第1.2章:一見すると、とても普通そうな病院で大冒険!
看護師たちの視界から消えると、僕はようやく静かになり始めた。
まあ、ほら――僕ってば、現在ベッドの上で腐敗中の患者諸君の、いわゆる尊き平穏をかなり盛大に妨害してしまっているわけで。別に、これ以上彼らを苦しめたいわけでも、警備員に余計な面倒を持ち込んで自分の首を絞めたいわけでもないのだ。まったく、やれやれである。
「つまり今の僕は、“何か”として認定されているらしい、と。そして僕は今しがた、熱力学第二法則をぶち壊すような何かまで見てしまった、と。……待て、なんだそれ? なんで僕はそんなことを知っている? なんでこんな喋り方をしている? まあいいや。とりあえず、少し探りを入れるとしよう」
頭の中にいくつもの案が流れ込んできて、僕はくすくすと笑った。
さて、“探り”を入れると言っても、どうやるべきか。
僕は壁に寄りかかり、自分では完璧だと思っているクールな探偵ポーズを決めながら、小声で呟いた。
だが、この忌々しい概念――重力とかいうやつは、どうやら別の予定を組んでいたらしい。
左ポケットがやけに重い。
分厚いウールのコートが身体から大きく揺れ、ぞっとするようなカチンという音が鳴った。
読めもしない言語で覆われた、盗品の発光する魔法の小瓶たちが布地からするりと抜け落ち、硬い床へ一直線に急降下していく。
「クソ、待っ――!」
僕は化け物みたいに背骨をひねり、痩せた膝を勢いよく合わせた。
ガラス瓶を床まで一インチもないところで、ど真ん中から受け止める。
廊下の真ん中で、僕は固まった。
自分自身を抱きしめるような格好のまま、汗だくの人間プレッツェルになっていた。
「ふぅ……」
僕は息を漏らした。
壁にぴったり張りつくようにして、こそこそと廊下を進む。
一番狂っているのは、この建物があまりにも普通に見えることだった。
白い床タイル。
明るい天井灯。
消毒用アルコールと清潔なシーツの匂いまで、完璧に病院そのものだ。
魔法さえ視界から除外すれば、東京にある高級私立病院だと言われても普通に納得してしまいそうだった。
だが、他の患者室の窓から中を覗いた瞬間、話は別になる。
そこには、気が狂ったように光る医療機器が、果てしなく並んでいた。
扉を一つ通り過ぎるたび、技術はどんどん派手に、どんどん魔法じみて、どんどん常識から離れていく。目にする部屋ごとに、僕の目玉は頭から飛び出そうになった。
「ふむ、なるほど。結論として、僕は本日をもって正式に発狂したと判断する! 恐れるな! 我が小瓶たちが僕を救うであろう!」
僕は、隠れ場所としてトイレを見つけることを最優先任務に定めた。
通りかかった看護師に道を聞いたあと、僕は男性用トイレだと思われる扉を押し開けた。
明らかに違った。
「きゃあっ!」
「なに!?」
「出てってぇぇ!」
「え、なにあれ!?」
「いやぁっ!」
五人くらいの怒れる女性たちが、即座に僕へ向かって叫び始めた。
僕はパニックになって飛び出し、向かい側の扉へ全力で駆け込んだ。
すべては、トイレの扉に書かれていた意味不明な異星文字が読めなかったせいである。
それと、今誰か、僕のことを“あれ”って呼ばなかったか?
絶対に違う。
たぶん。
うん、聞き間違いだ。
誰が僕を“あれ”などと呼ぶものか!
