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婚約破棄された悪役令嬢は、白銀の大公に最愛を捧げられる  作者: ごゅみ
第一部 婚約破棄

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第二話 君がいてくれると助かる②

再び王宮へ上がる朝、前回ほど早くはなかったが、やはり屋敷の中は普段より静かに動いた。今度の衣装は白ではなく、淡い若葉色のドレスだった。南庭へ出ることを考え、裾は前回より少し軽く、髪にも真珠ではなく小さな白い花をかたどった飾りが差された。ナディアは襟元を整えながら、前より少し柔らかい顔をしていた。エレオノーラがそれに気づくと、ナディアはすぐに仕事の顔へ戻したが、完全には隠れなかった。


「今日は、苦しくありません」


エレオノーラが先にそう言うと、ナディアは留め紐に指を置いたまま、少しだけ目を見開いた。


「それは、ようございました」


「前は、少し苦しかったのです」


口にしてから、エレオノーラは自分でも驚いた。前回、苦しかったことを、母にもはっきりとは言わなかった。ナディアには大丈夫ですと言った。けれど今は、昨日ほどの重大な謁見ではないからなのか、南庭で会うという約束があるからなのか、声にしても部屋が崩れないように思えた。


ナディアは、結び終えた留め紐をもう一度指で確かめた。


「次からも、苦しいときはおっしゃってください。支度は、お嬢様を苦しくするためのものではございませんから」


その言い方は淡々としていたが、エレオノーラはしばらく忘れなかった。支度は苦しくするためのものではない。けれど、立派に見えるためには少し苦しいのが当然だと思っていた。王宮へ行くならなおさらだと思っていた。ナディアは侍女だから、衣装を整える。けれど、その衣装の中にいる自分が息をしやすいかどうかも見ている。そのことに気づくと、胸の中に小さな灯りがともったようだった。


王宮の南庭は、白薔薇の間とはまったく違う光の中にあった。高い壁に囲まれてはいるが、空は広く、整えられた花壇の向こうに噴水がある。水音は近づきすぎると大きくなるが、少し離れた場所では、人の声を邪魔しない程度にやわらかく聞こえた。石畳の小道は白く、両側には低く刈り込まれた緑が続き、そのあいだに小さな花が色を添えている。王宮の庭師たちは、花が咲きすぎても乱れないように、まだ蕾のものと開いたものを見ながら枝を整えるのだと、案内の女官が説明した。


エレオノーラは母の隣を歩きながら、王宮の庭までが礼法の一部なのだと思った。花は自然に咲いているようで、咲き方を見られている。小道は散歩のためにあるようで、誰がどちら側を歩くかが決まっている。椅子の置き方、茶器の位置、日差しを避ける天幕の角度まで、すべて誰かが整えている。その整えられたものの中で、自分は王太子殿下と話すのだ。庭だからといって、白薔薇の間より自由なわけではない。ただ、見える空が広いぶん、息は少しだけしやすかった。


アレクシスは、天幕の近くで王妃と共に待っていた。前回と同じ金の髪が、庭の光の中ではさらに明るく見える。彼はエレオノーラを見つけると、一瞬だけ手を上げかけ、すぐに王妃のほうを見て、今度はきちんと礼をした。その仕草を見て、エレオノーラは胸の奥で笑いそうになった。前と同じだ、と思った。けれど彼はすぐに手を下ろした。前より少し、気をつけている。王妃もそれを見て、わずかに満足そうに頷いた。


「エレオノーラ」


王妃への礼を済ませたあと、アレクシスは彼女の名を呼んだ。前回より自然だった。エレオノーラも、教えられた通りに顔を上げ、声を整えた。


「アレクシス殿下」


「殿下は、庭ではいらないと言ったのに」


「王妃殿下の御前ですので」


そう答えると、アレクシスは少しだけ口を尖らせた。王妃が静かに笑い、母も目を伏せる。エレオノーラは、自分が不作法をしたわけではないと分かって、少しほっとした。アレクシスは不満そうにしたが、怒ったわけではなかった。むしろ、その不満を言えることが嬉しいようにも見えた。


