖販売の構造を組み込んだことだ。
僕はただ金を要求したわけではない。
彼らの人間関係そのものを武器にした。
“特別利回り”を解放するには、友人や家族を五人、自分の傘下へ勧誘しなければならない。
その傘下の誰かが入金すれば、上にいる者に一割が入る。
暗号資産界隈の意識高い系どもが吐きそうな横文字で飾られた、ただの出資詐欺だった。
僕は彼らから盗んだわけではない。
いや、厳密には盗んでいるが、はは。
僕はただ座って、彼らが互いを騙し合うのを眺めていただけだ!
彼らは自分の貯金を、自分の学費を、祖母の年金まで、喜んで差し出した。
苦しい努力なしに金持ちになれるという、頑固で、陳腐で、幸福な結末を信じていたからだ!
そしてまあ、あとは、なんやかんやあった。
資金を引き上げようとして逃げたあと、僕は身を隠した。
けれど皮肉なことに、超絶安全な仮想専用回線と代理通信網を通すのを忘れて、フードデリバリーの注文を承認してしまい、そこから捕まった。
それから裁判。
それから終身刑。
どうやら僕は、人の人生を壊したらしい。
命を落とした者。
破産。
人間関係の崩壊。
その他いろいろ、深刻な被害。
でも僕が狙ったのは、強欲で、悪くて、金持ちの連中だけだったのだ。
だから不公平である!
まあ、もしかすると、その説明に当てはまらない人間も何人か混じっていたかもしれないけど。
へへへへへ。
そこは、僕のミスということで。
だが、一つだけ知っておくべきことがある。
僕の被害者たちは皆、哀れで、醜く、屈辱的で、惨めな、どうしようもないクズどもだった。
真に告げよう。
彼らはみんな、とても、とても、悪い人間だった。
そういうことにしておこう。
そのあと僕は、本物の殺人犯たちと同じ場所に座らされることになった。
僕はそれが気に入らなかった。
だから仲間を作った。
脱獄計画を立てた。
刑務所から逃げ出した。
そして、どういうわけか、道中で死んだ。
まあ、そんなところだ。
以上、おしまい!
ムハハハハ!