「ん?」
洗面台の上にある大きな鏡に、自分の姿が映っていた。
「は? なんだこれ……なんで僕……なんで僕は……変なんだ?」
僕は固まった。
醜かったからではない。
いやいやいやいや。むしろ、そっちの方がまだ受け入れやすかった。もし僕が失敗作の沼地生物みたいな顔になっていたなら、「なるほど、僕は化け物になったのだな」と結論づけて、すでに十分普通な今日という一日を続行できたはずだ。
けれど、鏡の中でこっちを見ているものは、別に悪くなかった。
だからこそ、余計に悪かった。
顔だった。
僕が動けば動き、僕が瞬きすれば瞬きし、僕が間抜けに口を開ければ、そいつも同じように口を開ける顔。
「誰だよ、お前」
鏡は答えなかった。
失礼である。
僕は一歩近づき、じっと見つめた。
髪は黒く、真っ直ぐで、そして乱れていた。
くるくるした乱れ方ではない。
どちらかといえば、「基礎的な衛生管理とのボス戦に敗北し、そのまま顔面からキーボードに突っ伏して寝落ちしたゲーマー」みたいな乱れ方だ。
前髪は額にかかり、いくつもの束があちこちへ跳ねている。まるで全員で会議を開き、満場一致で僕の尊厳を破壊することに決定したかのようだった。
次に、目。
「あ」
鋭かった。
白目の部分が虹彩の下に少し多く見えていて、疲れているような、気味が悪いような、そしてなぜか僕がまだ払っていない税金の存在に気づいていそうな目をしていた。
「三白眼?」
僕はぼそりと呟いた。
さらに顔を近づける。
顔立ちそのものは……普通に整っていた。
鼻は普通。
顎も悪くない。
頬は少し青白い。
全体的には、そこそこ見られる人間を設計したあと、ストレスと疑心と道徳的破産を上からぶちまけたような顔だった。
「だからあの人、僕のことを“あれ”って……」
僕は止まった。
「いや。誰もそんなこと言ってない。聞き間違いだ。絶対。たぶん。うん」
僕は頬に触れた。
鏡の中の見知らぬ男も、自分の頬に触れた。
片方のまぶたを下げ、さらにじっと見つめる。
「ふむ。なるほど。結論として、僕は誰かの身体を盗んだか、妙に顔の悪くない死体に転生したか、あるいは違法な病院美容手術の最終成果物になったというわけだな」
手を下ろす。
「まあ、いいか」
僕はそれを風のような速さで流した。
今、自分がどんな見た目をしているかなんて関係ない。状況そのものがすでに十分すぎるほどおかしいのだ。魔法病院。異星文字。光る小瓶。吐瀉物を巻き戻す薬。女たちがトイレで僕に叫ぶ事件。
今さら僕の顔が何だというのか。
とはいえ、あの人が僕を“あれ”と呼んだ理由は少しわか――
待て。
違う。
忘れろ。
誰もそんなことは言っていない。
誰が僕をそんなふうに呼ぶものか!
僕は一番奥の個室に隠れ、鍵を叩きつけるように閉めた。
ポケットをまさぐり、盗んできた小瓶を並べる。
四本。
大収穫というほどではないが、これ以上盗んでいたら、もっと大きな問題になっていただろう。
どの瓶にも異星文字のラベルが貼られていて、僕には何が書かれているのかまるでわからない。
というか、そもそも盗んだ理由も、ほとんど好奇心だった。
だから、一本を適当に選ぶしかなかった。
「オーキードーキー、それでは始めよう! ミニィ・ミニィ・ミニィ・モー! 我が幸運なる敵はだーれだ! 君なのか、違うのか、それとも実は君なのか! あはっ! 選ばれしは、この意味不明ラベルの小瓶である!」
……
僕は何をしているんだ?
「前回確認した限り、看護師はリバーサルなんとかの小瓶をあの男に投げつけていた。なら、僕も床に投げればいいわけだ」
僕は自分に言い聞かせるように呟きながら、持ってきた小瓶を手の中でもてあそび、何をするか一分ほど迷った。
ガッシャァァァン!
ガラスがタイルの上で砕け散った。
僕は瓶を落とした。
ただ、見てみたかっただけだ。
だって僕は好奇心旺盛な小さき者なのだから。
何も悪いことなんて起きるはずがない。そうだろう?