「では、歩くときは」


「侍従や女官が控えております」


「では、誰も聞いていないときは」


「そのようなときが、あるのでしょうか」


エレオノーラが真面目に聞き返すと、アレクシスは一度ぽかんとして、それから笑った。彼の笑い声は庭の水音に混じり、天幕の下の空気を明るくした。王妃はたしなめなかった。エレオノーラはそのことに気づき、今のやり取りは許される範囲なのだと覚えた。許される範囲を覚えることは、彼女にとって大事だった。どこまでなら笑ってよいのか、どこから先は慎むべきなのか。それを知っていれば、相手を困らせずにすむ。


茶の席では、王妃がゆるやかに会話を導いた。最近読んだ本、好きな季節、王宮の庭で見た花、公爵家の温室。エレオノーラは答えるたびに、王妃の目を見て、それからアレクシスを見る。アレクシスはすぐに話題を変えたがるが、王妃が軽く名を呼ぶと戻ってくる。前回と同じだった。けれど、前回よりも少しだけ、彼はエレオノーラの答えを待つようになっていた。彼女が言葉を選んでいる間、足を動かしたり、菓子を見たりはしたが、途中で話を奪うことはなかった。


「君は、温室にある花の名前を全部覚えているのか」


「全部ではございません」


「でも、たくさん知っているのだろう」


「母が隣国から持ってきた花は、いくつか教えていただきました」


「隣国語も話せるのか」


アレクシスの目が急に明るくなった。エレオノーラは少し迷った。話せると言えるほどではない。母から発音を習い、本を読んでいるだけだ。だから、その通りに答えた。


「少しだけです。母の国の言葉を、読み書きから習っています。会話はまだ、ゆっくりでなければ難しいです」


「僕は発音が苦手だ」


アレクシスはそう言って、茶菓子の皿から小さな焼き菓子を選びながら、隣国語の挨拶を口にした。短い言葉だったが、音の置き方が少し違った。エレオノーラはすぐにそれに気づいたが、王妃の前で直してよいのか分からず、黙った。だが、アレクシスは彼女の顔を見て、何かに気づいたように身を乗り出した。


「今、違っただろう」


「いえ」


「違った顔をした」


「そのような顔をしておりましたか」


「していた。君は、間違いを見つけると、少し考える顔になる」


エレオノーラは驚いた。自分では表に出していないつもりだった。祖母に、名を呼ばれたとき顔が緩んだと言われたことを思い出し、また顔を見られていたのだと思ったが、不思議と嫌ではなかった。アレクシスは責めているのではなく、見つけたものを嬉しそうに言っている。彼にとっては、エレオノーラが自分の間違いに気づいたことが、隠すべきものではなく、役に立つもののようだった。


「どこが違ったのか、教えてくれ」


その言葉に、エレオノーラは王妃を見た。王妃は少し考えるようにしてから、頷いた。


「エレオノーラ嬢、殿下に教えて差し上げて」


許しが出たので、エレオノーラは焼き菓子の皿の横に置かれた小さな銀匙を見た。口だけで説明するより、音を分けたほうが分かりやすい。けれど、卓の上のものを勝手に使ってよいのか迷った。王妃付きの女官がそれに気づき、音を立てずに小さな書板と蝋筆を用意した。王宮では、必要なものが言葉より早く出てくる。エレオノーラはそれに少し驚きながらも礼を述べ、書板の端に隣国語の短い挨拶を書いた。


「この音は、舌を強く当てすぎないほうがよいのだと、母が言っておりました。王国語の同じ文字に似ていますが、少し息を抜くように」


言いながら、自分で一度発音してみせる。人前で隣国語を口にするのは少し恥ずかしかったが、母の教えた音を乱したくなかった。アレクシスは真剣な顔で聞き、同じように繰り返した。やはり少し硬い。エレオノーラは、もう一度、今度は音を短く区切って示した。


「最初の音は、そのままでよろしいと思います。違うのは、こちらです」


「こうか」


「少し、強いです」


「こう」


「今のほうが近いです」


三度目で、音がかなり整った。アレクシスは自分でも分かったのか、目を輝かせた。


「できた」


「はい」


「君は教えるのが上手いな」


その一言で、エレオノーラは胸の中がふっと明るくなるのを感じた。名前をきれいだと言われたときとは違う温かさだった。名前は自分が持っているものを褒められた。けれど今の言葉は、自分が学んできたこと、自分が考えて伝えたことが相手の役に立ったのだと告げていた。王妃も穏やかに微笑み、母も少し誇らしそうな顔をしている。大人たちに見られていることが、今は窮屈ではなく、きちんと役目を果たせたことを見届けてもらったように思えた。


「君がいてくれると助かる」


アレクシスは、何のためらいもなくそう言った。


その言葉は、庭の水音の中に落ちた。強い言葉ではない。王太子が正式に何かを命じたわけでもない。けれどエレオノーラの中では、その言葉だけが、周囲の音から少し浮き上がった。君がいてくれると助かる。自分がここにいることが、誰かの助けになる。王太子殿下が、そう言った。エレオノーラはすぐに返事をしなければと思ったが、喉の奥に温かいものが広がり、声が遅れた。


「お役に立てたなら、光栄です」


ようやく言うと、アレクシスは少し不満そうにした。


「また固い」


「王妃殿下の御前ですので」


「では、庭の小道なら」


「女官が控えております」


「君は本当に、そういうところをよく見ている」


呆れたように言いながらも、アレクシスは笑っていた。エレオノーラも、今度は少しだけ笑い返すことができた。祖母に指摘されるほどではないだろうか、と心のどこかで思いながら、それでも完全には抑えきれなかった。嬉しかった。けれど、ただ褒められて嬉しいだけではない。自分が学んできたことが無駄ではなかったこと、母の国の言葉を覚えていたこと、王宮へ来る前に何度も挨拶を練習したこと、父に急いで答えるなと言われて待つことを覚えたこと、その全部が、アレクシスの発音を少し正すために役立った。そのつながりが、幼いエレオノーラにはとても大切なものに思えた。


茶のあと、王妃の許しで二人は南庭の小道を少し歩いた。もちろん、すぐ後ろには女官が控え、少し離れて母と王妃が見守っている。アレクシスは花壇の名前をいくつか間違え、エレオノーラは知っているものだけを答えた。知らないものを聞かれたとき、以前なら何か言わなければと焦ったかもしれないが、母の言葉を思い出し、知らないと答えた。アレクシスはそれを意外そうに聞いた。


「君にも知らないものがあるのか」


「たくさんございます」


「そうは見えない」


「見えないだけです」


「では、僕と同じだ」


彼はそう言って、少し先の花壇へ目を向けた。どう同じなのか、エレオノーラにはすぐに分からなかった。彼は王太子で、自分は公爵家の娘だ。同じではないところのほうが多い。それでも、彼が同じだと言ったときの声には、肩の力が抜けるような響きがあった。もしかすると彼は、自分だけが知らないものを抱えていると思っていたのかもしれない。そう考えると、王宮の白い石の中で明るく笑う少年のことが、少しだけ近く感じられた。


「次に会うときまでに、さっきの挨拶を覚えておく」


アレクシスが言った。


「では、わたくしも、花壇の花の名をもう少し覚えてまいります」


「どうして君が」


「殿下に聞かれたとき、答えられるように」


そう言うと、アレクシスは一瞬だけ黙った。それから、少し照れたように笑った。


「やっぱり、君がいてくれると助かる」


二度目のその言葉は、一度目よりも静かに届いた。エレオノーラは、今度は少しだけ早く返事ができた。


「わたくしも、殿下に覚えていただけるなら嬉しいです」


言ってから、自分の声がほんの少し柔らかくなったことに気づいた。女官が聞いている。母も、遠くでこちらを見ているかもしれない。けれど、今の言葉は不作法ではないはずだった。王太子殿下が学ぶことを喜ぶのは、婚約者としておかしくない。そう自分に言い聞かせながらも、エレオノーラの胸の奥には、小さな灯りが増えたような感じがあった。


その日の帰り、馬車の中で母はしばらく何も聞かなかった。エレオノーラも、すぐには話さなかった。南庭の花の色や、水音や、アレクシスの発音が少しずつ直っていったことを、言葉にすると軽くなってしまいそうで、膝の上に置いた手を見ながら黙っていた。指は前回ほど強張っていなかった。手袋の内側は少し汗ばんでいたが、赤い跡がつくほどではない。ナディアが留め紐を苦しくないようにしてくれたこと、母が分からないものを急いで別の名前にしなくてよいと言ってくれたこと、その二つも、今日の自分を少し楽にしていたのだと思う。