瓶の中の液体が床に気味悪く広がり、割れた瓶からずるずると逃げるように流れていくのを、僕は見つめた。
待つ。
目を凝らし、眉間に皺を寄せ、妙な姿勢でしゃがみ込んだまま。
だが、何も起きなかった。
五分ほど、気まずい沈黙の中で魔法の発動を待った。
そして結局、退屈になって、便座の上で腐ることになった。
時間だけが無駄に過ぎていく。
僕は呻きながら後頭部を掻いた。
「親愛なる僕よ、このまま永遠にここに隠れているつもりか? 僕ならどうする? 僕として! 何をするべきなのだ! うぐ……中身もわからないまま、これ以上瓶を割るのは危険すぎるな……」
最後にもう一度だけ床に広がった中身を見つめたが、やはり何も起きなかった。
僕は鼻を鳴らして視線を逸らした。
「とりあえず、少し休むか」
欠伸が漏れた。
長い息を吐き、冷たい壁に頭を預ける。
そのまま、僕は眠りに落ちていった。
――
目が、かっと開いた。
何が僕を起こしたのかはわからなかった。
爆発はない。
眩い閃光もない。
痛みもない。
ただ、音があった。
チィィィィィィィィィィィィィィィン。
細く鋭い耳鳴りが、耳の奥深くで響いていた。
古くて分厚いテレビのコンセントを、壁から引っこ抜いた瞬間みたいな音だった。
僕は立ち上がり、コートを払おうとした。
「さて、何も起こらな――」
どさっ。
それが二つ目の音だった。
重く、気味悪く、あまりにも近い音。
まるで大きな肉の塊が床に落ちたみたいだった。
その瞬間、何かが噛み合った。
僕は、自分が天井をまっすぐ見上げていることに気づいていなかった。
そして、さらに別のことにも気づいた。
身体が落ちた感覚がない。
膝が崩れた感覚も、頭がタイルにぶつかった感覚もない。
正直、足の指も、手の指も、自分の肺さえも、まるで感じられなかった。
ヴヴヴヴ――ウォンプ。
三つ目の音。
天井灯から聞こえていた普通の唸りが、歪み始めた。
おかしい。
音が低く沈み、胸の中を震わせるような重い振動へ変わっていく。
古びた分厚いカセットテープが、乱暴に噛み潰されていくみたいな音だった。
視界は暗闇に落ちたわけではない。
ただ消えた。
崩れるように、恐ろしいほど無機質な灰色の砂嵐へ変わっていった。
喋ろうとした。
叫ぼうとした。
たった一つでいい、何か思考を形にしようとした。
だが、無駄だった。
何一つできなかった。
そして、カチリ、と音がした。
完全な静寂。
**547回目の死、記録。**
**死因:魔法性神経筋麻痺による呼吸停止**
レンが砕いた小瓶は、リバーサルポーションではなかった。
発症までに時間差があったこと、目に見える魔法反応がなかったこと、運動機能が段階的に失われたこと、そして最終的に呼吸も発声も不可能になったことから判断すると、その小瓶は魔法性の麻痺薬であった可能性が高い。
その物質は、衝撃だけで発動するものではなかった。
ガラスが割れたあと、液体はトイレの床へ広がり、閉ざされた個室の中で目に見えない気体を放出し始めた。個室内は空気の流れが悪く、レンは数分間そこに留まり続けたため、周囲の濃度は少しずつ上昇していった。
最初、明確な反応は何もなかった。
閃光もない。
熱もない。
音もない。
痛みもない。
目に見える呪文効果もない。
そのためレンは、小瓶を不発、あるいは無害なものだと誤って判断した可能性が高い。実際には、その物質はすでに通常の呼吸を通じて彼の体内へ入り込んでいた。
魔法性の麻痺薬は、神経筋系に作用したと考えられる。
主な効果は、神経系と随意筋のあいだの伝達を妨げることだった。初期症状としては、身体の重さ、協調運動の低下、疲労感、異常な落ち着きなどがあったはずだ。レンはそれらを単なる疲労と解釈した。そのため、休もうとしてしまったのだろう。
彼が眠りに落ちた時点で、薬剤はすでに危険な濃度に達していた。
目を覚ましたときには、麻痺はさらに進行していた。
耳鳴りは酸素不足と一致する症状だった。彼が聞いた重い落下音は、おそらく自分自身の身体が床に倒れた音である。すでに感覚と運動制御が損なわれていたため、落下そのものを正常には認識できなかった。
その段階で、レンの意識はまだ一部残っていた。
しかし、身体はすでにまともに反応していなかった。手足は動かず、呼吸に関わる筋肉が機能を失いつつあったため、肺の感覚すら曖昧になっていた。声を出すことも叫ぶこともできなかったことから、麻痺は横隔膜、胸部の筋肉、そして発声に関わる制御にまで及んでいたと考えられる。
直接の医学的死因は、魔法性神経筋麻痺による呼吸停止。
簡単に言えば、レンは割れた小瓶から発生した気体を吸い込み続けた結果、身体が呼吸する能力を失った。
終わり。