「楽しい時間でしたか」


王宮の門を離れ、馬車の揺れが街の石畳に戻ったころ、母が尋ねた。エレオノーラは、今度は少し考えてから頷いた。


「はい。殿下が、隣国語の発音を練習なさいました」


「そうでしたね」


「わたくしが少し直したら、できるようになられました」


「ええ」


「殿下は、わたくしがいてくれると助かる、とおっしゃいました」


それを言うとき、どうしても声が少し小さくなった。大切なものを人に見せるときのような恥ずかしさがあった。母はその言葉を軽く扱わず、少しの間、黙って受け止めてくれた。馬車の外では、通りの人々の声が遠く聞こえ、車輪が石を越えるたびに座席が小さく揺れる。


「嬉しかったのですね」


母が言った。


エレオノーラは、すぐには頷けなかった。嬉しかった。それは間違いない。けれど、嬉しかったとだけ言うには、胸の中の動きは少し複雑だった。役に立てたことが嬉しい。アレクシスが笑ったことが嬉しい。王妃が許してくれたことが安心だった。母に見てもらえたことも、たぶん嬉しい。けれどその中に、次もそう言ってもらいたい、次はもっと上手に助けたいという気持ちが生まれている。それを嬉しいと言ってしまってよいのか、まだ分からなかった。


「嬉しかったです。でも、次に間違えたら、どうしましょう」


「何をですか」


「殿下を助けることを、間違えたら」


母の表情が静かに変わった。悲しそうではなかったが、少し深くなった。エレオノーラは、自分が大きなことを言ったのかもしれないと思い、手を握りかけた。けれど母は、その手をほどくように、向かいの席から指を伸ばした。


「間違えることはあります」


「お母様もですか」


「あります。お父様にも、大奥様にもあります。誰かを助けたいと思ったときほど、自分の思う正しさを相手に着せてしまうことがあります」


「着せる」


「ええ。寒そうだからと外套をかけたつもりでも、相手は歩きにくくなるかもしれません。けれど、だからといって外套を持たない人にならなくてもよいのです。大切なのは、かける前に見ること。かけたあとに、重くないか尋ねることです」


母の言葉は、朝の支度のときにナディアが言った、支度はお嬢様を苦しくするためのものではございませんから、という言葉とつながった。衣装も、助けも、同じなのだろうか。相手のためのもののはずなのに、相手を苦しくすることがある。だとすれば、助けることは、思っていたよりずっと難しい。けれど、難しいからやめなさいとは、母も父も言わない。父は、自分にもまだ難しいと言った。母は、外套を持たない人にならなくてもよいと言った。


エレオノーラは、窓の外へ目を向けた。通りの端を歩く人々は、王宮の庭のことなど知らない。アレクシスが隣国語の発音を練習したことも、エレオノーラがその音を直したことも、誰も知らない。けれど、その小さな出来事は、彼女の中で確かに残っていた。次に会うときまでに、何かを覚えていこう。そう思うと、胸が少し弾む。母の言葉を忘れずに、相手を見て、重くないか尋ねることも覚えていよう。そうすれば、きっと間違えすぎずにすむ。


屋敷へ戻ると、ナディアが玄関広間で待っていた。彼女はエレオノーラの顔を見ると、すぐに何かを尋ねるのではなく、まず外套を受け取り、手袋を外す手伝いをした。指に跡がついていないのを確認し、ほんの少し表情をやわらげる。その小さな変化に気づいて、エレオノーラは自分から言った。


「今日は、痛くなりませんでした」


「それは何よりでございます」


「殿下が、隣国語を練習なさいました」


ナディアは外套を従僕へ渡しながら、静かに頷いた。


「そうでございましたか」


「わたくしが少し、お教えしました」


言ってから、エレオノーラは母に話したときよりも少しだけ誇らしい気持ちになった。ナディアはその誇らしさを見て取ったのか、すぐに褒めすぎることも、軽く流すこともしなかった。ただ、いつものように主の歩幅に合わせて廊下を進みながら、こう言った。


「お嬢様が学ばれたことが、お役に立ったのですね」


その言い方が、エレオノーラには嬉しかった。アレクシスが言った、君がいてくれると助かる、という言葉とは違う。ナディアは、エレオノーラ自身ではなく、彼女が学んだことと、その使い方を見ている。どちらの言葉も温かい。けれど温かさの種類が違うのだと、幼い彼女にも分かった。


その夜、夕食を終え、祖母の短い復習を受け、母に挨拶をして部屋へ戻ったあと、エレオノーラはすぐに寝台へ入らなかった。ナディアが髪をほどき、夜の衣に着替えさせ、暖炉の火を小さく整える。そのあいだも、彼女は本棚のほうを何度か見ていた。母から借りた隣国語の初歩の本が、昨日までは少し高い棚に置かれていたが、王宮から戻ったあと、ナディアが手の届く位置へ移してくれていた。


「ナディア、あの本を取ってもよいですか」


「今からでございますか」


「少しだけ」


ナディアは窓の外を見た。夜はもう深くなり始めている。子どもの体には休むことも必要だ。けれど、彼女はすぐに駄目とは言わなかった。


「奥方様に叱られない範囲でございましたら」


そう言って、机の上に燭台を一つ増やしてくれた。エレオノーラは椅子に座り、本を開いた。母の国の文字は、王国語と似ているものもあれば、まったく違うものもある。今日アレクシスが間違えた音を探し、指でなぞる。発音の説明を読んでも、まだ全部は分からない。けれど、母が昔、舌の力を抜くように、と言ってくれたことを思い出すと、文字の横にその声が戻ってくる。


彼が次に同じ言葉を言うとき、もっと分かりやすく教えられるようにしたい。花の名も、もう少し覚えたい。王宮の庭に咲いていた薄紫の花の名前を知らなかったことが、少し悔しかった。知らないと答えてよいと分かったけれど、知らないままでいたいわけではない。次に聞かれたとき、答えられたら、アレクシスはまた目を輝かせるだろうか。君がいてくれると助かる、とまた言うだろうか。そう思った瞬間、胸の奥が明るくなり、同時に母の言葉が戻ってきた。かける前に見ること。かけたあとに、重くないか尋ねること。


助けることは、ただ自分が知っていることを差し出すことではない。相手が何を求めているのか見なければならない。けれど今のエレオノーラには、その見方をどう学べばよいのか、まだ分からなかった。分からないから、本を読む。分からないから、次に会ったときのために覚える。彼の役に立ちたいという気持ちが、自分の中でどれほど大きくなっているのかまでは、まだ見えなかった。見えないままでも、その気持ちは温かく、手放す理由がなかった。


燭台の火が小さく揺れ、紙の上の文字が少し濃くなったり薄くなったりする。ナディアが背後から肩掛けを持ってきて、黙ってかけた。重くないかと聞かれる前に、エレオノーラは少しだけ肩を動かし、温かいです、と答えた。ナディアはそれで満足したように下がった。


エレオノーラは、本の文字へ視線を戻した。今日、王宮の庭で聞いた水音はもう遠い。アレクシスの笑い声も、少しずつ記憶の中でやわらかくなっている。それでも、君がいてくれると助かる、という言葉だけは、まだ鮮やかだった。その言葉は彼女を褒め、彼女を喜ばせ、彼女の中に次の努力の場所を作った。まだ何も壊れていない。まだ誰も傷つけていない。まだ、助けたいという気持ちは、ただ澄んだ水のように思えた。


だからエレオノーラは、その夜も遅くなりすぎる前に本を閉じると、今日覚えた音を小さく一度だけ口の中で繰り返し、次に会う日を思いながら眠りについた。王宮の南庭の光も、白い石畳の明るさも、アレクシスが発音を直せたときの笑顔も、胸の中で静かに並んでいた。その中で、彼女は自分が選んだと思っている願いを、前より少し強く抱いた。殿下の役に立てる人になりたい。そう思うことが、今はまだ、自分を消すことにつながるかもしれないなどとは、考えもしなかった。

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